09/13/00:50――鷺城鷺花・継承者
余白があまりない――という言葉を、鷺花は肯定しなかった。
ある意味で兎仔はもう完成している。躰も、精神も、魔術も、これ以上を望めない形で終わりを迎えているのは確かだが、だからといって伸び白がないという言葉には肯定できない。
もしも余白がないのなら、伸び白がないのなら、こうして日付が変わった夜も深い時間に一人で射撃訓練などしないだろう。
かなり早い段階から気付いていた鷺花だが、こうして直接見にくるのは初めてだ。地下にある射撃場までの移動は空間転移を使用したけれど、兎仔はすぐに気付いていて、そのまま訓練を続けている。だから鷺花も壁に背を預けて腕を組んだ。
足元に積まれた弾丸はおよそ七百発。シグザウアー、P226だから九ミリ、弾装は十五発。単純計算で五十回弱のマグチェンジが必要になる。マンターゲットに空いている穴は五ヵ所。サイズは三センチほどだが、弾数がもう少ないところを見るに、すべて的中させているわけだ。
やがて、最後の一発が終わって――吐息。
「いつまで見てんだよ」
「撃ちたくなる?」
「いや鷺城を撃ってどうすんだ……ってネグリジェかよ。なんつー恰好してんだ」
「そりゃ寝る前だったもの。大丈夫よ、兎仔が愛用してるかぼちゃパンツのことは秘密にしといてあげるから」
「愛用してねえよ!」
「寝る時は全裸だものね」
「服くれえ着る。つーか、着たままだ」
「知ってるわよ、なに当たり前のこと言ってんの」
「なんだ、お前、その……――脱げばいいのか?」
「真顔で混乱してんじゃないわよ、ったく……」
脱げば解決するわけでもないだろうに。
兎仔は吐息を落としてからすぐに片づけを始める。空薬莢だけでも山になっているのだ、面倒は早く済ませたいのだろう。
「弾丸は直線にしか飛ばない。そういう意味で、兎仔との相性は良さそうね」
「そうか? つーか、本気であたしのこと知ってんのな」
「あの時は言わなかったけれど、私はまだ独自の情報ネットワークを所持しているわけではないのよ。だから今の私にできるのは、自分の目で見て確かめるだけ」
「なんだ、ぶっちゃけるのな」
「同じくらいの年齢だし、いいでしょう。だいたいほかの子たちは、私を実年齢通りに見てないからね。失礼しちゃうわよ」
「そりゃ鷺城に原因が多くあるだろ……それで?」
「見てわかるのはあんたの目と、肉体……というか血に込められた術式ね」
「――わかるのかよ」
手を止め、呆れたように肩を竦めた兎仔は、また作業を開始する。
「あんたみたいな魔術師なら、誰でもわかるってんなら、今後の生き方も変わってくるんだけどな」
「私みたいな魔術師がほかにいるなら、ね」
「ふうん。じゃ、そう悲観するもんでもないか」
「その目の名称は知っている?」
「いや――あるのか」
「魔術師協会では〝
実際にはそう簡単なものではない。それは特異で、魔術研究の偶発的産物でしかなく、血統に対して有効な継承はあるものの、事実上、論理的に構築することはまだしも、現実として発揮するのは難しいものだ。
似たようなものは作れても。
創れはしない。
「だから動きが直線になりやすい。破壊点、あるいは線、そういったものが見えるからこそ……だけれどね。それを増長させてるのが、その肉体再生術式」
「そりゃあたしっだって、鷺城が来たのとそう変わらん時期にここへ来て、それ以前に殺しを稼業にはしていたけどな、痕跡残ってねえだろ。アキラ大佐が消してるはずだ」
「――うん、まあ、なんていうか」
ちょっと頭痛がする。複数のことを思考し過ぎた。こんなところで、そんな名前を聞くとは思わなかったのだ。
アキラ――雨天
たぶん当人だ。それは鷺花の祖父でもある。
「魔術に関してはね、私にとっては――そう、常識なのよ。それが魔術である以上は私の領分よ。知らない、では通らない。知ろうとしないでは認められない。それでも、可能性を代償にするだなんて、馬鹿な真似をしたものね」
「あたしがやったわけじゃねえし」
「いや、あんたを改造した馬鹿に言ってんのよ」
「もういねえぞ」
「知ってる。厳密な代償を言うつもりはある?」
「……参ったな」
そこまで見抜いてるのかと、兎仔は苦笑するしかない。
可能性を代償にしている。それは――今まで兎仔が未来における何かを代償にして、破壊された肉体をその術式で再生していたことを示している。
鷺花は。
何の可能性を消費しているのかを問うているのだ。――何を失って、代償にして生きてきたのかを。
