08/18/22:00――鷺城鷺花・久我山の旅館

 その旅館の名は、そもそもない。構えこそ旅館であるものの、名を失くすことにより一般の客を断っており、儲けを考慮していない様子もうかがえる。徒歩三分の距離に海岸があり、外海ではあるもののビーチとして遊べる場所もあるけれど、やはりそちらも一般には開放していないようだ。

 時間としては夕刻になる。つい先ほどまで雪人と一緒にいた鷺花はそれなりに気分がいい。だから軽い足取りで中に入ってまずは入り口、談話室にもなっているのか広く、大型のテレビやソファなどが右手側にあり、正面にはカウンター。ここで靴を脱ぐのだろう、そんなことを考えていると和服を着た少女がぱたぱたと近寄ってきて、膝をつくように正座した。

「いらっしゃいませ。申し訳あらへんのやけど――」

「ん、七さんから連絡行ってない?」

「――ああ、したら鷺城鷺花さんでよかったんじゃろか。聞いとるよ、すまんこって。うちは見習いのなごみ言います、よろしゅう」

 あちこちの方便が混じったような口調だが、イントネーション自体は標準語に近い。複雑な言い回しがなければ充分に聞き取れる話し方だ。

 靴を脱いで出されたスリッパをはくと、なごみがそれを片付けて立ち上がる。

「荷物は――ねえべさ。えとな、部屋は二階の手前から三番目の秋風じゃ」

「最初が葵で次が秋初?」

「そうじゃけんども……ほかの部屋は適当やよ? 有明や十六夜なんかもあるし。案内、しとこか?」

「いいわ、すぐわかるもの。今は時間的に忙しい?」

「んー、夕食の支度があるねんけど、うちは大食堂で一斉やきに、そう手ぇもかからんとよ。やから忙しいんは朝方がー」

「じゃ、先に済ませましょうか。――そうね、悪いけれど紫月さんを呼んでちょうだい。手土産だけれど、直接伝えておきたいわ。ああ大丈夫、大した話じゃないからすぐ済むわよ」

「そうなん? そか、手ぇ空いてるようやったらすぐじゃろ、ちょいと待っとって」

「いいわよ、ゆっくりでも」

 良い曲が流れている。旅館にはやや似合わないが、やや強いが柔らかい女声ボーカルで、喫茶店のシステムで聴いたら面白そうだと無意識に考えながら、ソファに腰を下ろす。

 隣に、男がいるのを構わずに。

 男はノート型端末に没頭していたが、さすがに隣、無遠慮に座られれば気付くというもの。なんだこいつは、みたいな表情をして顔をあげて、ぎくりとそのまま顔を強張らせた。

「げ、鷺城……!」

「反応が遅い。入ってきた時点で気配に気づきなさい。まったく、成長がないわね。一丁前に獅子を継いで一人前にでもなったつもりなら、個人的に潰してあげてもいいのよ」

「謹んで遠慮願う。僕が悪かった。僕は未熟だ。猛省する」

「猛省?」

「――してから成長する。約束しよう」

「約束なんて求めてないわよ」

「ぐ……くそ、なんてやりにくいんだ。というか鷺城のベースはこの近辺なのか?」

「あんたも馬鹿の類? 少しは調べなさいよ」

「調べても出てこない。そもそも日本の戸籍あるのか?」

「ああ、もしかして銀行なんかの顧客からアプローチした? そんな正攻法じゃどうしようもないわよ」

「いや、だから国のデータバンクから戸籍情報を拾ったんだが」

「それは電子データ上のものだけでしょうが……足を使えばすぐわかるわよ。兎仔から何も聞いてない?」

「あの女が戻ってるのは聞いてるが、コンタクトは取ってない」

「あら、なに、ライバル意識でもあるわけ? フェイとコンシスは……まあ、望んで逢うような間柄じゃないか」

「兎仔が知ってたとしても、簡単に口を割るとは思えないな。僕よりも鷺城との付き合いは長いだろう」

「付き合いの長さはこの際、あまり関係ないわよ」

「それより、どうしてここに?」

「あんたに逢いに来たんじゃないから安心なさい。七さんの代打よ」

「――、……複雑だな。どっちにせよ、鷺城じゃなけりゃ七姉さんと対面してたわけか。僕、あの人苦手なんだ。なんというか、……すまん嘘吐いた。俺は橘本家の連中全員苦手だ。くそったれ」

