フェチ5 飯は噛めなり
「んもぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
「むぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!」
牛の鳴き声が耳に届く、田舎の古きよき風情ある酪農畜舎、美味い牧場。ここでは、新鮮な冴子牛とピ・ティーCOWの生絞りミルクを使ったアイスクリームやバターを
「はいストップ!間違いなくアウトだから、その辺で茶番はやめとこうね。」
「ていうか、うちは牧場じゃないです!回転寿司屋の美味い鯉です!冴子とぴち子さんも牛の鳴き真似はやめて下さい!」
「なんだ、これからがいいとこなのに。牧場を継ぐのが嫌で家を出たクリス君が、脱サラして親孝行に帰ってくるシーンができないじゃないか!」
「いや、唐突に牧場ハートフルストーリーを始められても困るから…。」
「マム!ダッド!レアキャラが手に入るガチャで生活費がなくなったから、前借に来たゾンババヌポよ!!」
「ハートフルどころか駄目息子の日常じゃないか…。」
えーっ、そろそろ話を戻すとしよう。ここは、牧場でも牛舎でもなければ、クリス君の通う職場でもない。光の結社たる人助け研究所と闇の一軍であるはた迷惑追求所の一時合同本部となっている地元で人気の回転寿司店、美味い鯉である。黒と白の模様が特徴的な牛のコスプレをした冴子とピ・ティーコが、ほうれん草を醤油につけて少しずつモチャモチャして、干草を食べる牛の気持ちを考えていたのだ。というのも、今回情報が入った宿敵、フェチの会のメンバーの特徴が「飲食店に長居する牛」だったからなのだ。冴子とピ・ティーコは相手の気持ちになった上で、人選を考えようとしているのである。敵を知るためには、敵の立場になって考える事が重要なのだ。
「あー…海苔を巻きたい。ほうれん草を海苔で巻いて醤油で食べる…私のポリシーが脳神経に命令を下すぅ~。」
「分かるゾンババヌポよぉ~。キャベツにベーコンを巻く然り、レタスにチーズを巻く然り、トイレットペーパーの芯に両面テープを巻く然り…巻き道は我々の日常の友ゾンババヌポ!」
「トイレットペーパーの芯に両面テープを巻く場面てどういう時ですか?」
「それはゾンババヌポ…ほら、床掃除にコロコロってゾンババヌポ!」
「…今考えたでしょ?」
「…ヌポォ?」
とぼけた様子のピ・ティーコの口に千佳は目一杯ほうれん草を詰め込んだ。その傍らで、ほうれん草を一つ丸ごと食べ終えた冴子牛は、閃いたようにお腹のポケットから会員名簿を取り出し、ページをめくった。あるページで手を止め、名前の部分を指で小突く。
「所長、今回の敵は『食事時間が長過ぎる』だったな?」
「そうだね。閉店時間を過ぎても帰らないとかで、店側が困ってたらしいよ。」
「ならば時間のスペシャリスト、TKタクを!」
「なるほど、彼女なら…。」
所長はすぐに携帯を取り出し、TKタクに出動要請をする。一仕事終えた冴子は、ほうれん草のおかわりをポケットから出して、またもちゃもちゃ始めた。
「ああ…海苔が欲しい。これほどまで海苔のことを愛おしく思えたのは、初めて海苔の佃煮をご飯にかけて食べた時以来だ。あの時はご飯を6杯おかわりして、お腹を壊し過ぎて悔しさと快感に涙が溢れたなぁ…。」
床に寝そべってほうれん草を少しずつ噛みながら、冴子は過ぎ去りし日の過ちを振り返っていた。すると、彼女の言葉からヒントを得たわけではないが、口一杯のほうれん草を一気に飲み干し、ピ・ティーコも部下に連絡をかけた。相手に今回の任務のことを伝え、スマホを切ると、そのスマホを千佳の口の中に押し込んで、正座する千佳の膝に頭を置いて寝そべった。
「ふふふ、ほうれん草に含まれる『う』が私に恐るべき攻略計画を教えてくれたゾンババヌポ。この作戦で以って長居牛ちゃんも人助け研究所の刺客も、冴子の心も全て、私のものにしてやるゾンババヌポ!!」
