11/14/12:15――名無しの少女・即応、対応

 定休日の喫茶店内で、父親である一夜がジャズ喫茶のようにスピーカーを設置しようと考えたらしく、メジャーを片手に設置場所を探っている様子を横目で見ていた狼牙はテーブル席に突っ伏した。

 真っ直ぐではなく斜めに倒れたかたちを取ったため、椅子が忙しない音を立てる。

「く……!」

 左手が心臓部の衣服を掴む。

 他人に成り代わることができる狼牙にとって、己を通じずとも縁で繋がった相手は自分そのものと同一だ。日本国内において知り合いの知り合いは知り合いと云うよう、狼牙の縁が届かない人はいない――だから、人という存在そのものが狼牙という人物を構成している。

 それが、ごっそりと抉り取られたような――そんな感覚と共に激痛が走った。

 奥歯を噛み締めて漏れる声を抑えながらも、頬をテーブルに押し付けるよう痛みに跳ねようとする躰を抑え付ける。

 ――始まりましたか……!

 痛みを堪えきれずに椅子から落ちた狼牙は、それでも床を這うように窓に近づくと掠れた視界で外を見る。

 そこは、まるで狂気を誘うような紅色に支配されていた。

 ――これは魔力波動シグナルですね。

「がっ、――ぜっ、はっ」

 思い出したように呼吸が再会するが痛みのために頭が回らない。

 そして同じ場所に居た雪芽もまた、他人を気遣う余裕がなかった。

 雪芽の魔法は記録することだ。〝世界の意志〟が残す記録をアカシックレコードと呼ぶのなら、そのバックアップを記しておくのが役割である。

「なにこれ……」

 ペンを持つ左手の動きが止まらない。猛烈な勢いで記しているのにも関わらず、体内の魔力が放出を続ける流れるような感覚が止まろうとしなかった。

 苦しさはない。そもそも雪芽は一般魔術師よりもよほど多い魔力を持っている。それでも容量が無限ではない、このままでは完全に失われて回復も追いつかないのではと危機を覚える程に、その流れる量は多かった。

「――え」

 だから、手を離した。

 記録は中断されるが、継続はしなくてはならない。作業は多くなるが後でも構わないと、現状の理解が先ではないかと雪芽は愚考して手を離したが、しかし。

 ペンは、そのまま書物に記し続けた。

 自動書記ゴーストライト――だ。

「……あれえ?」

 魔力の流出も止まらない。いや、肉体とは別の場所で法式は構築され続け、意識せずともそれを行っている。

 ただ、意識すれば魔力の流出の余剰分が消える。自身の容量と回復量、消費量をちょっと考えて大丈夫かと曖昧にだがわかると、雪芽は一つ頷いた。

「ま、いっか」

 よくないでしょうにと、腰に手を当てた青葉は吐息を一つ。視線を狼牙にも向けるものの、何事もないかのよう振り向く。

「それで、どのようなシステムを構築するつもりかしら」

「はは、青葉さんはいつも通りだね」

「私自身はどうともないし、予想されていたことに驚いても仕方ないもの。私にとっては日常の延長よ――それで?」

「青葉さんのところは同軸だったね。クラシックが中心だったかな?」

「ええ。オーケストラもそうだけれど、ピアノを聴くことが多いわね。あと、私のところじゃなくて公人のものよ」

「そうだったね。趣味の延長だから、俺の場合はジャズ関係を中心にしようと思ってる。ユニットはね、もう自宅にあるから後は箱のサイズかな」

「見た限りダブルの横置きかしら――あら」

 状況を理解しているのにも関わらず、何の感慨もなく日常を過ごしていた青葉が顔を入り口に向けると、携帯端末を片手に持った彼女が入ってきた。

「うん、そうだ。いいかい? 指示を飛ばすけれど二村、秘書には指示の内容を記すように伝えておいてバックアップを取っておくといい。同時作業が並列して行う状況に陥るが混乱するんじゃあないぜ、先も言ったけれど録音は禁止だ」

 青葉に片手を上げた彼女はカウンター席に座り、相手――二村議員に言う。

「国営放送は既に使えなくなっているのは知ってる通りだ。まず地方局に接触して東京で災害が発生したとの情報を伝えてくれ。なに、ついさっき始まったばかりだから情報鮮度は最高さ。それから各地の自衛隊に打診して東京を囲うよう指示してくれ。ただし、これは厳命だ――何があっても、東京に立ち入るな。これはメディアに対しても同じだぜ、放送局には特に言っておくといい。被害が抑えられるぜ。ついでにネットに情報を流してもいい。ここの判断は任せるよ。

