10/17/01:15――久我山桔梗・ただ情報を身に受けて

 ごとりと、重いものが落ちる音がした。

「君は、これで良かったのかい?」

「もう、出ている」

「――そうね。散花は決めたことを成し遂げたわ」

「これは、どういうことだ。私は」

「――馬鹿野郎が!」

「ははは、それは面白い話じゃあないか」

「ったく、何だって俺が橘に、なあ」

「成し遂げて、帰って来なさい」

「意図的に変異化を引き起こすなんて芸当は初めてだよ」

「――泣け」

「あーあーあー……ひどいなあもう」

「さあ乗ってくれ。急ごう」

 ただ、ただ。

 それは内部の白色を塗り潰す。

「世界法則が確定されているのは今さらだけれど何を以ってして定められているのか」

「定められているのは世界法則の上位に位置する秩序位が囲いを作っているからに他ならない」

「他ならない世界の意志は秩序位に存在しないのは明確であるが故に」

「故に概念位に世界意志は存在すると証左が上がる」

 黒色に塗り潰す――いや、それは。

「概念位に存在する現世界意志は121BEAB471から派生する――」

 ただ、潰している。

 埋め尽くす。

 悉くをただ漆黒に染める。

〝――あ〟

 己の声が混じった――いや、それは確実に己が発したものであると久我山くがやま桔梗ききょうは理解する。

 それは波紋のように広がって頭痛を喚起させた。

 実際に桔梗は声を出していたのだが、床に倒れたまま短く小さい、それこそ吐息と勘違いするのではないかと思われるほどに弱弱しいものだった。喉が震えたために出た声もしかし、意識で躰を動かすには至らない。

 ――何が起きてる?

 その疑問がいけなかった。

 疑問を解決するための情報という情報が頭の中に流れ込み塗り潰される。抽象的な疑問が拍車をかけ、情報取得は停止することを知らない。

 人間の記憶容量の最高がどの程度なのか、そこに個人差を含めて実のところ明確には出ていない。

 そもそも比較対象がない――いや、容量それ自体に計算に足る数値が現存しないと考えた方が良いだろう。

 たとえば、据置端末のハードディスクと呼ばれる記憶媒体の単位において、このご時勢では五テラバイトが標準仕様となっている。値段も安く、拡張が容易いために多くを積み込むことは可能だが、おおよそ一般的な利用方法で五テラバイトの全てを使い尽くすことは難しいはずだ。

 一枚の写真があったとしよう。解像度にもよるが、基本的に圧縮されたものが端末の内部には保存される。これまた現行のデジタルカメラでの写真ならばそう、五メガバイトくらいなものか。となると百万枚程度の保存が可能になるはずだ。

 果たして人間の脳内にそれだけの記録が可能かと問われれば、わからないと答える。ちょっとでも違和感を言葉にできる人ならば、こう言うだろう。

 そもそも一枚の写真を記憶することはできない、と。

 一部の人間を除き、基本的に人は鮮明に何かを記憶することができない。デジタルカメラで撮った写真を圧縮ファイルにするように、人は瞳で見た映像を抽象化することで記憶する。

 桜、と言われて思い出すのは花びらだ。その群集であり、決して大木の根元の多くを思い出すものは少ない。そして、それらを鮮明に思い出せるものはもっと少ないはずだ。

 ――けれど、数年の歳月を置いてもひょんなきっかけでその場面を鮮明に思い出すこともある。

 脳の仕組みそれ自体がこのご時勢でも明確に分析されてはいないが、結局はわからない、という結論に落ち着いてしまう。

 だから。

 今、桔梗の脳内で書き込まれ続けている情報の波も、どこまで塗り潰し続けるのか――その終わりが、わからなかった。

 いや。

 わからない、などと桔梗は思わない。

 思ってしまえば、わかるまで情報を集め続けることが容易に理解できたからだ。

 ――こうなる前に、〝原初の書ツァイヒング〟を見つけたかったんだ。

 桔梗は己が抱えている爆弾のことに以前から気付いていた。だからこそ原初の書と呼ばれるものを探ろうとしていて、その折に朧月咲真にも助力を願いもした。

 こうなる前に、何かしらの対抗手段を構築しておきたかったから。

 〈永続情報収集器官ラッシュトゥ・ラッシュ〉――誰かはそう呼んだ。

 いや、己でそれを知ったのか。

 ただただ世界に起きている記録を己の中に刻み続けるだけの機関であり、己の器官だ。

 どうして今になって発動したのか、その答えは既に数秒という時間で収集した何億という情報の中にある。

 世界の記録。

 それは延延と、常に綴られるアカシックレコード。

 だから桔梗も常に延延と情報を集め続ける。発動したら、いつ終わるかもわからない。


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