「ふぁほぉくひぃいえぁいえ~~~~~~!!!」
肩叩き県某所にある牛丼専門店「すきなの家」。注文から僅か10秒で頼んだものが出てくる早さと、客それぞれに合わせた盛り付けのボリュームが指定できる点、メインである牛丼の味付けの良さが人気に火をつけ、老若男女個人グループ問わず、食事の時間帯には大変に混み合う繁盛店となっている。そんな活気溢れる店のカウンター席に陣取る大きな影。この男のおかげで、店は日々頭を悩ませていた。
カウンター席三人分の幅を取って座るのは…牛だ。白黒柄の体、小さな二本の角、両鼻穴を繋ぐ鼻輪。紺のビジネススーツをきちんと着ていること以外は至って普通のモウモウ牛さんが、細目のまま咀嚼をしているのだ。彼こそ、フェチの会が誇る噛み噛みごっくん王、モゥモ喰うである。
「んーーーーーーーーーーー。んーーーーーーーーーーーー。」
彼の目の前のテーブルに置かれた牛丼のどんぶりには、まだ半分程山盛りのご飯と肉が残っている。随分前から店に居るのだろうか、牛丼からは出来立て特有のホカホカ湯気が出てくることがなく、一番美味しいタイミングを逃して悲しいことに冷めてしまっているようだった。
「んーーーーーーーーーーーー。んーーーーーーーーーーーーー。」
モチャモチャと口を動かして内容物をよく噛むモゥモ喰う。何度目の反芻とも分からぬ咀嚼行為は、周囲に永遠を感じさせるほどに長くゆっくりと続いている。実際、彼が来店して帰るのは、閉店時間を過ぎて翌朝、仕込みをしている途中。初めて来た時には店長が怒鳴り散らしたが、まるで聴く耳持たず。動かそうにも牛の巨体は重くて不可能、かといって警察を呼ぶと店の評判が落ちそうで怖い。帰り際にちゃんとお金を払ってくれることもあり、今日まで何の対処もできなかったが、店側としては迷惑な客に変わりなかった。そんな店に長居する牛歩野郎に二人の少女が近付いてきた。ポニーテールにメイド服姿の少女はモゥモ喰うの左の席に、紫の口紅輝くツインテールのゴスロリ服に身を包んだ少女はモゥモ喰うの右手席に、それぞれ腰を下ろした。強気メイドさん風の少女が人助け研究所のTKタク、わがままお嬢様風のゴスロリちゃんがはた迷惑追求所のマナポイである。マナポイは、手振りで自分から仕掛けるとTKタクに伝えると、TKタクは腕時計を確認してから片手をワキワキさせてOKを出した。
「えっとぉ~、牛ちゃんう丼セットぉ~汁増しでぇ~。」
メニューを見て注文を伝えると、あっという間にマナポイの前に料理が出てきた。小どんぶりの牛丼とつるつるの冷やしうどんが付いたセットメニューだ。マナポイは、紅しょうがを牛丼に乗せ、割り箸を割ると、箸先をうどんと牛丼、交互に何度も繰り返し向け始めた。
「ん~、どっちから食べよっかなぁ~?マナたん、困っちゃうのぉ~。」
モゥモ喰うに見せ付けるように見事な迷い箸を披露するマナたそ…マナポイ。しかし、モゥモ喰うはただ正面を見つめたままひたすらに顎を動かしていた。効果がないと踏んだところで、マナポイは次の作戦に移る。
「じゃ~あ~、モーモー牛ちゃんからぁ~ムニャムニャしちゃうのぉ~。」
マナポイは、牛丼のどんぶりをそっと持ち上げて、口のサイズに合った量を箸で取り、牛肉とご飯のハーモニーを口の中に収めた。牛肉そのものの旨味と、その旨味が滲み出た出汁の染み込むご飯の組み合わせが、幸福のひと時をもたらしてくれる。マナポイは両頬を押さえて天使の微笑みを浮かべた。
「ふぅぅぅん~!!ほぉぉぉいひぃぃぃぃぃおぉぉぉぉ!!!」
幸せの絶頂に数刻だけ浸り、任務を思い出したマナポイは、すぐにモゥモ喰うの耳元に顔を近付け、口を開けてわざと大きな音を立てるように咀嚼を始めた。
「クッチャ…クッチャ…クッチャ…クッチャ…。」
天使の皮を被った悪魔の怪音波が絶え間なく発せられる。常人であらば、耳元でこんなことをされては正気を保てずに席を立ってしまうところだろう。そう、常人ならば。
