11/08/14:50――鷺城鷺花・三番目の刃物
輸送ヘリの中は快適だった。
もちろん護送用ではなく、敵地への降下を目的としたアパッチであるが、輸送には違いないとパイロットは笑っていて、本来ならば文句を言っても良さそうなものだけれど、鷺花もそういうノリは好きだったので肯定しておいた。
神鳳雪人のことがぐるぐると頭の中を回っていたが、道中半ばの辺りで蓮華の一手がなんとなく読み取れたため、次の機会でいいと後回し。到着までは連理の法式構成を思い出してあれこれと思考をしていたので、ほとんど時間を体感していない。
ちなみに、着陸はなかった。仕方ないので術式で風を操りつつロープもなしに飛び下りたのだが、着陸可能なくらいの広さはある草原だ。ぐるりと周囲を見渡してから術式を展開する。もちろん表立ってのものではない、考えられる限りの隠行を付加した上で、だ。
調査を基本にした術式は地表を這うようにして展開し、立体的な地図を脳内に浮かばせる。いわば地形調査と同じだ。
「お――時間通りじゃねえか」
出迎えが早いなと思いながら視線を向けると、成年男性にしては小柄な人物が歩いてきた。口調はともかくも物腰と顔を見る限り、おそらくは五十間近か過ぎた辺りの年齢だろうか。鷺花の知る人物だとエミリオンと近いかもしれない。
「ジーニアスだ。ジニーでいいぜ」
「
「そりゃ俺はアメリカンだけどな、ここじゃ日本語で通してる」
「そう。鷺城鷺花よ」
軽く握手をして、ジニーは僅かに眉根を寄せてから背を向けた。
「こっちだ」
「さすがね、ランクSS狩人〈
「それ褒めてねえだろ。だいたい俺は引退してるっての。読み取ろうと思えばきっちりガードしてやがって、しかも俺のガードをあっさり破って読みやがった」
「だから、それが瞬時に理解できたのを褒めたのよ?」
「エルムの仕込みを評価するべきか? いや、あいつは何もしねえか……エミリオンなら尚更な」
「ところで、私はここへ何のために呼ばれたのかしら」
「聞いてねえのかよ。あーそうだな、戦闘訓練のため、だ」
「そう」
「あっさり認めやがって……」
「いいから、この場所の説明を」
「俺の私有地だ。場所は……ま、どこだっていい。山奥だ。買い物をするのに車で一時間。範囲としちゃこっから見える山がそうだ。ある種の山村を想像すりゃいいが、生活してんのは俺と弟子が一匹だけ」
「田畑の手入れも?」
「そりゃ食料としちゃ安定するから当然だろ。つっても自給自足とまでは言わねえな」
「隠居生活には早いわよ」
「うるせえな、どこぞの誰かみてえなことを言うな」
「現役をもう少し引っ張りなさいと言っているのだけれど?」
「そりゃまあ、上と下の格差っつーのがやっぱ問題に……って、ハンターにも詳しいのかお前」
「それほど詳しくはないわよ。ただ調べたことがあるだけ」
そもそも、無自覚ではいられなかったのだ。セツも傍にいたし。
「それで? どうして私だったわけ?」
「いや……弟子の育成で困ってたら、日本の鈴ノ宮から打診があってな。ま、そこを独自に辿ったらエルムに至ったってわけだ」
「まあそうね、あの馬鹿師匠が正面から何かを頼むわけないし」
「鷺城は納得してんのか?」
「別に気にしてないわよ」
憎たらしいが、不必要なことなどエルムは押し付けないし、不要なものなど世の中にはない。ただ無駄があるだけだ。
「戦闘技術には不満もあったし、これだけ広いならいろいろ試せそう――」
草原から田舎道に出てしばらく、白を基調にした家が見えたが、その隣には明らかに手作りの小屋が存在し、そのツタを組んで作った入り口の風避け付近に座り、拳銃の手入れをしている少女に目を奪われる。
日本人の風貌に――ではない。
顔を上げたその瞳は細く、どこかやつれたような表情なのに生気が宿った雰囲気そのものは少女が持つものではなく、熟練した兵士が持っているような強さだ――が、それよりも、その術式に。
「メイ、しばらく訓練はこいつと一緒にやる。いいな」
「構わないが……」