 続いて沖縄にある元米軍基地で遊んでる米国狩人に助力を請うといい。本国を通さずとも依頼を出すための方法は、僕が教えたはずだぜ。……ああそれでいい。ただしこちらにも、何が起きているのかはわからないが大災害が発生したようで、かなり危険であるため断ってくれても構わないと、あくまでも強要ではなくできればやってくれ、程度のことだと再三に渡って確認を取るといい。後になって米国人を犠牲にして事態を理解した、などと揶揄されたくはないからね。あと他国の行き過ぎはきちんと抑えておくんだよ。

 当然だが一般人の立ち入りは禁じるんだ。表向きはね。いくら言っても聞かない連中は幾人か出るはずだ――が、どうせ戻ってこれない。公式的には東京自体を封印するよう一切の立ち入りを禁じた方が良いだろうね。効果はきっとほとんどないだろうけれど、何かしらのウイルスが蔓延した可能性がある、とでも言って誤魔化すんだね。何しろ君たちは実際に何がどうなっているかわからないんだからさ。

 へ? 何が起きてるかなんて君が知る必要はないよ。むしろ理解できないさ。ただ現実として東京の建物、および東京の人口の九割は一時間もしない内に消える――喰い殺される。跡形もなく、だ。先んじて手を打っておいたから東京敷地内から外に、つまり被害が広がる可能性は極めて低いよ。……そう、県境には数メートルの広さがある。そこが分水嶺ボーダーラインだ。

 いいかい? 調べられない、わからない、それを堂堂と胸を張って公言するといい。それは現実で、探ろうにも被害が出るだけだ。わからないからこそ封じる、それが一番さ。

 まあ起きてしまったことは、このくらいの対策でいいだろうさ。厳密には現在進行形だけれどね。ここから少し政治的な話をするぜ、こっちが二村の領分だ。いいかい? どうやるかまでは言わないよ、それは君のすることさ。僕はただ、やって欲しいことを君に伝えよう。

 君のところは少数政党だったけれど、民衆も君を支持している。志が同じでなくても構わないから各県議および市議と連携をとって国政を行う下準備を始めるんだ。頭は君さ、そう君が首相になればいい。少なくとも現状で迅速な対応ができている君ならば可能さ――ああ、まあ僕の指示だけれど、他はそうは思えないだろう? 気にするな、それも僕の企みの一つなんだから。

 東京は日本の中心だ、そこが壊滅して被害は相当なものだろう。そうだなあ、改めて東京にあったものを新しく造るのはあまり効果的じゃあないね。それでなくても国庫は常に赤字だ、この際だから議員定数は減らすといい。あれがあっただろう、全世界共通通貨……そう、ほとんどネット上の取引で使われるそれだ。なんだったっけ?

 ――ああ、それだ。Lure of Missing guard Rate、意味合いは確か失われない規律レート、だったかい? そうそう、ラミルと呼ぶんだったね。もういっそあれを主流にしてしまえば、新しい紙幣を刷る手間が減るぜ。どうせ携帯端末の所持なんて普遍的なんだからね。別に日本円が使えなくなるわけでもなし。

 さて、まあ僕の提案はこの程度さ。そして、この状況下を脱した先にある提案についてはもう、既に、君に伝えているはずだ。その準備を君が怠っていないのなら、段階を経て成功するだろう。

 何か質問があるかい?

 ……はあん、君は僕を予言師か何かと勘違いしている。これから同じことが起こりうるかって? そんなものは知らないよ。起きるかもしれないし、起きたところで僕が対処するべき問題じゃあないさ。

 そうそう、野雨にある鷺ノ宮って家は知ってるかい? 君が直接電話連絡すれば当主が出るはずだ、詳しいことは彼女に訊いて助言とした方がいいと思うよ。何しろ、たぶん、君と僕が会話をするのはこれが最後になるだろうからね。

 だから、この言葉だけは渡しておこう。

 天秤が発生してしまった以上、後は傾くだけだ。それが傾き終えた時には、また僕ではない誰かがどうにかするさ。君は君ができることをやるといい。幸運を祈っておくよ」

 長い通話に耳を傾けながらも一夜と会話をしていた青葉だが、終わったのを感じ取るとカウンターへと戻った。雪芽は相変わらず自動的に記される状況を見て首を傾げているが、狼牙も痛みに慣れたのか雪芽の隣に顔を顰めながらも腰を降ろした。

「やれやれだ。珈琲を――と、そういえば今日は定休日だったね。忘れてくれていいぜ、暇があったら思い出してくれ。それとテレビを点けられるかい? なんだ青葉、暇そうじゃないか。そうテレビを点けてくれ」