「んーーーーーーーーー。んーーーーーーーーーーーー。」
モゥモ喰うは変わらぬ様子で咀嚼を続ける。聴こえていないはずがないのだが、さして気にならないのか、不快感を感じて怒りを露わにすることも、耳を閉じて席を立つことも全くなかった。中々の強敵にマナポイは一層気を引き締める。
「やるじゃないぃ~。ならぁ~下手な鉄砲ぅ~BQNだよぉ~。」
マナポイは懐からストローを取り出し、先端を牛丼の汁に浸す。ストローを口の端に咥え、箸でうどんを持ち上げると、恐るべきコンボ攻撃を繰り出した。
「ブクブクブク、ズゾゾゾゾゾゾゾ、チュパチュパチュパ、ブクブクブク…」
店内に響く食の暴音の数々。説明しよう。マナポイが繰り出すこの食音三撃は、汁や飲み物といった液体にストローで空気を送り何度も泡を立てる「泡音」、その手の音に風情を感じる日本人でさえ不快に感じるような啜り音を発する「麺音」、箸についた液体を小気味よく吸い取る音を響かせる「舐音」、この三音を連続サイクルで発することで、隣り合う席の客を不愉快地獄に突き落とし、外食できなくなるほどのトラウマを植えつける闇のエチュードなのだ。
「ズゾゾゾゾ…どうかしらぁ~?逝っちゃったかしらぁ~?」
一仕事終えたようにモゥモ喰うを見るマナポイ。だがしかし、フェチストは一筋縄ではいかなかった。
「んーーーーーーーーー。んーーーーーーーーーー。」
まるで効果がない。モゥモ喰うはやはり咀嚼を続ける。その表情に不快感も居心地悪さも一切感じられなかった。渾身の必殺技が通用しなかったことで、マナポイはいよいよ追い込まれる。
「強敵ねぇ~。…使いたくなかったけどぉ~最後の手段よぉ~。」
マナポイはテーブルに乗った食器一式をTKタクのテーブルに移動し、自分のテーブルの上にお尻を乗せて座った。足をバタつかせながら、不敵な笑みをモゥモ喰うに送る。
「うふふぅ~。」
「んーーーーーーーーー。んーーーーーーーーーーーーーー。」
「ぶぼぼぼぼぼぼぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉl!!!!!!!!!」
突如として店内に響き渡る大きなガス放射音。時間差ですぐに店内に悪臭が漂う。強烈な臭いに混み合っていた店内から客が次々と外に飛び出していく。店員も鼻を押さえながら店の全ての窓やドアを全開にした。察しの通り、爆発源はマナポイである。吸引するだけで吐き気を催すような猛毒放屁を食べている目の前でされたが最後、半年間は食事ができない体になってしまうという恐ろしい秘密兵器なのだ。個人だけでなく店全体にまで効果を与える反則技、これを耐え抜いたものは過去に一人としていない。
「やったかしらぁ~?」
店を支配していた地獄の異臭が過ぎ去ったことを臭い計測器で確認したTKタクは強固なガスマスクを外した。事前にマナポイから渡されていたものだった。店員すらも姿を失った店内。間近で毒ガスを喰らったモゥモ喰うは果たして。
「んーーーーーーーーーーー。んーーーーーーーーーーーーーーーーーー。」
「ええええええぇ~~~~…。」
咀嚼をしている。咀嚼をしているのだ。嘔吐物とも排泄物とも取れる胃をチリチリさせる悪臭を意にも介さず、変わらぬペースで顎を動かし、まるで効果がない。鼻輪に消臭効果があるわけでもなく、鼻が詰まっていたりおならでご飯三杯いける変態的嗜好があるわけでもない。彼は至って自然体のまま食事に臨んでいるのだ。
「…もうやだぁ!マナたん帰るぅ~!!」
思うような成果が出せず、すっかりいじけてしまったマナポイは、頬を膨らませて涙を浮かべながら店を出て行った。彼女の敗北を見届けて、TKタクは腕時計を一度確認し、懐からメトロノームを取り出した。次はいよいよ我らが光の使徒、人助け研究所の出番である。TKタクは、メトロノームをテーブルに置いて初めはゆっくりと往復するように設定。カチッ、カチッとゆっくりと一定のリズムで往復するメトロノーム。しかしモゥモ喰うに変化は見られない。TKタクは腕時計を確認し、マナポイが残したセット料理の余りを食べ始めた。
