02/04/12:00――ベル・橘の長女

 しばらくは閑談に花を咲かせていたが、時間を見て道場を出た二人は、一度鈴ノ宮に戻って車を使い、そのままあるマンションにまで移動してきた。時刻は昼くらい、丁度良いだろう。

「でかい駐車場っスねえ、ちょっと広すぎじゃないんすか、これ」

「マンションの住人数と比較するなら、その通りだ。土地が余ってたから、駐車場にしただけなんだよ」

「……へ? ベル先輩の土地なんすか?」

「ああ、以前に俺が買って、ここの物件も俺の所有物だ。さすがにまだ表には出ていないから、あくまでも管理人としているだけで、所有者は別名義になっているが」

「へえー、セーフハウスっていうより、ベースに近いっスね、これじゃ」

「俺は一ヶ所に腰を落ち着けようと、そう考えてるからな。AI」

『――はい』

 入り口の認証パネルに右手を置き、自動的に行われる網膜認証を受けながら、声紋認証のための声を上げれば、反応があった。

「ゲスト登録」

『わかりました。お客様、どうぞ』

「ういっス」

 ベルは先に入り、イヅナは登録をすぐに済ませてついてくる。

「うっわ、高級ホテル並みのロビーじゃないっスか……!」

「気に入ったなら、お前の名義で一部屋取っておいてやるから、セーフハウスにでも使えよ」

「はあ……」

「ん――正面、右手にあるエレベータから四階に行け。そこが俺の部屋だ」

「諒解っス。住んでる人っスか?」

「ああ、ブルーの身内みたいなものだ」

 嫌な名前聞いたなあと、頭を掻きながらイヅナは先に行ってしまう。ベルはロビーにあるガラステーブルから灰皿を引き寄せると、煙草に火を点け、一階廊下からこちらへ来る少女に、軽く手を挙げた。

「あ、管理人さんじゃん。いたんだ」

「住み心地はどうだ、舞枝為まえな

 にへら、とだらしなく笑う少女は――といっても、もう高校生になるのだが。

「広くて住みにくいかなーと思ってたけど、慣れてきたとこ。知り合いを簡単に呼べないけど、そういう相手もいないやって」

「楽しんでいるのなら、何よりだ。ほかに住人がいないから、騒げていいだろ」

「うん。たまに大声で歌いながら歩いてるから、見かけてもスルーしてね」

「……いや、まあ、いいけどな」

「あ、そだ。部屋を一つさ、畑にしていいかな?」

「お前ね――敷金とか礼金とか、きっちり知ってるか?」

「あー知ってる知ってる。火を通すと甘くなるやつで、生の時は辛いし涙が出そうになるやつ」

「タマネギだろ。まあいいけどな、業者のリストは渡しておいたはずだ」

「うん、だいじょぶ。でも弁当の配達がないのはどうして?」

「お前が料理をしないだろうことを理解したしのぶからのささやかな試練だな」

「くそう、やっぱ兄さんかー……」

「交渉は直接しとけ。なんだ、家庭菜園でもするのか?」

「うん、簡単な料理とかしたら、材料買いに行くのが面倒になって」

 作る方が間違いなく面倒だろうに、この女は頭がお花畑なのだろうか。

「そのためにVV-iP学園の農学科に進学することにした!」

「本音は?」

「普通学科の授業とか、もう嫌だから、ちょっとでも少ない方がいいかなって……」

「素直で結構。ネット環境はどうだ?」

「あー、そっちはぜんぜん、問題らしい問題はないかなー。この前、なんか銀行の預金リスト? みたいなのが、ざらーっと並んだ時は飛び上がったけど」

「ああ……それは仕様だ」

「そなの?」

「痕跡も残さず、いつでも見られるようなセキュリティを組んだ馬鹿には丁度良いだろう」

「へえー、そうなんだ。いや見ても、どうこうするだけの知識はなかったけど、びっくりしたからもう見てない」

「規制しとくか?」

「しといてー。なんか地雷踏んだ気分を味わったからさ」

「諒解だ。ほかに問題は?」

「うーん……車を買う予定もないし、特にこれといってないけど」

「何かあったら、所有者に連絡しろ」

「あいおー。じゃ、肥料とか見てくるから、またね」

 本気なのかと思いつつ、背中を見送ってから煙草を消して、そのままエレベータへ。

 高校生になるガキに、5LDKの部屋は広すぎるし、贅沢過ぎるのだが、さすがに畑にするだなんて想像すらしていなかった。いや、意外性があって大変によろしい。少し驚いたのは、さすがに同僚やイヅナには明かせないが。

