01/10/06:00――刹那小夜・開始の合図

 えらく手際が良い――枝に両足を乗せてしゃがんでいるスーツ姿の男、ランクS狩人〈女王陛下の御心ビショップビハインド〉はその光景を実に楽しそうに見ていた。

 ただそこにいるだけではない。気配を隠すのは当然のこと、木枝の位置が実に巧妙でぱっと見ただけでは決して発見できない位置。高くもなく低くもないが、しかし地面までは二メートル前後はあるだろう。人ならば怖いと思う位置にいても、さして意識していないようだった。

 少人数で多勢を相手にする場合、罠は効果的だ。彼らはともかくも相手は人数を把握できているのだから、その油断を突ける。即席トラップの作り方については及第点だが、時間も含めれば上出来と言ってもいいだろう。明らかに慣れている動作で、初見の場所に仕掛けられている。おそらくと前置きするが、連中は引っかかるだろう。

 だが引っかかっても、後続がある。後続がそれを見れば、罠があることは露見するし、一度引っかかれば二度目はない。そういう罠だ。引っかけることができても、大幅に人数を削ぐことはできない。

 気配は隠しているが、警戒が表だって見えている。配置は丸わかりだし、彼らの警戒で小動物が怯えて近づかないのだから、気配を隠している意味がそもそもない。実戦経験でも対ゲリラ戦闘をしたことがない相手ならばそれでもいいかもしれないが、これでは己の位置を相手に教えているようなものだ。

 ――さて。

 彼らがどのような動きを見せてくれるのか。なるほど、確かに慣れた様子ではあるものの、聞いた話では中途入学の二等兵で、まだ一ヶ月しか訓練を受けていないらしい。この状況で勝てる道筋はすべて断たれたようなものだと思いながらも、暇つぶしを兼ねての観戦をするハインドは、結果はともかくも彼らの動き方を楽しみにしていた。

 ――きましたね。

 相手側がきた。気配も隠さず、足音も消せない半人前の軍人たち。それでも上等兵が大半で、兵長が指揮を執っている分隊相手だ。しかも装備にサブマシンガンやライフルまで持ち出している。つまり、この訓練は最初から詰んでいる。

 それもそうだろう。当初の訓練では紅組と白組に別けて演習を行うつもりだったのだから。

 ――おや?

 改めて確認する。だがおかしい。ハインドの察知範囲には三人しか見て取れない。もう一人は遊撃、あるいは斥候にでも出ているのだろうと思っていたが、既に相手は近くにまできている。なのに戻らないというのは、どういう考えだろう。

 いくつかの思考を頭に浮かべながらも、しっくりこない。

 そう、しっくりこなかったのだ。――油断していたから。

 負けるものだと思っていて。

 自分が隠れ切れていると思っていたから。

 気付かなかった。

 真横、ハインドが足場にしているよりも細い枝に直立していたセツが、見下すような視線で発砲した衝撃で首から上を揺さぶられるまで、幹を蹴って着地するまで、気付かなかった。

 彼らが何を警戒していたのか。

 何を察しようとしていたのか。

 ――この合図を待つために……。

 何が起きたのかを確認するまでもない、現実はここにある。ご丁寧に首から肩にかけて真っ赤なペイントがついているのは懐かしいとすら思わないが、それでも。

「あなたは――」

「遊覧ならとっとと失せろ」

「――人を殺し慣れているようですね」

「死人がしゃべるな」

 腰からナイフを引き抜いたセツは地面に下りる。それから頭一つ以上高い男を見上げながら、大きくため息をついた。

「オレは社会勉強中だ、面倒を起こしたくはねーんだよクソッタレ。部外者は船に戻ってろよ。気にするのも面倒臭い。それとも、本当に死ぬか?」

「私を殺せますか」

 直後、喉元に痛みを感じた。眼前にしたセツがいない。

「――余計な殺しはしたくねーな。飽きてる」

 怖い、とは感じなかった。それは恐怖が麻痺しているのでもなく、現実を感じ取れないのでもなく、ただ、この一手でハインドは両手を上げた。文字通り、降参だと。

 今、頸動脈の上にナイフが刺さっている。一押しで切断されるのはわかっているが、べつにそれは回避できなくはない。停止している現状ならば、最悪、つまり死ぬことを回避はできる。

 できるが、無駄だとわかった。何をしてもおそらく、この少女には無駄だ。

 殺すことができる証明があるのに。

 一切の殺意を感じないのだから。

 ――化け物ですね、彼女は。

 どことなく、懐かしさを感じるのは、きっと勘違いだろうけれど。

「では、死人は戻りましょう。終わった後にまた」

「命令でもあるんならな」

「そう手配しておきます。――失礼しました」

「……ま、いいか。べつに戻らなくてもいいぜ」

「おや、そうですか?」

「一応、てめーにも立場ってのがあるんだろ。死にました、なんて戻ったら何を言われるかわかったもんじゃねーし、オレらにとばっちりを食らうのも避けたい。ま、オレだけならべつにいいんだけどな」

「彼らのことを気にしているのですね。――しかし、話をしている暇はないかと思いますが」

「それはオレが決める。てめーにないなら、とっとと行け。だいたいこの程度で音を上げるようなら、底が見えて付き合いが楽になるってもんだ。……ま、そう簡単には行かないみてーだけどな」

 ようやく、そういえば忘れていたと言わんばかりの態度で、セツはナイフを引いて腰の鞘へと戻した。刃が潰してある模擬ナイフを。

「とはいえ、放置しとくのも面倒だ」

「世話が上手ですね」

「あ? あー……ま、乱暴だと言われたことはあるけどな、これでも以前にガキを二匹ばかり世話してたこともある。その時の癖みてーなもんだ。観戦はいい、だが邪魔はするな」

「その点に関しては承知していますよ」

「おう。つっても、だいたいセオリー通りだけどな」

 ふらりと、どこか散歩に行くような足取りでセツはその場から移動を始めた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る