一時間後、店にお客さんと従業員が戻り、再び活気を取り戻す店内。モゥモ喰うとTKタクは相変わらず並んで座っていた。その間もメトロノームは音を鳴らしながら往復を繰り返す。と、TKタクは腕時計を確認し、自然なリズムを保つタイミングでメトロノームの往復幅を縮めた。先程よりも短い間隔でカチカチと一定のリズムを刻む。TKタクはもう一度腕時計を確認して、腕を組んで静かに目を瞑った。
更に1時間、2時間、3時間…一時間経過する度にメトロノームの振り幅を短くする行為を繰り返すTKタク。彼女の行動にお構いなく、モゥモ喰うは変わらず咀嚼を続けていた。誰もがTKタクの撤退を思い描いたその時、事態は動き出した。
「んーーーーーーーーー…ご馳走さんでした。」
閉店時間が30分前に迫った夜の時刻、モゥモ喰うが席を立ったのだ。どんぶりの中身は完食されている。全て食べ終えた上で席を立ったのだ。モゥモ喰うは胸ポケットから革の財布を出してお金を払い、店を去っていった。彼の背中を見送って、TKタクは腕時計を確認しながら笑みをこぼし、激しく往復を繰り返すメトロノームを止め、懐にしまった。その後、マナポイの料理の代金を支払い、彼女もまた店を去った。夜風になびくポニーテールを左右に揺らし、TKタクはスマホで本部に報告しながら夜闇の中へと消えていった。
「あれから牛丼屋に通う牛君が、15分とか20分で店を出るようになったそうだよ。」
数日後、回転寿司店の右奥の席で事後経過の報告をTKタクから受けた所長が嬉しそうに、モゥモ喰うの長居が改善された様子を語った。牛乳パックのコスプレをした冴子もまた、イチゴを舐め回しながら任務の成功に頬が緩む。
「長居は悪いことではないが、何事にも限度というものがあるからな!これで牛君もウェルカムな客として店側と良い関係が築けそうだ。」
「それにしても、『メトロノームで咀嚼の速度を矯正』…だっけ?すごい方法を思いつくよね、そのTKさん。」
「彼女は時間のスペシャリストだからな!他にもカップラーメンの待ち時間を短く感じさせる方法とか渋滞時の対処法とか、色々な豆知識を持っているぞ!」
「豆知識ならマナポイも負けてないゾンババヌポ!」
TKタクの話で盛り上がるところにピ・ティーコが割って入る。冴子の手からイチゴを奪い、自分の口の中に放り込んだ。
「んん、美味いゾンババヌポ!マナポイだって、食事の作法や礼儀、公共のマナーというものを熟知したプロフェショナルゾンババヌポ!」
「へえ。やっぱり、悪いことをするのにもそういう知識を身につける必要があるんですね。」
「敵を知り、その虚を突くゾンババヌポ!基本中の基本ゾンババヌポよ。」
「その点は正義も悪も同じだな。敵を知り、己を知る、尻敷かれる夫の涙、とはよく言ったものだ。」
「夫の下りは初耳だけどね。」
自らの欲望を満たすために人の迷惑省みない厚顔甚だしいフェチの会のメンバーを更生させた人助け研究所とはた迷惑追求所。己のことを第一に考えるセルフィッシャーたちの利己性を見直させるために、光と闇の戦士は、明日もまた人知れず戦いの場へと向かう。
☆今日のぷーたん☆
「何故だ…何故貴様が生きている!?はっ!まさか、あの時に!!」
セイタカアワダチソウの木陰でのんびりお昼寝。おへそでピョンピョン跳ねるツマグロヨコバイのジョニーがくすぐったいけど、ポカポカ陽気には勝てないね。おやすみ、ぷーたん。そよ風のシンフォニーに包まれて、静かにお眠り。
明日は、どんな顔を見せてくれるかな? ぷーたん、またね!
☆ーーーーーーー☆
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