10/17/01:30――姫琴雪芽・地下書庫の記録者

 そこは暗く、けれど湿気の一切が存在しないVV-iP学園の地下書庫(アーカイブ)。本棚の数は既に両手から余り、見渡す限りの本棚と陳列された同系統、同一種の本が荘厳なまでの威圧感をかもしだしている。

 その最中、住人であり管理人でもある姫琴ひめこと雪芽ゆきめは仕事の時だけつける眼鏡を外して目頭に右手を軽く沿え、ふうと小さくだが疲れの吐息を落とした。

 雪芽の仕事は記録することだ。

 世界の記録の補助記録を行う――今では自動書記を確立させ己の魔力と魔法回路を常時展開させて記録させ、自動的に本棚に収納する作業までをも構築したが、ソレが発生してからは己から流れる魔力が多すぎることに疲れていた。

 雪芽は記録者だ。故にその内容を記憶しようとは思わない。

 思わないが、それでもここまで活発的に法式が稼動すれば記録の断片がどうしても目についてしまう。

 だから現時点では五指に入る程度には状況を理解していた。

「始まった、かあ」

 理解せずにはいられない。

 何故ならば雪芽は――いや名もなき彼女はかつて東京事変の時に、こうならないように動いていたのだから。

 その事態が引き起こされたのならば、否応なく意識させられる。

 前回は東京だけで済んだが、今回はそうもいくまい。何故ならば事前に手を打てていないからで――そして、前回手を打った彼女はもういない。

 彼女の代わりなど、いるはずもなく。

 事態は進行していく。

「でもまだ早いと思うんだけどな」

 立ち上がり、ポットのお湯で珈琲を淹れる。その落ち着きようは今の雪芽に何かをすることができないと、そう自覚しているからこそだ。

 いや――かつてと同様に。

 雪芽ができるのは、出来事や物事を記録することだけだ。何かをしようなどと、それこそ記録以外は何もできないと同義だろうに。

 だから記録しているのだから、他に手を出す問題はなにもない。

 ないが。

 けれど、でも。

「私の負担が減ってるってことは、稼動してるんだ――」

 補助記録の、補助記録。

 きっとこの捉え方としては正しい。

 ただ意味合いを重複するが故に、彼は欠陥を抱いた。

 雪芽は書物へ。

 そして彼は己の器へと直接書き込んでしまう。

 淹れ終えた珈琲は二つぶん。一つは己の前へ、そしてもう一つはカウンターへ。

「飲む?」

 黒色を基調にしたスーツを着る男、箕鶴来みつるぎ狼牙ろうがは額に手を当てて言葉を放とうと意識を保つ。

「――この状況で、どう飲めと言うのですか姉さん」

 久方ぶりの痛みに、いや痛みもあるが何よりも肉体の内部をごっそりと喰われているような感覚に狼牙は今にも倒れそうな躰をどうにかカウンターに体重を預けることで保っている。

 縁が途切れているのだ。いや消えていると称してもいい。

 人と人との縁は切れても、縒りを戻すという言葉通りに再び繋がることもある。だが人の死によってもたらされる決別は、縁の消失に等しい。

 一人ならばいい――親戚という集合でも縁はあるのだし、消えてもまた増えて繋がることすらある。

 だが。

 一気に大勢が亡くなれば、近所の縁は悉く消失する。

 世界の縁を担う狼牙にとって、一つの市が変異化するだけでも疵になる。

「でも二度目じゃないの?」

「それでも久しければ――いえ、こればかりは慣れるものではありません」

「三十年ぶり、か。嫌でも思い出すね」

「――いえ、私たちに忘れることなどできないでしょう」

 今回の方が問題ですけれど、と小さく付け加えた狼牙は深呼吸をすることで気を落ち着かせる。

 狼牙は存在それ自体が縁によって構築されている。その肉体の一部が消失しているのだ、平静でいられる方がおかしいだろう。

「彼は、どうしていますか」

「さあ……繋がりが明確にあるわけじゃないからね。気にできるほど私だって余裕があるわけじゃない」

「それもそうですが」

「それにさ――こうなること、わかってたじゃん」

 それがいつになるかはわからなかったけれど、いつか必ず訪れると彼らは知っていた。

「しかし、早すぎます」

「だったらまた途中で止まるだろうね」

「――……楽天家と思いきや、根拠のないことをあっさりと言うのは相変わらずですか」

「狼牙、父さんがたまには顔を出せって言ってたよ?」

 空気を読まないのも相変わらずだ。

「状況はどうなっていますか」

「んー、なんていうかこう、ブルーががんばってるかな。エルムもこそこそしてる」

「では狩人はどうですか? この状況下でようやく活躍の場が与えられたと考えますが」

「それもブルーが上手く使ってるみたい。あとは清音もかな。上手く――ええと、たぶん、遺志を継いでる。慮ってるのかな」

「中心はやはり、鷺ノ宮ですか」

「というか、最後の撃鉄かな? 発動因子でもある」

「そうですか……」

「狼牙はどうすんの?」

「姉さんこそ」

「私はほら、ただ記録するだけだよ。ここから先もずっと」

「……私は少し、公人と話をしようと思っています。一つの縁を残したいと、そう思っていますから」

「そう」

 それが依頼なのか、それとも狼牙の願いなのか望みなのかを雪芽は追求しない。

 どうであれ、結果が出るのならばそれを記録するだけだ。

「でも――」

「どうしました?」

「ちょっとね。〝原初の書ツァイヒング〟」

「ああ、求める者がいましたね。私がここへ来た理由の一つでもありますが――」

 頭に手を当てた狼牙は、そこに帽子がないことに気付く。コンシスへ渡してしまってからずっと、しかし癖のように手だけが空を切る。

「何かしらの手を打っておきましょうか?」

「んー、一応ね、ブルーがきた時に言ってはおいたから」

「姉さんが巻き込まれるならば、さすがに私も黙ってはいられませんね」

「そうなの?」

「一応は身内ですから、こんな状況くらいは良いでしょう」

「ひねくれた言い方ね――ん? もう行くの?」

「ええ、そのつもりですが何かありましたか?」

「泊まっていかないの?」

 どこで寝るんだとは問わない。近くに寝室も完備されてこその、雪芽の城なのだから。

 狼牙は吐息を落とし、据わった目で雪芽を見た。

「姉さんには前科がおありなのを忘れているのですか?」

「へ? なんだっけ?」

「――以前、好意に甘えたらベッドの上で組み伏せられて襲われた記憶がありますが?」

「二回目以降がないね?」

「……また来ます」

「待ってるねえ」

 どう足掻いてもこの姉には勝てないと再認識させられた狼牙は、どこか肩を落としたような格好で外へと出て行ってしまった。まだ痛みは継続しているというのに、我慢強いことだ。

「――あれ?」

 手元、ペンも動いていないのに記され続け紙のめくる音が続いていた書物に視線を落とした雪芽は首を傾げる。圧縮言語レリップで記された補助記録は一文字でもかなりの情報量を持つが、しかし。

「どうして橘のとこの邸宅が壊れたんだろ」

 関係ないのに、と雪芽は言葉を続けた。


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