09/20/14:00――一ノ瀬瀬菜・落ち着いた生活

「で、どうなの姉さん」

 買い物を終えた休日の昼下がり、喫茶ティアにあるテラス席で一ノ瀬姉妹は紅茶を傾けていたのだが、会話の合間に訪れた空白の後、二ノ葉にのはがそんなことを聞いてきた。

 言われた瀬菜せなにしてみれば、唐突に何を言い出すんだこの妹は暑さでどうにかしたんじゃないだろうなと心配になり、それからようやく。

「何がどうなのかしら」

 そう問い返す。頭が煮えていないならきちんと返答があるはずだが。

「いや、姉さんの生活」

「……? 二ノ葉、頭は大丈夫かしら。どうもこうも、生活はきちんとしているわよ」

「そうじゃなく、あー蓮華れんかさんとはどうなのかなと」

「どうもこうもないわよ? 生活しているもの」

 ああ、お互いにすれ違っているなと、頭の隅で感じながらも、さて、それが姉に伝わっているかどうかはわからない。これは聞き方が悪いのかと二ノ葉は考える。いやむしろ、何も意識していない瀬菜の感覚がすでにおかしいのか――いや待て、落ち着こう。とりあえずは、だ。

「蓮華さんの家で厄介になってるんでしょう?」

「間違いではないわね。厳密には蓮華の兄夫婦の氷鷲ひょうじゅさんとせんりさんの家だけれど」

「ふんふん。もう一ヶ月くらいになるけど、馴染めた?」

「そうねえ、最初から馴染んでいた気がするけれど。氷鷲さんは警部らしくて家に戻ることがほとんどなくて、重さんは部屋に引きこもって仕事ばかりしてるわね。蓮華はまだ怪我が治ってないし、私のやることは学校の往復と食事や簡単な掃除だけだもの」

「ああ、だから生活が変わってないってことね。それなら前もそうだったから……けどさ姉さん、状況は変わってるでしょ?」

「どうかしら。部屋が余っていたから私室はあるし、環境も多少の差異はあれど大差はないわ。学業のほうは安定してきたけれど、そういう話ではないでしょうしね」

「姉さんって……きっとどこでも生きて行けると思う」

「もちろん、生きたいもの。そっちこそどう? まだVV-iP学園に仮住まいでしょう?」

「うん。あそこって便利よねえ、仮住まいじゃもったいない設備だし。今はね、とりあえず舞枝為まえなが住居を決めたところ。週明けくらいには移住するつもりみたい。私たちは、ん……どうしようかって。しのぶさんは理事長の椅子に座ったところだから、忙しいみたいなんだけど、私の手伝いは今のところ必要ないみたいで……」

 手伝おうかと申し出たのは最近で、けれど忍は微笑みながら首を横に振った。やることはたくさんあって、現状は忙しいけれど、やらなくては覚えられないからだ。

 それでも。

 ――お互いに、学生として楽しみましょう。

 その一言で、二ノ葉は納得した。忍は一つ年上なので、来年の四月にVV-iP学園へ入学し、同時にまた、理事長としても働かなくてはならない。その時の二ノ葉はまだ中学三年だけれど、それでも。

 お互いに楽しもうと言ったのだ。それを信じたい。

「あら、そうなのね。舞枝為の一人暮らしほど危険なものはないのでしょうけれど、良い機会と思って納得するしかないわね。忍の怪我はもういいの?」

「日常生活には問題ないって。暁さんほどじゃないにせよ、忍さんも回復力が高いよね……そういえば、蓮華さんもかなり酷い怪我だって言ってたけど?」

「まだ足を引きずってるわよ。腕も不自由ね。人よりも怪我の治りが悪いとは言っていたけれど、階段の上り下りが大変そう。まあ手を貸すほどではないから好きにさせているわ。面倒なら二階の自室じゃなく一階にいればいいだけだもの」

「学校はどうしてるのそれ。蓮華さん、中学三年だったよね。私の一つ上の」

「知り合いの医者にカルテを提出させて休学扱いにしているらしいわ。今までの成績に問題はなし、単位もレポートで埋めているらしいけれど」

「普段は何してるの?」

「私はいつも通りよ。蓮華はネットに触れたり、どこかに電話したり、二日に一度はステレオを鳴らしているわね。お陰で私も目覚めそうよ……」

「へ、へえ。ステレオに?」

「音が良いのよあれ……蓮華ほど入り込みはしないけれどね」

 聞いている限り、瀬菜にとって蓮華は傍にいて当然のような相手に思える。けれどなんだか、二ノ葉と忍のように恋仲――というのとは、少し違うようだ。

 なんだろうか。

 こう、一歩間違えると熟年夫婦に見えるのだが。

「――二ノ葉」

「なに姉さん」

「家を買いなさい」

 危うく紅茶を噴出しそうになった。

「な、なに唐突に……」

「忍が仕事で忙しくなるのなら、帰る場所が必要でしょう? 先回りして手配しておきなさい」

「あの……姉さん、私まだ中学二年で……」

「年齢なんか気にしてどうするのよ。だいたい私たちには親もいないのだから、好き勝手にした責任を自分で負うのよ? 望むことを望むようにすればいいの」

 それともと、瀬菜は落ち着いた様子で続ける。

「先立つものがないのなら、都合するわよ? 私たちの資産は分配したけれど、学費を除いたとしても余りは結構あるもの」

「――姉さんって、前向きになったよね」

 そうだろうか。

 きちんと自分は、前を見ているのだろうか。――見ているのだろう、少なくとも、そうしようと瀬菜はしている。けれどでも、進んでいるのか、向かっているのかと問われれば、甚だ疑問だ。

