海鳴りは瑠璃色の想い出

かいしげる

護衛艦のいる風景

 水平線の向こうまで雲に覆われた、はっきりしない天気だった。

 木々にしがみつき五月蠅く叫んでいた短い命は羽を散らし、草むらの涼やかな演奏会がわき起こる季節となった。そんなハンカチの替えが必要なくなった頃合いを見計らって、僕は潮風舞う港町へ『里帰り』した。

 電車を降りた僕を出迎えたのは広大な海と巨大な艦影だった。ネイビーグレーに塗装された数隻が余暇を楽しんでいる。岸壁まで近づくと、そこは他にも様々なフネで賑わっていた。

 すっ、と深呼吸をした。磯と油の臭いがした。どこかで汽笛が鳴った。

 広島県呉市。

 かつては『海軍さんの街』として世界に名を轟かせた場所は、僕の青春の1ページを彩った街であり、そして僕の叔母が盛大な結婚式をあげた街でもある。


「米陸軍の青年将校カール大尉は日本人女性ミヨコの肩を壊れ物に触れるかのように優しく抱くと馬車から降りてきた」


 まるで小説の一節のようだがミヨコは僕の母の姉、つまり叔母であり、カール大尉……最終的には将軍クラスになるカナダ系アメリカ人が叔母の旦那さんだ。

 戦後直下の呉市にも進駐軍は乗り込んできた。

 当時、呉市内で働いていた若かりし頃のミヨコ叔母さんとカール叔父さんは出会い、恋に落ちた。


 ──ミヨコ、ワタシト、ケッコンシテクダサイ


 最初は「からかわれている」と思ったミヨコだったが、カールの真剣な眼差しに次第に絆され、指輪を受け取った。

 式に参加した母の話によると公道の一部を閉鎖して、そこを馬車でパレードしたそうだ。沿道には見ず知らずの人々が興味深げに顔をそろえ、口々に「おめでとう」と拍手をした。もはやそこには敵国だとか、敗戦国だとかいったピリピリした雰囲気はなく、のんきな陽光に笑顔が踊っていただけだった。

 初めて食べた脂っこい肉料理に胸焼けを起こしていた母とは違い、ミヨコ叔母さんは純白のドレスに身を包んでキラキラ笑っていたそうだ。

 晩年、軍を退役したカール叔父さんは『天気予報の専門家』として余生を過ごし、そして亡くなった。もうだいぶ前の話だ。ミヨコ叔母さんは日本に帰国することなく、家族とともにニューヨーク州郊外に暮らしていたが数年前にカール叔父さんのもとへ旅立った。


 そんな環境で育ったから、というわけではない。僕は気づけば呉にある海上自衛隊の教育隊で走っていた。終業後に横須賀の術科学校へ入校して技術的な基礎教育を受けてから、再び呉に戻ると補給艦の機関科員として配属された。

 フネは補給艦だけでなく、掃海艇や護衛艦にも乗艦した。全部、呉を定繋港とするフネだ。だから住所は自衛隊に置きながらも『外の世界』にアパートを借りて一介の呉市民としての生活も楽しんだ。

 新兵時代は高台に立つ2階屋を借りていたが、護衛艦に乗艦する頃には都会に憧れて(?)駅前の一等地に立つ築ン十年の古いアパートに移り住んだ。


「行ってみるか」


 僕は駅前へ戻ると、そこから通りを5分ほど歩いた。果たして、僕が住んでいたアパートは影も形もなく、月極の駐車場になっていた。

 ため息一つ。

 頭をかきながら別の道路から再度、港へと足を運んだ。左手の川向こうに懐かしい教育隊を臨みながらも、どこか『知らない街』を歩いているようだった。この街は観光地として見違えるほど綺麗になってしまった。鉄錆と苔生した古いコンクリは視界から隠されていた。寂れた地方の港町は遠い昔話となったようだ。

 広い通りに出た。大きな建物が視界に入る。海事博物館「大和ミュージアム」だ。戦艦大和の巨大模型が中央に鎮座し、先の大戦に関する多くの資料を収集してある。その向こうには巨大な潜水艦が偉容を放っていた。

 潜水艦のほうは模型ではない。海自が陸揚げした本物の潜水艦だ。

 艦内は若干の模様替えはしてあるようだが、基本的な機器類はそのままに手で触れることが出来る世界的にも珍しい施設である。

 また併設される建物には戦後日本の海から遺棄機雷を取り除いてきた掃海艇部隊の歴史が展示してあった。命を賭す任務に従じた自衛官の名もプレートに刻まれていた。

 多くの観光客で賑わうそこを避けるように、僕は昔良く通った喫茶店へと向かう。ひょっとしたら……月極駐車場の姿が脳裏に浮かんだ。


 そのコンクリの建物は昔のままそこに立っていた。外壁は歴史を刻むように黒ずんでいた。開けっ放しの入り口を入るとそこに、馴染みの喫茶店はあった。ガラスのドアを開けると小さく呼び鈴が鳴った。


「いらっしゃい……あ、」


 懐かしい顔はみるみる崩れて満面の笑顔になった。

「お久しぶりです。覚えてますか」

 僕は少し照れながら声にした。既に還暦を迎えているだろうママさんは「あたりまえじゃないの、どうしてたのよ」と声を弾ませた。

 僕の、戻るべき場所はちゃんとあった。ホッとしたらお腹が鳴いた。

「ハンバーグランチでしょ、すぐ作るからね」

 あの日、いつも頼んでいたメニューも健在だった。

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