10/17/11:20――朧月咲真・友人の成れの果て

 は、と短い吐息が落ちると同時に、己の躰が強張っていると咲真は気付く。それどころか掌は震え、何も手に持てそうにない。

 いいや、持っていたものを取り落としてしまいそうになる。

 掴めるものも掴めずに、得るものも得られずに、ただ。

「――涼」

 ただ、見届けることしかできない。

 あっただろうか。

 いやなかっただろう。

 ――この男が他人の目を見ずに、その対象へと言葉を投げるのはこれが初めてだ。

 初めてで、たぶんおそらく。

 終わりだ。

「咲真か」

 瓦礫に腰を下ろし、俯き、ただ地面を見ている。何かを追うのでもなく、何もかもを受け止めて――捨てて、あるいは諦めて。

 そこに都鳥涼はいた。

「……そうか、お前が来たか」

「来たとも」

「何故――……いや、どうでもいいか。それ以上は近づくな咲真。殺されたいか」

 ぴたりと近づいていた歩みが止まる。それは、今朝方ここにいた少女が停止した位置よりも二歩ほど遠かった。

「蓮華の差し金か?」

「……ああ、そうなる。そうでなくては私がここにいる理由はあるまい」

「そうだ。本来ならば俺が居なくなって気付くことだ」

「何も言わずに決別するつもりだったのか」

「そうだ」

 断定に息を呑む。

 一般人が一見したのならば、その気配に吐き気さえ催すだろう毒毒しいそれを周囲に湛え、裏社会の人間が一見したのならば真っ先に逃避・忌避を思い浮かべるだけの殺意を周囲に漂わせ、仲間が一見したのならば迷わず激怒しそうな男の姿に。

 友人である咲真は、悔しさに左の手を強く握りこんだ。

「何も言わず、――ことを済ませたお前は、どうするのかね」

「どうもしない」

 涼は言う。

「ただ、終わるだけだ」

「手遅れだと言いたいのかね?」

「俺が今ここに在る。これは、遅れてなどいない。もう決まっている結果の残滓が、凝固しているに過ぎない」

「――なぜ、今なのかね」

「いつかでも、かつてでもなく、今なのは――俺よりもお前の方がわかっているだろう」

「関連性のない事象は存在しまい」

「無関係などと謳わない。ただ、――俺にはまるで興味がない。だから、近づかないでくれ」

 それは最後通牒。咲真に対する友人として案じる心の一欠けら。

「咲真を殺してしまうことにも、今の俺は躊躇いがない」

「……あるのは、暁だけかね」

「お前では俺を殺し切れん。いや」

 そのまえに死ぬと、しかし涼は口に出さず、咲真はそう受け取った。

「それで――」

 言うべきではなかったかもしれない。それこそ愚問だったかもしれない――けれど、じっと涼の姿を見つめていた咲真の口からは、ぽつりと言葉が洩れてしまう。

「――お前は、満ち足りることができるのか」

「満足など……もう、終えた。咲真、俺は満足してここにいる。後は、始末をつけるだけだ」

 文字通りの、後始末を。

「そうか。お前はもう、終えてしまったのか」

「……ああ」

「ならば」

 強引に一歩を踏み出そうとした直後、背後から飛来した剛糸が咲真の躰をその場に縫い付けた。

「くっ、――解け紫月! 私はこの男を殴ってやらねばならん!」

「……久我山の、紫月か。良い判断だ」

「涼! 貴様はそこまでして武術家に拘泥するのか! 己を失うことを承知した上で、何も成さずにただ終わってしまった残滓だと!? ふざけるな! 残滓でもまだ在るのならば――何故」

 何故、受け入れてしまうのだと。

 どうして拒絶しないのだと。

 そんなわかりきった問いを投げるほどに何もできなかった己が悔しく、悲しかった。

「もう悔いすらないというのか……!」

「――もう、いいだろう。往け咲真」

「涼!」

「成すべきことを為し終えたのか? お前は、朧月咲真は遂げたのか?」

「――っ」

「往け。立ち止まるのもいいが、前へ歩め。悔いなど残すな」

 そして、満ち足りるなと涼は言う。

 己のようにはなるな、と。

 荒くなった呼吸を三度の深呼吸で落ち着けた咲真は、既に解けている糸に気付く。アイウェアの位置を確認し、服の裾を二度ほど払った。

 ――別れを、告げに来たのだったな、私は。

 結果を覆そうと思ってきたのではない。受け入れよう、そう思っていたはずなのに。

「謝罪はせんよ」

「ああ、必要ない」

 息を大きく吸い込む。

「――さらば、友よ」背を向けて歩き出す。「私は往こう。お前と同じく、己が信念を曲げずに。だから死ね都鳥涼、――大輪を咲かせろ」

「さらばだ友よ。往く道に足を踏み外すな朧月咲真」

 一歩、その場から離れるためにどれほどの労力を使ったか。

 一歩、来る時の重かった足取りなど、これに比べれば随分と軽かった。

 一歩、歯を食いしばって前を見ることの、なんと困難なことか。

 一歩、それでも往くと口にした以上、止まることは涼への侮辱にほかならない。

「往く。ついてきたまえ紫月」

 それはひどく小さく、かすれた言葉だったけれど。

 紫月は最後に、けじめとして一礼を残して咲真の背中を追うように歩き出した。

 その背中を支えるのは己の役目ではない。そう、言い聞かせながら。


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