第17話 嫌いじゃないけど…

 襲来する寝不足生徒ゾンビたちをさばき、体調を崩してやってきた生徒をケアし、アンヌと共にカンニング対策でボロボロになっているベルギウスを励ましているうちに、あっという間に試験期間は終了した。

 初めてのことに気を張ってヘロヘロになっているフィオーネとちがい、生徒たちは試験が終わった途端、驚くほど元気になった。

「先生、すぐにニキビがなくなるお薬ちょうだい」

「髪の毛にツヤを出したいんだけど、どうしたらいいですか?」

「肌がきれいになるハーブティー、調合してください!」

 せっせと薬の補充をするフィオーネの横で、ナターシャ率いる女子生徒たちがピーチクパーチクとさえずる。

 男子たちほどの無茶はしなかったようだけれど、女子たちもやはりそれなりに無理はしたようで、試験期間中にボロボロになった肌や髪が気になるらしい。

「ニキビは炎症止めとかできにくくする薬は出せるけど、とりあえず清潔にしてチョコを食べすぎないようにしてくれないと効果は保証できないよ。髪はアンヌ先生がいいオイルを持ってたよ。ハーブティーはあとで調合してあげるから、ちょっと待ってて」

 フィオーネは視線も上げずに、せっせと手を動かして薬を作る。生徒たちには試験が終わったという解放感があっても、フィオーネは通常営業に戻っただけだから、気持ちにかなりの温度差がある。

「試験が終わって嬉しいのはわかるけど、あなたたちちょっと、浮かれすぎじゃない?」

 刻んでってあとは鍋で煮るだけになった薬草を瓶に詰めながら、ようやくフィオーネは女子たちを見た。彼女たちは一様に華やいでおり、とても楽しそうだ。

「ただ試験が終わったからってだけじゃないんですよ! もうすぐパーティーがあるから、張り切ってるんです!」

「パーティー?」

「先生、知らないんですか?」

 ウキウキしたリリアの言葉に、フィオーネは首を振った。完全に思考が職員側に偏ってしまっているため、その単語を聞いても楽しげな催しイベントには聞こえず、新たな業務ミッション発生にしか思えなかった。

「前期試験が終わると休暇の前に盛大なパーティーが行われるのが恒例なんですよ。学年末のプロムは卒業式の前ってこともあってしんみりしちゃうんですけど、このパーティーはひたすら楽しいものなんです」

 ナターシャも嬉々として説明してくれるけれど、フィオーネの心は少しも動かなかった。それに気づいて、女子たちは顔をしかめる。

「何でそんなに楽しくなさそうなんですか? 先生も出ますよね?」

「えー、面倒くさいからいいや」

 期待の眼差しを向けられ、フィオーネは即答した。これは口癖でも、ポーズでもない。パーティーで浮かれて怪我した生徒たちが医務室になだれ込む事態が容易に想像でき、本気で面倒くさかったのだ。

 フィオーネは最近、ベルギウスの気持ちがわかるようになってきている。

「先生、私たちと年変わらないのに、そんな枯れたこと言って……パーティーではドレスアップして、気になる人と踊るんですよ? 誰か気になる人を誘ってもいいですし、先生が出席すれば喜ぶ人もたくさんいますよ」

「可愛いドレスを着て会場に行くだけでも楽しいですよ!」

「ご馳走もデザートもたくさんありますよ」

 女子生徒たちは、口々にフィオーネをパーティーに興味を持たせるようなことを言う。それでも、フィオーネは笑って首を横に振った。

「楽しそうなのは伝わったわ。でもね、私は医務室の先生だから、裏方で頑張らなきゃ。みんなは楽しんでね」

 手早くハーブティーを人数分、袋に分けながらフィオーネは言った。ナターシャたちは何か言いたそうにしたけれど、帰る雰囲気にされてしまっては、何も言うことはできなかった。

(パーティーねぇ……たとえ私が生徒でも、縁のない行事だったな)