「え、四やここのも?」

「四はだいぶマシな方だが、苦手は苦手だ。九は知らん。逢ったこともねえな」

「あらそう。ちなみに私は?」

「鷺城の場合は苦手とかいう以前に、……頭が上がらねえんだよ。僕はあの訓練後、二十日は静養してたんだがな」

「あら、その程度で済んだの? 加減を誤ったかしらね。一応、四十日前後を見ていたのだけれど」

「おい、当日は一ヶ月とか言ってただろ」

「気のせいよ。それより、ほかの子たちはどうしてる?」

「知らん。僕が知ってるのは兎仔がこっちに戻ってることと、その事情くらいなもんだ。僕と兎仔は外部扱いだからな、あんま強制力はない」

「そうでしょうね。まあそれが好都合でもあるか……で、何してたのよ」

「僕は休暇中だ、何をしていようと――おい見るなよ」

「DoubleCrackCrankをベースにしたスクリプト? ああ、対応処理プログラムね。一般のハックツールだと対応を読まれるわよ。独自のベースを作っておきなさい」

「ちょっと待て。鷺城は電子戦にも心得があるのか?」

「心得というより一般常識程度にはあるわよ。七八は、コンシスからの言いつけ?」

「そうだ、近日中に爵位を持てと言われてる」

「ああ、世界共通電子戦公式爵位。どこ?」

「子爵級」

「ふうん」

 それは電子戦闘技術を競うための仕組みで、下から順に男爵五十人、子爵三十人、伯爵三十人、侯爵二十人、公爵十人で構成されている。もちろん多少の変動はあるものの、彼らはお互いにハッキング、またはそれに対する防衛手段などでお互いに競い合っている。彼らの端末は基本的にオープンであり、誰でも仕掛けることが可能でかつ、違法にはならない。現代において電子戦爵位持ち、というだけで就職には困らないだろう。

 現行の狩人でも、ランクB以上ならば一時的に爵位を所持していた、という経歴の人間が大半だ。維持できているのは電子戦を専門にしている狩人くらいなものか。もっとも、五神に至っては、詰まらないと切り捨てて爵位に挑戦もしていないらしい。公爵級を見て、そんなものかと鼻で笑ったとか、なんとか。

「といっても、もう二度も失敗してる。――あ、今のは忘れてくれ。つい口を衝いた」

「いいわよ別に、失敗すること自体は悪いことじゃないわ。ただそれならなおさら、基本部分を自作なさい。ツールに合わせるんじゃなく、自分の癖に合ったツールを作るつもりで。私もそうしたもの、経験からの言葉よ」

「初期の労力を惜しむな、か。それもそうだな……それで? 鷺城の爵位は」

「持ってないわよ。突破できると確信を得たら止めたもの――この言葉にも証明としては不十分ね」

「鷺城の言葉ってだけで充分だろう。そこまでか……」

「ああ、教えてくれた子がすごいのよ。上手く教えてくれたからね」

「そうなのか?」

「ええ、初期はレインに、後期はレィルに――知ってる?」

「知ってる。つーか、それは嫌味か何かか? その二人、公爵級で名前も公表されてるじゃねえか。挑もうとしてる僕が知らないでどうする」

「ま、必要だったから否応なくね。私としては大して活用してないもの。いまどき、本気で隠そうとしてるものは電子化しないでしょ」

「情報取得は早い方がいいだろう」

「それ戦場で同じこと言える?」

「……つまり、目の前のできごとを別の媒体で情報化する意味はないと、そう言いたいんだな」

「察しが良い子ね。だったらわかるわね?」

「部隊の中に情報取得系を入れておいたところで、タイムラグが発生するのは意味がない。最初から部隊全体がそこまでのレベルで情報取得ができることが条件ならば、そもそも情報取得系の人材など必要ない――か」

