第34話 訪問

 俺が半分のぼせた頭で部屋に戻ってみると、離れていたはずの二組の布団がしっかりとくっつき、その片方でアイさんがゴロゴロしながらPCに何か打ち込んでいた。


「あ、おかえりにゃ」

「ただいま」

「おかえり、っていいね。なんか一緒に住んでるみたい」

「住んでませんから。それより何ですかこれ。どうして布団がくっついてるんですか?」

「くふっ、バレたにゃ」


 寧ろバレないと思えるアイさんの思考回路が甚だ疑問だよ。


「いつでも八雲君のお布団に侵入できるように準備しといたにゃ」

「しなくていいです。広々と寝たいです」


 俺が冷たく言い放つと、アイさんが取って付けたように口を尖らせている。


「えー? あたしが誘って断る男なんて、見たことない」

「何人食ってるんですかっ!」

「冗談だってば」


 冗談とは思えねーよ……と心の中で文句を言いながら、俺は風呂に入る前に飲んでいたお茶の残りを啜った。既に冷たくなっているが、風呂上がりの身体にはちょうどいい。


 空いている方の布団に無造作に座ると、アイさんがそれはそれは嬉しそうに俺に絡みついて来る。


「何してんですか」

「舞が伊織にこんな風に絡みつくかな、って検証」

「ハーレム要素は無くていいんですが」

「恋愛要素は必要だから」


 俺の背後に回り込んで、ギュッと首に絡みついて来る。

 んー……悪くない。って言うか、個人的にはこういうのは嫌いじゃない。寧ろ好きだ。

 でも二人きりの部屋で俺の背中に胸押し付けてくんのやめろ。気持ちいいだろ。


「ねー、八雲くーん」


 って耳元で囁くな。


「なんですか」

「大好き」

「そうですか。ありがとうございます」

「八雲君もだよね」

「まあ……そう、ですね」


 うわぁ、やめろ、首にキスすんな!


「ねえ、キスしようよー」

「あの、アイさん」


 俺はこれでもかと冷静な声を出してみた。


「今、お風呂で思いがけない人に会いました」

「ふーん、そう。あたしには関係ないもん。八雲君さえいればそれでいいもん」

「ミステリーの帝王」

「ん?」

「氷川鋭」


 一瞬の間があって、すごい勢いでアイさんが俺から離れる。


「氷川鋭って『東尋坊殺人事件』の?」

「それです」

「『清津峡殺人事件』の?」

「それです」


 ……っていうか、あの人一体どれだけ殺人事件起こしてるんだか。


「小難しい雰囲気の、近寄りがたいオーラ全開の、白髪の老人だった?」

「四十代後半の、人懐っこくて気さくな感じの爽やかさんでしたよ」

「うっそーー!」


 アイさん、両手をほっぺたにくっつけて……まるでムンクの『叫び』だよ。


「私が藤森八雲と名乗ったら『僕の部屋で少し話しませんか?』って誘ってくれました」

「勿論、行くって言ったよね?」

「へ? 連れがいるからって断りましたよ」

「何考えてんのよっ!」


 え? え? え? ちょっと、何故俺の襟首摑む? 何故引っ張って立たせる?


「何号室? 今から行こっ!」

「迷惑ですよ」


 左手に貴重品の入ったリュックを持ち、右手で俺の手首を摑む。


「だって誘われたんでしょ? 大丈夫だよ、早く案内して!」


 なんだかわけがわからないまま、俺はアイさんに廊下へと引きずり出された。カーペット敷きの廊下に二人のスリッパの音がスパスパと響く。


「で、どこ? 何号室?」

「えーと1024号室。確か2の10乗」


 後半殆ど聞いてないだろ。俺は手を引っ張られてダラダラとついて行きながら、心の中で思い切りツッコむ。なんだかこの構図はさながら『連行される犯罪者』だ。


「1024号室って十階かな」


 俺をエレベータに引きずり込んでアイさんが独り言のように言う。派手に大股で歩いてきたせいか、胸元や裾が少しはだけて色っぽい。


「アイさん、ちょっと浴衣直してください。氷川さんを悩殺する気ですか?」

「あ、それもいいかも」


 コイツ……。ちょっと呆れた俺は、黙って自分の丹前を脱いで、無理やりアイさんに着せた。


「これも羽織っててください」

「なーに、あたしが氷川さんに奪われちゃうかもって心配?」

「は?」


 あーもう、勝手に奪われとけ。氷川さん、この人やるから貰ってくれ。


「あたしと氷川さんが仲良くなったらヤキモチ妬いてくれる?」

「氷川さん、そういう人じゃないですから」

「あっ、ここだね」


 アイさんが何の躊躇いもなく1024号室のドアをノックする。中から返事が聞こえる。間違いなく氷川さんの声だ。ガチャリと音を立ててドアが開く。


「はい、何でしょうか」


 俺は満面の笑顔で正面に立つアイさんを問答無用で横に押しのけて、慌てて彼に挨拶する。


「すみません、氷川さん。さっきの話をしたら連れが氷川さんにお会いしたいと言うものですから。執筆中でしたら戻りますから」


 俺がしどろもどろになっていると、氷川さんは再び百万ドルの笑顔で俺たちを招き入れる。


「どうぞどうぞ、藤森さん、よく来てくださいました。お連れ様もありがとうございます。まあ、入ってください」


 俺たちは勧められるまま座布団に座り、テーブルを挟んで氷川さんと向かい合った。


「初めまして、氷川鋭と申します」


 こちらから押し掛けたにもかかわらず、きちんと正座をした氷川さんがアイさんに挨拶をするものだから、こっちは恐縮しまくりだ。だがアイさんはそんなことは全く関係ないらしい。リュックからおもむろに名刺を取り出して氷川さんに差し出した。


「榊アイです。氷川さんの作品、全部読んでます!」

「ええっ、あの榊アイさん? 『I my me mine - side舞』の? 『あたしのお気に入り』の?」

「それー! きゃはっ、嬉しい!」


 大袈裟に驚く氷川さん(恐らく彼はこれが通常運転なのだろう)に、これまた全身で喜びを表現するアイさん。何かのコントを見ている気分だ。


「あのね、あたし八雲君に聞くまで氷川さんの事『小難しい雰囲気の、近寄りがたいオーラ全開の、白髪の老人』だと思ってたの。本当に八雲君の言う通り、気さくでさわやかなイケメンだったー!」


 ……待て待て、イケメンとは言ってない。勝手に付け加えるな。確かにイケメンだと思ったが、非常に悔しかったからそこは言わなかったはずだ。


「あはは、お上手ですね。ウイスキーがあるんですか、飲めますか?」

「はいっ、いただきます! あたし、つまみいっぱい持ってます」


 アイさん、リュックの中から、さきいかだのチョコだのお煎餅だのいろいろ出して来る。こんなもんが入ってたのかよ、このリュック……。


 それから俺たちは三人でウイスキーを飲みながらあーでもないこーでもないと創作談議に花を咲かせた訳なんだが、アイさんと氷川さんのコントを聞いているような感じで、俺の割り込む余地は殆ど無かった。

 たまに察した氷川さんが俺の方に話を振ってくれて、この人が本当に細かい気配りのできる人なのだと確信できたのは収穫だ。


 そのまま俺たちは盛り上がりに盛り上がり、二時頃までお喋りした後、寝るのを惜しみながらも翌日の事を考えて解散することにした。そして俺たち三人はすっかり打ち解けて、メールのアドレスまで交換する仲になってしまった。

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