 女子たちを帰したあと、アンヌにもらった紅茶で一服しながら、フィオーネはそんなことを考えていた。

 生徒たちの中にも、にぎやかな場が苦手だったり、着飾るのが嫌いだったりその余裕がなかったりする子もいるだろう。フィオーネはどちらかというと、そういった子たちの気持ちがよく理解できる。

 フィオーネが魔女のせいもあるかもしれないけれど、大多数に混じるのが苦手なのだ。

 それに、家にお金の余裕があまりないのもわかっている。だから、たとえフィオーネが今、学院の生徒だったとしても、心底楽しめるかどうかわからないパーティーのために、ドレス代を捻出してもらう気にはなれなかったにちがいない。

 そんなことを考えてしんみりしていたとき、あわただしい足音が医務室に近づいてきていた。

「フィオちゃん先生ー!」

 駆け込んできたのは、志高い暴れん坊・エミールだ。いつも他人を翻弄してばかりな彼のあわてた様子に、フィオーネは目を丸くする。

「どうしたの、エミール? あなたも肌荒れや髪の傷みの悩みがあるの?」

「ちがうよ! ちょっと聞いてよ!」

 エミールは勧められる前に椅子に座り、プリプリしている。何だか長くなりそうだなと感じ、フィオーネはポットの中に残っていた紅茶をカップに注ぎ、エミールに差し出した。

「それで、何か怒ってるみたいだけど、何があったの?」

「それがさ、ダリウス先輩にパーティーに誘われたんだよ!」

「……え⁉」

 疲れ切っていたからか、フィオーネは違和感に気づくのが一瞬遅れた。エミールの外見が完璧な美少女なのもいけない。

「でもさ、エミールはダリウスを慕ってるんでしょ? だったらいいじゃない」

「僕は男なの! それに今年は“クピドの矢”事件の償いとして、男装して女の子たちと踊らなきゃいけないからさ」

「男装って、あなたは元々男でしょ。って、カップル成立したままの子たちがいるのね。……まあ、その子たちも、あなたもダリウスも、愛があればいいんじゃない?」

「だーかーらー! そういうんじゃないんだって!」

 愛らしい少女の姿で、エミールはしきりに自分が男であると主張している。女装は趣味で、あくまで恋愛対象は女性であると。そんなことはどうだっていいフィオーネは、ぬるい目で見つめながら残りの紅茶を飲み干した。

「僕だってね、ダリウス先輩が心底僕の可愛さに惚れ込んでパーティーに誘ってくれたのなら、考える余地はあったよ。でもね、そうじゃなくて明らかに誰かの代わりに誘われたんじゃ、気分も乗らないわけだよ」

 言いながら、ジトッとした目でエミールはフィオーネを見ている。その物言いたげな視線に、フィオーネは首をかしげた。

「え? 言わなきゃわかんないの? ダリウス先輩さ、これまでずっと押せ押せだったのに、未だにその相手の態度が変わらないから、今になって怖気づいたんだよ。こりゃ、いよいよ脈がないんじゃないかなって。そうはいっても、ダリウス先輩みたいな人がパートナーも連れずにいたら、パーティー当日、周囲がもめるかもだから、それでとりあえず僕を誘ったんだろうね。わかる?」

 渋面を作ってエミールは言う。ダリウスの心境についての推測を聞かされて、身に覚えがありすぎるフィオーネはそっと目をそらした。

「二人の間に何かあったっぽいのはわかるんだけど、フィオちゃん先生の態度が変わらないのは何でなの? ダリウス先輩の様子を見る限り、何か特別なひと押しをしたみたいだけど?」

「…………」

 容赦なく問われ、フィオーネは言葉に詰まった。

 “特別なひと押し”というのは、おそらく一年前の事件について打ち明けたことだろう。あまり人に知られたくなかったこと、心の奥に隠していたことを、フィオーネにだけ話したのだ。あれはフィオーネを信用し、特別視していたからこそ語ったのだということは、理解していた。

