ちっちゃな村の神楽のはなし。

中野徒歩

ちっちゃな村の神楽のはなし。

 俺、面白おもっしぇ顔してるろう。顔はわらでできてて、目は茄子なす、鼻は南瓜かぼちゃをくっつけたんさ。髪の毛はクマビエいう雑穀なんだ、田んぼの稲穂に混じって生えてるらよ、なんか言うても田舎の人にしか通じねえけど。

 俺、横越よこごし(現新潟市江南区)の木津きついう集落にある賀茂かも神社の秋祭りで舞われる「桟俵さんばいし神楽」の獅子頭ししがしらなんけどさ。獅子頭いうたらみんな真っ赤に塗ってあるのを思い浮かべるろうけど、俺がなんで藁でできてるんかいうとさ。


 木津がある横越と隣の亀田(現新潟市江南区)、全部ひっくるめて亀田郷いうんけど、標高が低くて水はけがわーりっけ昔から洪水に見舞われてばっかでさ。特に集落の南を小阿賀野川こあがのがわが流れてる木津は、亀田郷の中で一番大変な思いをした場所なんさ。昔は堤防が決壊することを「切れる」いうたけど、木津の堤防が決壊した「木津切れ」は、江戸時代から大正まで数えただけで十三回も起きてるんよ。

 ほんで、一口に木津いうても川の上流からかみ木津・中木津・しも木津と分かれるんけどさ。賀茂神社の氏子が住む下木津は下流にある分被害が大きいて、ちっと暮らしが落ち着いてきたかと思えばまた洪水に見舞われて、いう繰り返しで、ほんき苦労続きらったんだ。おまけに村の数少ない楽しみのひとつらった秋祭りは、前の洪水で獅子頭が流されて獅子舞ができねなってさ。神楽の笛太鼓が響かねえ寂しい祭りをやるしかねかったし、他の村からは「新しい獅子頭も買わんねえんか」いうて笑われたぐらいにしてさ。

 そんげな暮らしが、明治の中頃まで続いったんけどさ。

 その頃、村にひょうきん者のあんにゃがいたんさ。人を笑わせるのも自分が笑うのも大好きで、いるとぱっと場が明るくなるような人らったな。その代わり働き者で村を思う気持ちも強かったっけ、(怠け者)には厳しかったけど。なんか、面白ぇけど格好いい兄にゃらったよ。

 獅子頭があった頃は獅子舞の踊り手で祭りを盛り上げった兄にゃは、余裕がねえのは承知の上で、祭りの時季になるたびに村の古老に「獅子頭を新調しよう、楽しみがねえばみんな元気をなくしていくばっからろ」いうて頼んでたんだ。みんな兄にゃと同じ気持ちらったし古老らたって他所から馬鹿にされるのは悔しかった、ほんでも「後回しにするより他ねえこてや」言うて話を終わらせるしかねかったんだ。


 ある年の、秋祭りを控えた晩にさ。みんな祭りの相談するがんにお宮に集まって「今年も神楽はなしらな」いう話に一旦なったんけど、兄にゃがいきなり、仲間と一緒に即席の獅子舞を始めたんさ。使つこうたのは、藁で編んだ米俵の蓋と蚊帳かや。米俵の蓋を「桟俵さんだわら」いうんけど、木津では「さんばいし」いうんだわ。それを獅子頭の口に見立ててぱくぱくやって、蚊帳を獅子の胴体の風呂敷代わりにしてさ。

 それがおかしいておかしいて、みんな腹抱えて大笑いしたんさ。ああ、こんげにわろうたのはいったい何年ぶりだろう、て涙が出てくるほどに。

 笑いの波が収まった頃、兄にゃが「今度から、これを俺達おらっての神楽にしねえか」言うたんだ。

「俺達は獅子頭が持たんねえ、もし新しいやつをうたとしても、またいつ洪水で流されるか分からねえ。

 洪水のたびに下木津ばっかひでえ目に遭って、貧乏くじ引き続けてるような気がしてさ。空元気出してはいたけど、本当ほんきのこと言うと毎年獅子舞ができる周りの村が羨ましいてどうしょもねかったし下木津にいるのが嫌になりそうげらった、他の村に移ろうかと思うこともあったんだ。

 ほんでもさ。獅子頭が持たんねたってまた難儀したって俺達は下木津の人間だ、俺達の村は、ここにしかねえんだもん。今は嫌なことばっからけど、『きっといい日が来る』いうて信じて頑張っていくより他ねえろう。

 みんな今、俺が桟俵さんばいしで舞ったのを見て笑うてくれたろう。俺、『これでいいねっかや』と思いながらやってたんだ。俺はみんなが明るい気持ちになるような神楽を舞って、一年に一度腹の底から楽しめる日を作る、『また明日から村のために頑張ろう』と思えるような祭りにする。獅子頭がねかったら作ればいいんだ、それこそどの村も真似できねえ神楽になるねっか。俺、この桟俵を細工してちっとでも獅子頭らしく見えるようにするすけ、みんなも力貸してくれや」


 あくる日の晩から、兄にゃと村の仲間はお宮に集まって、知恵を出し合いながら何日もかけて獅子頭を作ってさ。ほんで俺が、桟俵神楽が生まれたんだ。

 そん時「どうせなら愛嬌のある顔にしよう」いう意見が出てさ。ほんで俺、こんげ顔になったんだ。でっけ口に竹を裂いて作った歯を並べてさ、金紙を貼るようになったのはずっと後なんけど。「この口で災厄を食い尽くしてほしい」いう願いも、あったんろうな。

 それ以来百年以上、下木津のみんなは毎年、秋祭りの前に集まって俺を作ってくれてるんだ。

 その間みんなしゃかりきになって働いてきたし、世の中では治水事業とか米の品種改良が進んでさ。木津は多少の大雨にも負けねえし、うんめ米が山ほどとれる村に生まれ変わったんだ。

 みんなの苦労も報われたし、そのうち新しい獅子頭が来て俺はみんなと祭りを楽しまんねなるんだろっか、いうて心配になった時もあったさ。でもみんな俺のことを忘れねえでいてくれるし、俺も兄にゃが言うたように「みんなを明るい気持ちにする」いうつとめを果たさんばねえもんな、これからもずっとさ。


 秋祭りの最後に、この口で集落じゅうの厄を食い尽くした俺はみんなに小阿賀野川の橋まで連れてってもらってお神酒みきを一口飲んでから、川に流してもらうんだ。「神楽送り」いうて、みんな橋の上から「また来年」言いながら見送ってくれるんけどさ。

 みんなにしてみれば「また来年」らけど、俺の魂は川にかぽん、と落ちた時に獅子頭から抜け出して、すぐ賀茂神社に戻るんさ。ほんで境内の大けやきに登って、木の神様と一緒に下木津をいっつも見守ってるんよ。

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ちっちゃな村の神楽のはなし。 中野徒歩 @yabu_neko

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