手早く拳銃を組み立てた少女はそれを腰裏に差し込み、軽く裾を払うようにして立ち上がった。
「
「――鷺城鷺花よ」
今度は鷺花から手を差し伸べて握手を求める。一度視線を落とした彼女は、軽く首を振って拒絶しつつ腕を組んだ。
「……そう」
「すまんな」
「いいえ、正しい判断よ」
「――さて、約定を設ける」
瞬間、睨むような視線を向けた鷺花はジニーを指した。
「ちょっと朝霧、こいつ何時代の人?」
「大正生まれでないことは確かだが、古臭い言葉を意図して使う若者も近代には溢れているが?」
「ああ、ただのガキって可能性もあるわけね……」
「お前ら聞けよ。いいから規定を行う」
「言い直さなくてもわかるわよ」
「鷺城、よしておけ。――優しさは大事だ」
「あーもういい。いいか? これから戦闘訓練を行う」
さすがにそれ以上の無駄口はなく、ジニーの言葉を聞く。
「お互いに殺し合え。だが、殺すな」
「諒解だ」
「わかったわ」
むちゃくちゃを言っている――とは思わない辺り、この二人はどこかおかしい。おかしいが、ジニーを含めた彼らにとっては当たり前のことだ。
「ただし期限は区切る――っと、メイはともかく鷺城、時計はあるか?」
「体内時計は狂ってないわよ」
「ならいい。今が十五時だから、とりあえず初回は一八○○時から翌日まで二十四時間だ。それ以上の延長戦は禁止――あと、途中で俺が止めた場合もだ。場所は私有地の内部だから、今の内に案内を」
「必要ないわよ。確認だけ朝霧にしておく」
「……ま、好きにしろ。武装が必要なら後で言え。メイも弾丸やら何やらはきちんと俺を通せよ。必要なら発注もしといてやる」
「とりあえず九ミリを五百、7.62ミリを百だけ用意しておいてくれ。それとレミントンの700だ」
「オーケイ。時間までは好きにしろ。メイも定期訓練は一時中断だ」
「ああ」
ジニーは家へ入ってしまい、鷺花は近くに落ちていた小枝を拾う。
「鷺城は武装の必要がないのか?」
「馬鹿ね、そんなの一度手合わせすればわかることでしょ」
「む……それもそうか」
「でもま、軍式の訓練が中心かしらね」
「見ての通り、躰を酷使することには慣れている。それより、敷地の把握ができているのか?」
「できているかどうかは朝霧が確認しないと確定しないでしょ。朝霧はわかってるのよね?」
「もう四年もここで過ごしている。山も走り回っているし、小屋での生活も慣れたものだ」
「実地で慣らしてるなら、それこそ確認して欲しいわね」
「ほう――」
かりかりと足元の地面を削って描かれた縮図を見て、驚きの声を上げた朝霧は頷きを繰り返す。
「境界線には杭が打ってあるわよね。三角点……とは違うようだけれど」
「さすがだな、合っている。複写して手元に置いておきたいくらいだ」
「馬鹿言わないの。これを実地で再確認しなくては地図にならないわよ」
「慎重だな」
「当然のことよ。それより、いいかしら」
「なんだ? 答えるとは限らんが」
「その変な口調のことじゃないわ」
「放っておけ」
「――アサギリファイルって知ってる?」
「知らない、と答えておくようにしている」
それは知っているのと同義だが、それ以上突っ込んでも答えられないと示している。上手いとはいえない返答だけれど、対応としては及第点だ。
「そう。私もただ知っているだけだから、詳しく訊きたいとも思っただけよ」
「なるほどな。当てが外れたか」
「そうね。ただ、縁が合った仕組みについては少しだけ」
アサギリファイルが絡んだ事件は、調べた限りで鷺花がエルムに引き取られたのと同時期だ。たったそれだけのことでも、縁が合う理由にはなる。
それに。
もう一つ、大きな理由もあるけれど。
「しかし、殺し合え――か。なかなかに殺伐としていると思わんか?」
「そうねえ……殺す気でやれ、殺せ、この二つの違いが理解できてると評価された――あら、なにか上から目線で嫌ね」
「ふむ、その辺りが同意見なのは構わんが、戦闘経験はあるのか?」
「ほとんどないようなものよ。何しろ、こんな広い範囲で対一戦闘だなんて」
「ああ――それならば、私もそうか。師匠との手合わせとは違う」