「態度を変えないのは、自覚してのことなの。ダリウスにとっては“優しい無関心”な人が必要だってベルギウス先生が言ってたから、それなら私はずっとその役割を果たしていたほうがいいのかなって……」

 フィオーネも、悩んだ上でのことだった。

 出会ったばかりの頃は、変だし危険な人だと思っていた。第一印象があまりにも強烈だったから。でも、何かあるとすぐに手を差し伸べてくれることに、まっすぐぶつかってくる姿に、フィオーネもいつしか心を許していた。

 でも、態度を変えるのはどうなのかと思い、あの日以降もフラットな姿勢を貫いているというわけだ。 

「あのさ、一生懸命近づいてこようとしている人の目の前で扉を閉めるのは、“優しい無関心”とは言わないんじゃないの?」

「……そっか」

「で、ダリウス先輩とパーティー行きたいよね?」

「……誘われれば、行くよ」

 煮え切らないフィオーネの答えに、エミールはますます表情を険しくした。そんなふうな表情をしても、エミールは相変わらず美少女だ。

「ドレスとかの心配はしなくていいからさ、もしダリウス先輩が勇気出して誘いに来たら、ちゃんとOKしてあげてよ! ………嫌いじゃないでしょ?」

「それは……うん」

 またもやはっきりしない返事をしてしまい、よくないなとフィオーネは自覚した。でも、足りない言葉を補おうとしたそのとき、運悪くチャイムが鳴って、昼休みの終わりを告げる。

「とにかく頑張るんだよ!」

 次の授業の予定があるのか、エミールはそう念押しして医務室を出て行った。

 残されたフィオーネは、エミールから投げかけられた問いについて考える。

(好きか嫌いかで考えれば、そりゃ好きだけど……その好きは、一緒にパーティーに行く好きなのかは、わかんないよ)

 こんなとき、ただ黙って話を聞いてくれるモフモフが恋しいのに、カイザァはまた不在だ。でも、もしかしたら今、誰かのことを慰めているのかもしれないと考えると、仕方がないとも思う。


 誰にも話すことができず、そのせいでフィオーネは放課後までモヤモヤして過ごした。考え事をしながらだったため、当然作業はあまり進まず、薬の補充の予定に遅れが出ている。

 そんな状態だから、正直あまり誰にも会いたくなかった。でも、そうに思っているときに限って、来訪はあるものだ。

「先生、今、いいいですか?」

 暮れかけの空のオレンジを背負って、ひとりの女子生徒が医務室の出入り口に立っていた。

「……大丈夫よ?」

 その女子生徒は全身に緊張感をまとっていて、それを感じ取ってフィオーネも身構えた。

「あ、あの……」

 しばらく沈黙が続いたあと、ようやく女子は口を開いた。でも、そのあとがなかなか続かない。

「どうしたの? あなたも、パーティーの前で肌荒れとか髪のことが気になるの?」

 仕方がないから、フィオーネはそう水を向けた。すると、その子はパーティーという単語にぴくりと反応した。

「……先生は、ダリウス先輩と一緒にパーティーに行くんですか?」

「え? ううん。誘われてないわ。それに私は職員で、裏方に徹することになると思うし」

 ああ、そういうことか……と、フィオーネは思った。そして目の前の女子がここへ来た理由を理解して、望むように答えてやった。それなのに、納得した様子はない。

「先生は、ダリウス先輩のこと、好きなんですか?」

 まっすぐにフィオーネを見つめて、女子生徒は問う。その一生懸命さに、フィオーネはハッと気づかされた。自分には、この一生懸命さはないと。

 ダリウスのことは、嫌いではない。むしろ、好きだと思う。でも、それは友情であって、この子のような恋慕ではない。こんなふうに必死になる気持ちは、フィオーネの中にはないのだから。

「ノイバート君のことが気になるのね? それなら、思いきって誘ってみたらどうかな?」

 ここにエミールがいたら、きっと思いきり顔をしかめただろう。そう思いつつも、フィオーネはそう答えていた。

 

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