 最上階に到着すると、正面には玄関扉が一つだけ。左にいけば非常階段と、屋上への出入り口。狭い通路だが、大して気にする必要はない。扉に手を触れれば自動的に開く。当然だ、ここはベルの住居なのだから、当人が無言で開けられないわけがない。

 ただ――いや、まあ、良いかと思って中に入り、すぐ左手に足を向ければ、居間がある。複数の部屋を抜いて作った、一つの空間だ。床から天井までガラス張りで、なかなかに景観も良いが、部屋を支えるための柱が複数立っているところが、運動には向かなくしている。あとは、新築であることを差し引いても、随分と殺風景で、調度品といえば、ガラステーブルと四人掛けのソファが二つあるくらいなものだ。

 ため息が一つ。

「ベ――」

 背後から抱きつかれる前に、足払いを軽く仕掛けてから、肩と膝に力を当てるよう手を動かし、そのまま床に転がしたベルは、何事もなかったように部屋を歩いた。

「イヅナ、立ってないで座ってろよ」

「うえっ!? あ、はい!」

「なんだよ」

「いや俺、マジで、随分と久しぶりに戦闘でもなく、単純に、背中から触られたんすよ――誰っスか、それ」

「ん? 誰って、なにが」

 ソファに座ったベルは、煙草をテーブルに放る。イヅナは嫌そうな顔をして指を突き付け、ベルは二つ目のため息と共に、ベールー、などと声を放ちながら床を転がる女に一瞥を投げた。