「え? いいわね朝霧、師匠と手合わせできてるんだ。私なんかしたこともないわよ」
「私の身近にはアレしかおらんからな……」
「ま、一応言っておくけれど、全力できていいわよ」
「訓練は常に全力でやる」
「だから一応、よ。それにたぶん、一日だけで終わらないわ」
「――どういう意味だ?」
「馬鹿ね、区切りはつけるけれど一度だけで訓練は終わらない、という意味よ」
「ああ……なるほどな。では長い付き合いになるかもしれん、そういうことか」
わかってないな、とは思ったがあえて口にはしなかった。次の訓練のための布石を今回の訓練で行う――たとえば罠系の術式を仕込むことなどが有効的だと示唆したのだが、伝わらなかったらしい。
「さあ? どのくらいになるかまでは聞いてないもの。でも良い機会だし、いろいろ試してみたいこともある。途中で諦めて放り投げないでよ?」
「強気だな」
「勝ち負けじゃなく、ただ試したいだけ。強気も弱気もないわよ」
「ふむ、そんなものか」
お互いに雑談に興じつつ、食料の確保などの話題を中心にして過ごし、定時の十分前に出て来たジニーが玄関口に弾丸を積み、狙撃銃を朝霧に手渡した。
「さて――家を中心に五十メートル以内には、五分以上留まることを禁じる。で、わかってるとは思うがその範囲内に存在する以上、一切の攻撃をするな。家を壊されちゃたまらんからな」
「わかってるわよ」
「できるだけ使いたくはないものだが、どれ師匠、弾丸を運んでは貰えんのか?」
「知るか」
「諒解だ。一切期待はしていないから安心しろ」
「お前な……まあいい。時間だ。まずは――地の利があるメイが後追いしろ。鷺城が出て二十分後のスタートになる。いいな?」
「ああ」
「いいわよ」
「なら開始しろ」
会話をしながら充分に休憩はしたし、そもそも今日は躰を使っていない。温存も考慮するけれど、まずは己の限界がどこにあるのかを知るのが最優先だ――そんなことを考えつつ、ひらひらと手を振った鷺花は徒歩で移動を開始した。
「――走らんのか」
そんな呟きも背後で聞こえたが反応せず、鷺花は走らない。流動する自然の空気はやはり心地よく、陽が落ちようとする時間になるとやや湿度が高くなり、これが雨の気配なのかどうかまで確信が持てない現状から、やはり最初は〝見〟――つまり情報収集が必要だと思った。
舗装されていない道を十分ほど歩いてから、一番近くの山へ入る。
登山のセオリーは迂回することだ。傾斜に対し正面から挑めば短距離だが、疲労は倍どころではない――けれど、足元に術陣を展開した鷺花はすいすいと直線移動で登っていく。
独自の解釈で呪術を織り交ぜた術式は身体強化系だ。呪術の根源は妖魔の世界に至ることだけれど、その作用は技術の底上げに等しく、それが結果として強化へと繋がる。その辺りを都合よくチョイスした術陣だが、それならば魔術での身体強化を行った方が手早い。だからできたことよりもむしろ、これがどの程度の違いを見せるかが問題だ。
山の中腹で二十分を超えても、鷺花のペースは変わらない。むしろ浮き足立つ己を自制するのに一苦労だったりもする。
この場所は停滞していない。ただ、当たり前の時間が流れている――それが嬉しくてたまらない。
「っと、いかんいかん。戦闘訓練だった」
このまま自然を感じていても始まらない――頂上付近に到着した鷺花は、ふうと腰に手を当てて山を見下ろす。
実際に感知できていなくとも、鷺花がどうやって地形把握をしたのかは想像されているだろうし、隠さなくてもいいかと、判断を下しつつ青薔薇を起動、そして。
地表を走らせるようにして、おうとつを含み把握した術陣を、地表から上空まで一気に上げた。こうすることで三次元方向、つまり立体を得ることが可能で、特に障害物の形を把握できる。とはいえ平面から立体への情報量は多すぎるため、青薔薇にまず処理をさせて順次鷺花自身へと送るかたちをとった。
すぐに、朝霧の位置が把握できる。彼女の魔術特性は特徴的なので見間違うことはない。
――気付いたかな?