「……吹っ切れただけよ。私はね二ノ葉、蓮華が選択して得たこの現状という結果を、ただ受け止めているだけ」

「こりゃ蓮華さんに頭上がらないなあ……」

「なによ」

「べつに。姉さんは蓮華さんの影響を受けて、良い方に変わって行くんだなって思っただけ」

「影響を受けているつもりはないわ。ただお互いに立って、前を向いてるだけよ」

「そうかなあ……」

「絡むわね」

「だって――ん? あれ? じゃあさ、姉さんにとって蓮華さんってどういう相手なの?」

「どうと言われても……」

 わからない。

 そもそも瀬菜は、自分の立ち位置を確立することは、自覚という観点では行っているものの、他者を自分の内に招こうとせず、自分にとっての他人の位置などには無関心だった。内側にいないのならば、外側だ。それらをいちいち数えて配置したところで、外側であることに変わりはないと、そう思ってきたのだ。

 蓮華は傍にいる。

 かつて二ノ葉が、忍が、舞枝為が生活の一部になっていたように、今の環境はそうであると、疑問の介在の余地もなく認めているし、受け入れている。逆に言えば、異物であるはずの瀬菜もまた、彼らに受け入れられているのだから、感謝もしていた。

 けれど。

「相手に、……どうとか、よくわからないわ。優先順位とは違うのよね?」

「んー、優劣とは違うけど、優先順位は近いかもしれない。なんていうか……姉さんって、そういうとこ本当に頓着してないよね」

「そうね、頓着はしていないかも。それほど必要性を感じたことがないもの。それでも知人はそれなりにいるのよ?」

「まあ、相手から歩み寄ってくれれば、姉さんは観察して妥協……というか、受け入れることができるから、完璧に拒絶ってわけじゃないし、それはそれで良いんだけど」

「けど、なによ」

「んー……なんて言えばいいんだろ。姉さんは、蓮華さんのこと、好き?」

「難しいことを聞くのね。どうかしら……人間性としては理解できる、とは思う。好ましいかどうかはわからないけれど、必要悪なんて言葉があるように、悪いことだとは思わないけれど」

 そういうことではないわよねと、吐息が一つ落ちる。カップを置くと小さな音が立つが、周囲の音に紛れて耳には届かなかった。

「二ノ葉は忍のこと、好きでしょう?」

「うん、好きよ」

「以前にも言ったけれど、その気持ちは否定しないのよ。人間だもの――女なんだから、そういうこともある。私はそれを尊重しているし、好きにすればいいとも思うけれど、私自身がどうかと問われると、返答に困るのが現状ね」

「じゃあさ、たとえばなんだけど」

 二ノ葉は世話を焼きたいわけではない。ただ、妙に引っかかる部分があって、それはこちらの言動に瀬菜が嫌悪を抱いておらず、どこか困惑ぎみにしている態度にもあるのだけれど、ともかく言葉を重ねた。

「今の生活で蓮華さんがいなくなったら、どう?」

「――……どう、かしら。ちょっと想像できないわね」

「想像できない、かあ」

 今の生活において蓮華が密着しているか――と問われれば、身近ではあるけれど触れ合うほどではない、と瀬菜は答えるだろう。蒼凰夫妻には世話になっている自覚があるけれど、蓮華に何かをしてもらっているとは思っていないし、蓮華にとっても同じことだ。

「ただ、今のままが続くことはないでしょうね」

「そう?」

「ええ……だから、それなりに考えておくわ。それよりも、学校はどう?」

「あ、こっちは特にこれといって問題はないかな。人付き合いだけは幅が少し広がったけれど、同性ばかり。鬱陶しい男子がいないだけ幸せ」

「それはそれで、おかしな考えだけれどね。私の方も生徒会の仕事をそれなりに手伝えるようにもなったわ」

「うん。……そっかあ、ちょっと変わっただけのようで、なんだか一斉に周りが動き出した気もする。思ったよりも、楽しいかな」

「……そう。ほっとしたわ」

「多くのしがらみがなくなって、逆に持て余す感じもあるけれど、蓮華さんには感謝しないと」

「それは必要ないわ。感謝するようなことはひとつもないもの」

「え? そうなの?」

「そうよ。蓮華は感謝を求めていないから。だって――私たちの行いは、決して、間違いではなかったでしょう?」

「……うん」

「だから、それでいいのよ。正解がないのだから、間違いでもない。ただ少し掛け違えてただけ――蓮華はそれが許せなかったから行動に出た。その結果が今なのだから、誰にとっても責任はあるわ」

「そっかあ……」

「――と、まあ蓮華に言われたのよ」

「なんだ、尊敬して損したかも。姉さんも私と同じだったんじゃない」

「姉妹よねえ……そういえば、私たちは姉妹喧嘩なんてしたことあったかしら」

「んーっと、ないかなあ」

「いつも突っ走る二ノ葉を追いかけて、転んだ舞枝為を手当てして、身動きできなくなった二ノ葉を助けて……あら、生傷が少なくなったわよねえ」

「姉さんやめてお願い……」

「ふふ。姉妹だけれど、私と忍はどちらかというと一歩退いていたから……喧嘩のしようもないわよね。対等でなければ喧嘩なんてできないもの」

「――うん。でも、姉妹でしょ」

「そうよねえ、こうして一緒に買い物もするし」

 けれど、どうしてだろう。

 どちらかと云えば、まるで主婦同士が買い物の後に世間話をしているような雰囲気があるのだが――さて。

 二人はまだ中学二年と、高校一年なのに。

 どうしてこうなったんだか。


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