「俺、ベル先輩と間違えられたんすけど」

「だろうな。未熟なことだ」

「いや、そうじゃなくて、単純に先輩と逢うのが嬉しくて、前後不覚だったって感じじゃないんすか?」

 前後不覚。

 果たして、それは言葉として合っているのだろうか。

「年齢はお前と大差ねえぞ、こいつは」

「そうなんすか?」

「間抜けなツラを見ればわかるだろ。おい零番目、掃除機の代わりがしたいのなら、自動掃除機を買う金を寄越せ」

「うー……」

 のそり、と起き上れば、胸元の鈴蘭の刺繍が目に飛び込んでくる、赤色のチャイナドレス――。

「AI、不審者を登録したのか?」

『え? ……ええと、はい、その』

「なんだ」

『三日ほど、両ひざを抱えながら、入り口で半分泣いていらっしゃったので、つい……』

「ベル先輩、先輩、これAIじゃないっスよね?」

「AIだ」

 ただし、あのレインが教育をしているが。

「AIが雨に濡れた猫とか拾うんすか!?」

「そういうこともある。まあいい、AI。ゲスト登録にしたこいつの情報は、橘れいで登録しとけ」

諒解しましたイエスマスター

「……ああ、零番目。橘の。なるほど、そうだったんすか」

「未熟だな」

「まったくっスよ、反射的な反応すらできなかったんすからねえ。攻撃意図がなければ殺せるって話っス」

 一見、それは矛盾しているように思えるが、彼らにとっては、そうでもない。

「ベルー」

「煙草、いいぜ」

「どもっス」

 零はベルの隣に座り、抱きつく。さすがに背丈の差があるので、ベルの方が抱かれるかたちになってしまうが、面倒なので好きにさせた。

「で? お前は何をしにきた」

「ベルに逢いにきた」

「……あっそう。抱き枕なら量販店で買えよ」

「んー」

「話しが通じない相手っスねえ」

「こんなものだ」

「んで、これからどうするんすか?」

「は? 言っただろう、今日は休息日だ。十八時くらいまでは好きにしろ」

「……へ!? あれ、マジだったんすか!?」

「午前中は俺の用事、午後からは休息。丁度良いだろ。俺も仕事が終わったばかりだしな……」

「そういや、今朝方戻ったばっかっスね」

「ああ、米軍の仕事でな。あっちはジニーの庭だが、野郎だって全部カバーはできねえだろ」

「ランクSSのジニーっスか。というか、俺はてっきり――」

「鈴ノ宮の手足を漁りに行ってると思っていたか?」

「――、俺の言葉取らないで欲しいんすけど」

「皮肉としては、まあまあだな。実際にその手の仕事もしてる。仕事なんてのは、ついででやるくらいが充分だ」

「そんなにタスクを詰め込んでおいて、順次終わらせられるんすか?」

「やり方次第だ。お前だって、テーブルを組み立てようと思えば、ドライバーだけじゃなく、木槌なんかも一応用意しとくだろ」

「規模が違うと思うんすけどね。俺は、まあ、捜索専門になろうと思ってるんすけど、どうっスか?」

「専門持ちか?」

「先輩らと〝同じ〟位置には、行きたくないっスよ。対等でありたいとも、思わねえし……その方が、良い付き合いができるんじゃないすか」

「まあ」

 そうだろう。同業者であっても、同じ位置ならばそれは、きっとほかの連中と同様に、さほど接点もない他人として扱ってしまう。それはイヅナでも同様かもしれないが、それでも、違う位置ならば、どこかが違ってくる。

「掴めたか?」

「まだっス。ただ、なんつーか俯瞰するような〝感覚〟はあったんで、これからどうしようかって考えてるところなんすよね。俺、魔術関係はコンシス先輩から教わってはいるんだけど、隠れてこそこそ研究とかしたいんで」

「……案外、素直だな」

「なんかもう午前中のことで、ベル先輩には誤魔化して隠すのが馬鹿馬鹿しくなったんすよ……マジで、どうかしてる。もうちょい成長して、上手くできるようになってから、いろいろ試すっスよ」

「まあ、お前の場合、マーデと違って強制されてるわけじゃないからな」

「あー……マーデ先輩は、まあ、そうっスね」

「――おい、いい加減邪魔だ」

「えー」

「棚から酒を三本持ってこい。冷蔵庫にあるはずの食糧、お前が食ったぶんは目を瞑ってやるから、それもついでにな。こっちは昼飯も食ってないんだ、それくらい動け」

「うあい……、ベル、逃げない?」

「お前から逃げた覚えはない。ただ、――お前が追えなくなっただけだ」

「……ちぇー」

 ふらりと、零は立ち上がってそのまま近くの扉から廊下へ消えた。

「なんつーか……猫がなついてる感じっスね」

「まあな」

「しかし――野雨には橘の本家もあるんすね。分家筋も何人か、いるみたいだし」

「知ってるのか」

「身近だったんで、調べたんすよ。ほら、きっかけは鈴ノ宮と鷺ノ宮が一緒にあるってところで」

 とっかかりは、似たようなものだ。けれど、それを不自然だと思えているのならば、まだ理解には至っていない。自然だとわかっているのならば、それは――。

「ん、まあいい。それで、感想は?」

「正直、わかんないってところっスね」

「……AI、野雨市の地図を投影してくれ。質量は再生しなくていい」

『わかりました』

 外が見えていたガラスが遮光に変わり、室内がやや暗くなると、立体的な映像が部屋全体に表示される――が。

「もしかして、質量再生型の立体投影も可能なんすか?」

「技術的には随分と前に確立されてる。ただ、コスト面と一般化されるメリットがないから、出されていないだけだ。芹沢も、一般流通に乗せる場合は、それなりの理由が必要になる。商売としての意味合いじゃなく、たとえば環境改善とかな」

「そうなんすか?」

「狩人なんかは、こういう使い勝手がいい代物は欲するだろうが、そもそも、拠点を持つ狩人の方が少ない。俺にしたって、いわゆるテスターとして仕入れたようなものだ。便利だろ」