「そういうことよ。もちろん、ケイオスと兎仔、メイリスみたいな三人一組なら、やりようはあるのだけれど」

「確かに、見る限り連携が取れていた。僕なんかは、あちこち壊したくなるから駄目だな……」

「そうでもないわよ? 少なくともあの三人の中に入れば連携はできるわ。――七八の存在が全体レベルを落とすけれどね。肩を並べることがどういうことか、よく考えなさい。それの必要不必要は別としてよ」

「これは興味本位だが」

「そうやって前置するのはいいことね。なに?」

「鷺城と肩を並べられる人物は存在するのか?」

「そうね……私に合わせてくれる人物なら、少なくとも二人はいるわよ」

 セツとウィルだ。あの化け物どもならば、こちらのレベルに合わせてくれる。

「ただ領域がまったく違うから、本当の意味で戦場を共にできるのは――現実的には一人、あるいは二人ね」

 かつてそうだったように、朝霧芽衣ならば、あるいは。

 そしてもう一人はエルムレス・エリュシオン――師にして、同じ魔術特性の所持者。

「僕は、あの三人から鷺城のことを聞かされた時は、話半分だと思ってたんだけどな……」

「事実は誇張されるものよ」

「誇張されてる部分もひっくるめて、全部事実じゃねえか。まあいい、とりあえず子爵の防壁を壊すことだけ考える」

「そうなさい――と」

 ちょうどいいタイミングで並んで来たので、鷺花は立ち上がる。紫月の方が髪が長く、背丈こそそう変わらないものの落ち着いた振る舞いだ。

「なんや用やってん、鷺花じゃろ? 七やんから聞いとるよ」

「うちもいた方がええんかな鷺やん」

「や、大したことじゃないのよ。茅が日本に戻ってるって――」

『え、誰なのソイツ』

 平坦に、声を揃えて二人は即答した。

「――や、冗談だがや。そんな顔せんでもええじゃろ。ばってん、けーってきとるとは知らんかったがー」

「茅、どないしとん。生きとるんは彬さんから聞いとるけんども、それ以外なんもだ。のん」

「そうじゃのん。ほんで?」

「住処は知らないけれど、うちの実家で鍛錬中よ――ああ、実家っていうのは雨天ね。暁のところで」

 がたりと背後で物音、なごみが不思議そうに首を傾げて七八を見ているが、鷺花は振り返らない。

「暁先輩のとこなん……茅はほんでも、糸は捨て切れんかったっちゅーことかい」

「彬が伝えてたことはなんとなく察していたけれどね、それでも手土産にはなったでしょう? 七さんの代わりだけじゃ申し訳ないもの」

「あはは、そんな気ぃ使う必要あらへんのに、律儀じゃのう。けんども、ありがとうなあ。うちもたまにゃ先輩んとこ挨拶しに行くきに、逢ったら捕縛しちゃるけん」

「茅も顔出しにくいんとちゃうんか、おっかあ」

「馬鹿よね。子供はいつだって、親に顔を見せることにためらいなんて持たなくてもいいのよ。望まれようとも、望まれていなくても」

「鷺花はよう知っちょるね。その通りや。言われれば翔花やんにも、最近はご無沙汰じゃの……たまにゃ全館休みにして、なごみも行こか」

「それもええね」

「ほんじゃ、鷺花もごゆっくりなあ。夕食は十八時からや。それと館内は何やってもええねんけど、器物破損は相場の三倍ふっかけてるねんで、気ぃつけるといいがー。あと屍体の始末とか断固拒否じゃ」