暗殺稼業に子供が使われることは多い。だがそれも相手の油断を誘うための消耗品でしかなく、気分の良い話ではないがよくて二人殺せばそれで殺されてしまうのが一般的だ。そんな中で生き抜いてきた兎仔は、真理眼もあるけれど、むしろ肉体再生に依るところが大きい。
「今のところ支払ってんのは……〝成長〟だ」
「ばあか」
「うるせえ」
その選択が意識的なものか無意識的なものか――おそらく、後者だろう。けれど見返りに対する代償としては、良い選択になってしまう。
肉体再生は、器が固定されていた方が効果的だ。肉体成長という不安定要素そのものを代償にして安定させ、効果を得る。
けれど、そうであったとしても本来あるべき成長を止めてしまっているのだ。成長の余白が少ないのも、これが原因だろう。それでもまだすべての肉体成長を消失しているわけではなさそうだが。
「まあ……だから、鷺城にはそれなりに感謝してる。あたしがそうならないよう、捨て身の行動を抑制する方向で訓練してくれてるだろ」
「育成は、対象の観察から始めるものでしょう。私だって誰かを育てるなんて真似、初めてだったんだから、慎重にもなるわよ」
「初日で気づいた。キースレイと戦ってた時にな。さすがにあたしも、正面切ってあれだけの戦闘ができるとは思ってなかったから、それなりに落ち込んだぞ。――殺せない、そんな判断をまだ持ってるあたし自身に気付いたからな」
「判断基準としては間違いないわよ? もちろん、自覚してないなら問題だけれど」
「予言されたからな」
「フェイに?」
「――」
即答はせず、掃除を終わらせて、使っていた拳銃の分解整備を始めてから兎仔は言う。
「調べてなかったんじゃねえのか?」
「情報ネットワークはないけれど、不自然な知り合いはいるもの」
「なんだそりゃ」
「たとえばベルとか」
「……」
「――なんてね」
「冗談か」
「うん? 冗談でもないけれど、実際には気になったからジェイに調べさせたのよ。とはいえ二人ほどコンタクトを取ってもらっただけ。銃神のフェイに見初められたんだから、嬉しいでしょ」
「馬鹿言え。まだ最低限のノルマしか与えられてねえぞ」
「そう。……銃神、そして
「あたしは知らね」
「でしょうね。ふうん、じゃあ後継者候補ってところか……それならそれなりに鍛えてあげてもいいけれど、そのためにはフェイとコンタクト取らないといけないし」
「鷺城だってハンターライセンスを持ってるわけじゃねえんだろ?」
「もちろんよ。必要ないもの」
「ありゃあったで便利じゃねえか」
「どうかしら。まあでも、いつでも取得できるものなんて後回しでもいいじゃない」
「いつでもって……一般教養もいけるのかお前」
「うん? カレッジまでなら一通り終わらせてるわよ。ハンターズライセンスのテストもペーパーは何度かやってるし、合格もしてる。二次からは面倒だしやる気もないから棄権……というか出席してないけれど」
「そういうのも、英才教育って言うのかね」
「詰め込むだけ詰め込んでるだけよ。あんたと違って、私には時間がたっぷりあったからね。ここ一年くらいサバイバル生活していたけれど、快適だったわよ?」
「本気で鷺城の経歴が知りたくなってきたな」
「そのためには、せめて名を継ぎなさい。そうすれば簡単――とは言わないけれど、調べられるはずだから」
「つまり、そこまで昇らなきゃ無理だってことか」
「それはそうよ。だってフェイやベルの経歴、現状では調べられないでしょう?」
「連中と同じか、そりゃ無理だ」
「けど――ん、そうね、世代交代の時期でもあるのよね。ちょうど今、私たちくらいの年齢が後継ぎになりつつある。世界的にね」
「そういう傾向ってことか」
「ま、早くとは言わないけれど、こっちまで来なさいよ。そうすれば退屈せずに済むし。私だって望んで得た地位じゃないから、面倒なのよね」
「じゃ、何を望んだんだよ」
「魔術師で在ることよ」
徹頭徹尾、それだけは変わらない。
いつだって鷺花は、それを望んできた。
「その割にゃ、随分と戦闘の腕が立つ」
「魔術にだって実践は欠かせないもの。特に私は座学を中心にしていたから、実践で経験を一気にやったから身に付いただけよ。上手いこと、相手もいたしね」
「その相手ってのも、相当に腕が立つんだろ」
「ん……どうかしら。でも一人だけ、同い年くらいの子もいたのよ? まあここ一年間、お互いに殺し合ってたんだけれど……まあ訓練ね」
「殺したのか?」
「だから訓練って言ったでしょ――と、そうか、兎仔にはまだわからないか。本気で誰かを殺そうとしながらも、殺意は充分、狙いも違わず、必殺の意図を以ってして殺さない」