「まあ確かに、そうかもしれないっスね。実際に主流はARの方だし……拡大や縮小のパネルないっスか?」

「AI」

『質量再生型で投影しておきます』

「気が利いて何よりだ」

『ありがとうございます、主人様』

「いやこれ、AIじゃないっスよ……こんな汎用性がある、人間じみたAIはいないっス」

「だから、AIだ」

「……名前とかないんすか?」

「知らん。AI、名前は?」

『レイン様からは、シェルジュと呼ばれております』

「へえ」

「把握してないんすか……」

「俺が教育してるわけじゃないからな。そういや、電子戦技術は?」

 イヅナは手元のパネルで野雨市の地図を確認しながら、煙草を消して頷きを一つ。

「そっちは座学と一緒に、フェイ先輩に」

「適当に技術を身に着けたら、爵位に挑戦しとけ」

「爵位――ああ、そういえば、電子戦技術のやつで、そんなのがあったっスね」

「教えてねえのか、フェイは」

「聞いたことないっスよ。確か、ハッキングして特定のワードを引き抜く遊びなんすよね。レベル、そこそこ高いんすか?」

「最低の男爵位を、一度でも手にしたことがあるなら、一般の仕事には困らん」

「はは、そこらの資格試験より、よっぽど良いっスね。ちょっと考えておくっスよ。

「下地くらいは作ったんだろ」

「そりゃ……まあ、そうっスけど」

「基本的に俺たちの仕事は、すべて行動評価を下すことになってる。行動記録や独自のデータベース、そういったものは作っておけよ」

「えーっと、それが先輩にとっては、シェルジュなんすか?」

「そういうことだ。大抵は覚えているけど、記録は誰かに見せるものだからな」

「一応、俺もそういうこと考えといた方がいいんすかね……そういや、先輩のもやっぱり、攻撃系がフレンチやイタリアンで、防御系が和食、ほかは中華って感じなんすか?」

「ああ、そうだな。性質が同じなだけで、中身は違うぜ。ちなみに、アブとはよく電子戦で遊んだ仲だ。感想ならあいつに聞くといい」

「ういっス。しっかし、野雨は妙に整っているというか……これ、ブルーが手配したとか、そういうんじゃないんすよね」

「あいつがやった部分も、それなりはあるが、全部ではないな」

 零がつまみと酒を持って戻ってくる。座る位置はやはりベルの隣だ。

「食えよ」

「うっス。……ちょうど、去年くらいっスか? 三重県射手市で、ブルーの仕事があったみたいじゃないすか」

「あったな」

「あれ、実際にはどうだったんすか? 俺、先輩らが全員参加してたんで、かなり驚いたんすけど、聞いたらすげー嫌な顔をされたんすよ」

「いいように使われれば、そりゃ嫌な顔の一つもしたくなる。現在、野雨市の管理狩人がいないのは知ってるな?」

「うっス。でも、各市に一人ずつっていう規定があるわけでもないんすよね、あれ。ただし、県の管理狩人だけは必要だとか、なんとか」

「実際には県理事が実権を握っている――んだが、あれも形骸化はしてるな。野雨は流通経路の一つだ。芹沢もあれば、鷺ノ宮もある」

「流通を握ってんのは、鷺ノ宮の方っスね」

「利権が絡む部分もあるから、射手市と前野雨市の管理狩人が結託して、まあ、悪巧みを始めたわけだ。それを潰すついでに――ブルーは、一つの〝事件〟を起こした」

「……あれ? ちょい待ち。ブルーが、起こした? つまりブルーが犯人ってことなんすか?」

「似たようなものだ。事件の中心にいたのは、俺の妹――花ノ宮紫陽花はなのみやあじさい。複数人の狩人が人質として立てこもったっていう情報は掴んだだろ」

「それは、まあ、そうっスけど――先輩の妹!?」

「今はマーデの管理下で、それなりに育ってる。ともかくだ、ブルーは紫陽花を自分の〝身内〟として見立てて、策を練って被害を増やした。俺らも現場入りして、随分と狩人を狩ったな。結果として、権力に胡坐をかいてた馬鹿を一掃できたから、充分な成果だ。んで、ブルーの身内に手を出せば、市に留まらず、全国に被害が発生するくらいの報復は、軽くできると、証明された。実際に飛び火もしてるしな」

「全体の流れとしては、まあ新情報もあって驚いたっスけど、自然な流れじゃないんすか、それは。規模は違えど、見せしめを作ったってことっスよね」

「まあな」

「どうして先輩らは嫌な顔をしてたんすか?」

「自分がブルーの策の中で、好き勝手に動かされて、その成果を出しながらも、ほぼ無自覚で、全てに気付いたのが何もかもが終わってからだった――だとしたら?」

「うげっ」

「連中に、策士の意図を汲むなんてことはできねえよ。俺は紫陽花が中心に、というか、切っ掛けに使われた時点で、導火線を手繰って先を予想、その上でブルーを知っていたから、その先もわかって、手の上で踊ってやったんだが……まあ、そう簡単にはいかねえよな」

「うわあ……いや、確かに、気持ちはわかったっス」

「結果的には良かったんだぜ? ブルーは策が成って、身内に手を出す馬鹿が一気に減って、俺らは俺らで良い運動をして、金も入る。射手市の風通しもよくなって、癒着問題もなくなった。万万歳だ」

「そ、そういう問題すか?」

「そんなもんだ」

 そのくらいにしておいた方が、ブルーに対しては楽なんだよと、ベルは笑った。


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