「あらそう、わかったわ。お風呂は?」

「温泉やな、男女仕切ってあるし、基本いつでもいいがー」

「ありがとう。時間取らせて悪かったわね」

「ええよん。鷺やん、なんか必要やったらうちに声かけといてな。今日は五人しかおらへんし、暇なもんじゃ」

「はいはい、暇潰しの相手はしてあげるわよ」

 ひらひらと手を振った鷺花は苦笑して、再びソファに腰を下ろす――と、いつの間にか七八は端末を閉じていた。やや俯き加減で目頭を押さえている。

「どうしたのよ」

「わざとだろ……」

「頭の回転だけは早いわね。そう、半分はわざとよ。説明するだけなら、ただ雨天のと言えばいいだけだもの。もっとも紫月さんは、私を知ってたみたいだから」

「雨天暁、小波翔花――間の子は雨天紫花、くらいしか知らなかったんだぜ」

「調査不足は指摘したわよ」

「だったらなんで槍なんかの教官に……いや言わなくていい。興味が向いたら調べてやる」

「その意気よ。忠告をするなら、そうね、地続きで調べると途中で消えてるわよ。私の経歴、そういうものだから」

「消してるのか?」

「消えてるのよ、今はまだ。それより、ちょうどいいわ。術式の研究はしてる?」

「僕だって獅子を継いで、それで終わりとは思ってないぜ」

 瓦解の獅子――それは、魔術師協会が認めた切断術式の最高峰とされる二つ名だ。実際には獅子ししうじ四時しいじ、現ランクA狩人〈矛盾する逆説コンシステントパラドクス〉が所持していたものである。その後継者として七八がいるわけだ。

「確かに師匠は獅子を捨てたけれど、今の僕でも至らない。精進は欠かせないだろう、それは僕だけじゃなく、だけどな」

「……でも煮詰まってるでしょう」

「は?」

「わかるのよそのくらい。兎仔とは違って成長できる部分は多いけれど、そこから先は壁が大きいものね。ちょっと基本的な切断術式を構成してみなさい」

「なんだ急に」

「いいから」

「何かを切れってことじゃないんだろう? まあいいが……」

「……ん。やっぱりね。実行しないで構成だけ可能な最大レベルは見せられる?」

「見せるっつーか、やるくらいならできるが」

 一瞬だけ気配が変わる。それが魔力の微弱な流れであることを感じながら、鷺花は頬杖をついて吐息を一つ落とした。

「なるほど。つまり最初の基本的な術式を徹底的に教わっていて、ほかのことに関しては何も、というのが実情でしょう。間違ってはいないけれど、どうなのかしらね」

「……? そういえば鷺城も切断術式が使えたな」

「そうね。それよりも」

 鷺花は言いながら、周囲に展開式を出現させた。もちろんそれは鷺花のものではない。

「角形の複合図なんて、性格が出てるわよね。誰彼構わず、壊せるか壊せないかで判断してると痛い目に遭うわよ」

「もう遭ってる……つーかなんだこれ、僕の構成の展開式だろう。どうして鷺城が」

「言わなかったかしら? 私は魔術師よ。このくらいのこと、意識しなくたってできるわ」

 もちろん、そうなるための努力はずっと昔からやってきたのだ。今だからこそ言えるのである。

「悪くはないわよ? 汎用性もあるし、切断することにきちんと特化してる。これなら距離もほぼ無視できるし、制御系も整ってる」

「そして僕の展開式を読み取ってんのかよ……どういう化け物なんだ、あんたは」

「いいから黙って助言を聞きなさい」

 二度はないわよと言って、鷺花は続ける。

「何をどうすれば、とは言わないわ。けれど現時点で切断の最高峰と呼ばれているのは、一般的にだけれど、あのExeEmillion No.4よ。特性は知っているわね?」

「いや――現存するかどうかも知らない」

「あらそう。所持者も教えないけれど、コンシスは〝空神ブランク〟を継ぐ気がないのかしらね。――あれは法則そのものを切断可能なナイフよ」

「待ってくれ。法則なら完全に上位構造じゃないか」

「そうね。それが?」

「あくまでも魔術は、法則を扱っているだけで、法則そのものには干渉していないだろう」

「……そう。いいわよ、それを前提とした上で、四番目が法則を切断可能な現実に対してはどのような解釈をするわけ?」

「だからそれは術式ではなく法式の――」

「法式を武装化可能だと? だとするのなら、法則を切断する法式の存在理由を証明して欲しいものね」

「……しかし」

「否定するよりも前に、壊すよりも前に、肯定可能な理由を模索なさい。まったく、協会の魔術師でもそのくらいのことはするわよ。――あんた」

 鷺花は言う。

「自分の立場に胡坐かいてんじゃないわよ」


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