「矛盾してる」
「そうよ、矛盾ね。けれどそういうこともできるのよ」
「ふうん……うっかり殺しちまいそうな感じだけどな」
理解は、たぶんできないだろう。
相手への信頼があってこその殺意など、仕事で殺しをしてきた兎仔にはわからない。
――いや、うっかり殺しそうにもなったけどね。
コンマ三秒のタイミングだった。避けた朝霧はどうも思っていなかったようだが、鷺花はひやりとしたものだ。
「鷺城。ここから先に進むために、何が要る?」
「どこに進むのかも知らないのに、助言なんてできないわよ。ただ、ああこれは次の訓練でも言おうとは思っていたけれど、もちろん兎仔以外にもね。ともかく、――時間の裁断と先読みは鍛えておいた方が生存率は上がるわよ」
「手を読むのはわかるが、時間の裁断ってのは何だよ。魔術か?」
「魔術じゃないわよ。そうね……拳銃を貸してちょうだい。弾は入ってないわよね?」
「ああ」
受け取り、念のために弾装と薬室の中を確認して安全装置を戻す。
「――なんだ、慣れてるな」
「五百発も用意してくれるなら、見せてあげてもいいけれど、それは平時にね。汗は掻きたくないし」
「じゃあ寝間着で来るなよ……」
「うっさいわねえ」
ともかくと、一息を落として鷺花は条件を口にした。
「射線くらいわかるわよね?」
「そりゃな」
「条件はまず、私に触らないこと。遮蔽物を使わないこと。いや使ってもいいんだけれど、それだと弾丸を使わないと理解できないでしょうから、やっぱり使わないように。――今から、私が腕を上げて銃を構える。銃口の狙う先は兎仔の頭よ。近づいても離れてもいいから、銃口から逃げてみなさい」
「……? まあ、いいぞ」
「ん」
素早く腕は上げない。ゆっくりと、しかし真上にではなく揺らすようにして腕を上げて、床とほぼ水平の位置で拳銃を止めた。
なんでもない動作。
自然とも呼べる当たり前の所作。
「どうしたのよ」
「もう一度」
ぴたりと額に銃口を向けられた兎仔は、睨むようにしてそう言った。だから同じことを繰り返す。
兎仔だとて動いていないわけではない。フェイントや攻め気を使って誤魔化してはいるが、それを鷺花がすべて見破っているだけで、兎仔も下手ではないのだ。
「――おい、攻撃していいか?」
「三度目の正直? いいけれど、その方が余計にわからないわよ?」
「行くぞ」
だらんと拳銃を下げたのが合図、兎仔の動きは直線から横に弾く動きから側面へ行くと見せかけて正面のまま――およそ二秒になるかならないかの駆け引き、移動速度。
けれど。
鷺花の伸びた腕よりも先にまでは踏み込めない。
そもそも、最初から側面へ動こうとするための、力の移動における僅かな停止時点で銃口はもう兎仔を捉えていた。
「く……」
「はい、じゃあ銃口から逃げてみなさい。五分あげるわ」
逃げられるはずもないのに、時間をやるのは鷺花が教官だからだ。
そもそも、一手という感覚が違うのだ。極限の状況下では脳のリミッターも外れるので一秒すらコマ送りに見えるのだが、そうしたものを意図的に引き起こせなければ鷺花の領域にまではこれないし、そもそも引き起こさなくてもできる。
腕を上げる、銃口を向ける、それを一手とは捉えない。鷺花にとっては肩に力を入れる、肘を動かす、動かしながら手首で照準を考え、相手の行動範囲を狭めつつ誘導しながら指先に力を入れ、照準と同時に撃つ。
動き始めから発砲――弾はないからやってはいないが――まで、およそ八手。もちろん思考はまったく別だ。兎仔の行動を読み取りながらいくつものパターンを思考しつつ、そこから攻撃手段まで選択しているのだから呆れるしかない。もっとも、朝霧のような手数の多い相手でも同じことはしていたが。
「――はい五分。これ以上は嫌よ、汗が出そうだもの」
ほぼその場から動かず、くるくると躰を回転させるだけで銃口を外さなかった鷺花は、そこで終わりをつげ、銃把を兎仔に向けて差し出した。それを、やや息を切らせた兎仔が受け取る。
「動きは悪くないんだけどね。そんなんじゃ、いつまでたっても私は追い抜けないわよ。じゃ――おやすみ。汗の始末はちゃんとしときなさいよ」
四時間くらいは寝れるかと、空間転移(ステップ)をした鷺花は、兎仔を置いて自室に戻ってベッドに転がった。
余白が少なくとも、なかなか、見どころのある相手だ。もっとも現状では、朝霧にも至ってはいないが――まあ。
しばらくは見守ってやろう。
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