「いいけれど、疲れているわね」

 同じ指示を二度も繰り返すのがその証左だ。

「そりゃ僕だって疲れるさ――参る話だよ。被害が東京だけで済むために行った十一の柱、それを使って日本全体に術式を展開したんだ、疲れない方がどうかしてる」

「あら、そう。そんな超大規模術式をよく行えたわね。術式よりも儀式に近いかしら」

「……青葉のそういう、あっさり肯定する辺り大好きだよ。ああもう、そりゃそうさ、やらなくっちゃならない。少なくとも十一紳宮の連中に感付かれるわけにはいかないんだ、連中の魔力を借りれば話はもっと早かっただろうけれどね」

「現状、どうなっているのかしら」

「簡単に言えば妖魔が溢れかえっているんだよ。武術家が討伐する妖魔は日本特有の鬼だ。人を喰うとなると、たとえば吸血鬼や不死者、屍喰鬼なんてのが国外じゃ一般的だけれどね、その日本版ってわけさ。その形は曖昧で、しかし特性を持つために姿を顕現できる。一目では闇の塊としか判断できないそれも、牙や爪などといった捕食を楽にする特性を持っているものだからね」

 そうと、青葉は頷いた。

 ならばその妖魔がどこから発生したのか、今まで何故身を潜めていたのか、その理由を一通り考えてから頷く。今はまだ口にすべきことでも、確認をとることでもない。

「ねえねえゴースト、これなんで自動になってるの?」

「強化さ――世界はここを契機により強固になろうとする。そのために魔法師は力を強めて担う部分を広げろ、それが〝世界の意志〟が出した答えなんだろうぜ。きっとこれから数年で魔法師は増えていくだろうし――その自動書記も、一つの形さ。君はこれからずっと、己の手ではなく法式を扱って記録を常に行っていく。狼牙もそうだ、その右手は女性のものだね。誰のかな? そうして躰の一部を〝同化〟する法式を得てしまった。本来ならば躰一つにつき一人だったのにも関わらず、狼牙は存在するだけで複数人を得ることが可能になったわけだ――不運だと、君は答えるかもしれないね」

常時展開型リアルタイムセルは辛いわね」

「青葉みたいな魔法師の方が特例なのさ」

「あら、私は弁えてるもの。……けれどそうね、訊いてもいいかしら」

「何をだい?」

「ヴォイドの感想を、よ」

「これだけの犠牲が出ているのにも関わらず、かい? まあそうだね、実のところほっとしているよ――わかっていたけれどね、こうした状況はいつか必ず発生した。それが今になってくれて、そして僕の手が打てて、あるいは鷺ノ宮が知らせてくれてだ、良かったと少しは思っているよ。こう言うと反感を貰いそうだが――被害が最小限に留まった、そう安堵したい気分だぜ。もっともまだ結果は出ていないから緊張状態さ」

「じゃまだ終わってないってこと?」

「わかりきったことを訊くものではないわ。雪芽の記録がまだ加速している以上は、継続中と考えられないの?」

「あ、そっかあ」

「ええ、まだ続いていますよ。なんだか鈍痛が続いて嫌な気分になりますね」

「あらそう? 月一で私や雪芽もそんな感じよ」

「……最悪になりましたよ気分が」

「そこに僕の名前がないのはどうしてかな青葉。そこはかとない悪意を感じるんだけれど」

「ああ忘れていたわね。ヴォイドもそうらしいわ」

 店内のやや上部に位置するテレビへと視線を向け、面倒になったので返答はしなかった狼牙の判断はある意味で正しいのだろう。

「お、始まるぜ――さすが二村、手を打つのが早い。場合によっては介入しなくっちゃいけないんだけれどね、その時は頼むぜ青葉」

「私? まあそうね、双海とはそれなりの付き合いがあるからべつに良いわよ。知ってる? 二村さん、おじ様って呼ぶと結構喜ぶのよね」

「君、それを悪い方に使ってないだろうね」

「あら、悪女みたいに言わないでちょうだい。ステレオのアンプを購入する時に代金が少し足りなかったから、ちょっと貸してくれないかしらおじ様? と上目遣いで言ったら、どうしてかプレゼントだってくれたことがあるけれど。ちゃんと抱きついてありがとう、と言っておいたわ」

「いいなあ、あたしもやってみよっかなあ」

「間違いなく悪女だよ青葉は、うん」

 ノイズが一瞬入り、画面が変わる。緊急速報のテロップが入るのを見た青葉は、チャンネルを操作して四つの番組を画面割りして同時に映した。

「そういえば公人がいないわ」

「学校でしょうか」

「さあ……ま、妙なことに巻き込まれていなければ良いと僕は思うよ。今はとりあえず報道を見ようじゃあないか」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る