特に目立った対抗策はないようだ。気付いていないのか、気付いても手立てがないのか、あるいは手立てがあっても瞬時に対応できなかったのか。
ともあれまずは朝霧がどの程度できるのかを確かめるのが先決だ。自分よりも上ならば遠慮はいらないので、どちらかといえばそうあって欲しい。けれど、下であってもやりようはある。
布石は打っておくべきだ。結果がどうであれ、準備をしておくに越したことはない。
足元に術陣を展開し、軽く踏んでやると地表に吸い込まれるようにして消える。そして、鷺花は来た道を戻るかのよう一直線に下山を開始した。
広いフィールドでの戦闘は難しい。相手をきちんと見ることなど当たり前だけれど、それでも大勢での戦闘でなければ隠れられるし、罠も仕掛けられれば――逃げることも、あるいは簡単になる。だからといって鷺花は、陣取り合戦をするつもりはない。
鷺花にとっての陣とは即ち、今ここに足をつけている場所なのだから。
適当な木の上で停止した鷺花は、自分が出てからそろそろ一時間が経過しているのを確認する。山頂で時間を潰したこともあって、朝霧にも三十分の猶予を与えた――つもりだ。実際そうであってもなくても、フェアを前提にしているわけでもなし、どうでもいいけれど目安にはなる。
同じ山に朝霧もまた登ってきているが、まだ距離はある。慎重になっているのか、あるいは待ち――いやいや。
「ま、試してみるしかない」
相手を知るには時間をかけるか、乱暴なのを自覚した上で試すかのどちらかだ。選んだのは後者、鷺花はその場から上空に身を躍らせた。闇が落ちた山の中、木木を見下ろすようにして指定のポイントを目指す。もちろん術式を展開して身体強化、落下速度の制御などは行っている。
急速落下からの着地はひどく静かで、間違いなく不意を衝いて朝霧の背後にぴたりと、視線の先を合わせるようにして移動が終わる――背後をとってすぐに袖口から引き抜くナイフ、右手に順手で持ち首筋を狙って真横から突き刺す。
避けたか。
そう思ったのはナイフが首へ近づこうとした瞬間、前へ倒れるような動きをした朝霧は左肩を強引に上げるよう身を捻ってこちらを見ようとする行為に、本来ならば前進することで朝霧の腕をくぐり関節技に持ち込むのだろうけれど、その戦術を想定できても、そもそもサブミッションの技術を鷺城は持っていない。ゆえに、次の一手に対する回避を選択し、攻防が逆転する。
肩を上げる動作のまま、左手のナイフが翻る――狙いはやはり首か、顔。だから鷺花は膝を曲げることで頭の位置を下げ、足元、いや、足裏に見えないよう術陣を展開。
振り返る、朝霧の視線が頭上から瞬間的に移動して鷺花の瞳へ、そのまま。
右手に持っていたナイフが突きの動きをとって躰の回転は停止し、腕が伸びきるよりも前に鷺花は曲げた膝を伸ばす動きで後方に大跳躍した。
五十メートルをたった一跳躍で越える――瞬時に腰裏から引き抜いた拳銃は左手に、五発ほど連続するのに三秒、青薔薇からきた報告で術式反応なし、発射点に障害なしとわかったため、笑ったまま二度目の跳躍と共に背中を向けて疾走を開始した。
反応速度はかなり高い。あの不意打ちを、着地時点ではなく飛来する空気の揺れ動きで反応していた。それに驚きはあったようだが、それよりも行動を先にする辺り、随分と鍛えられている。
――やっぱり〝組み立て〟の術式ね。
手元に出現した術式はずっと目で追っていた。格納倉庫(ガレージ)から取り出したのではなく、体内に貯蔵しておいた独自の物理元素を術式によって組み立てる――逆説、それは貯蔵が行える、分解を基本としたものだ。
けれど、組み立てたのが一般的なサバイバルナイフだったのが気にかかる。
疾走の途中で家の近くを通ったので術陣を道路に仕込んでおく。
さてと、夜はまだ始まったばかりだ。せいぜい楽しむとしよう。
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