第六十七頁 インソムニア 1
病室には桜野踊左衛門と、やせ細った老婆と化しベッドで眠る高木香奈、そして椿木どるが着ていた制服のみが残された。
先ほどまで高木香奈の記憶を淡々と読み上げていた椿木どるは、突然その場から姿を消した。ご丁寧に衣服だけが残り、かつてヒットした漫画で怪物が街の人々を"吸収"して徘徊するシーンを思わせた。人々は生身の身体だけ怪物に取り込まれ、衣服だけが残るのだ。
「椿木殿?椿木殿!?何処へ…」
さすがの桜野も辺りを慌てて見回し、取り乱した。姿を消すくらいなら自分も出来るが、超能力者とはいえ生身の人間が、服のみを残して消えるなど普通ではない。
…瞬間、背後に何かがいる気配がした。殺気だ。
「何奴!」
桜野は剣を抜き、勢いよく振り返った。
何も居ない。
桜野は一瞬、幽霊になってこの時代に来て、らーめんばかり食べていたから勘が鈍ったのだと思った。桜野が敵の殺気を逃さない事は無かったからだ。
桜野が振り返った勢いで、ポケットにしまっていた生徒手帳がポトリと床に落ちてしまった。入学の際に支給されたものである。
「む…」
この生徒手帳、こんなに汚れていただろうか。先日受け取ったばかりだったはずが、もう何十年も使っていないかのように表紙は傷と汚れにまみれていた。
桜野が拾い上げると、バサバサと中身のページが抜け落ちた。どれも黄ばんでおり、一部が風化している。
「………妙でござるな」
「その女の超能力にも驚いたが…お前は何だァ?俺の激烈必殺技!"エンドレス・ループ"も"仕組まれた時間<インソムニア>"も効かない人間が居るとは予想外だ!」
ふいに乱暴な台詞と共にガチャガチャと機械音が響き、ボロボロになった手帳を拾い上げた桜野の前に異形の者が出現した。
「曲者か!」
殺気の正体が自ら姿を表した。桜野は咄嗟に刀を抜き、臨戦態勢に入った。
現れたのは、意外にこれまで本作品にあまり登場しなかった、明らかな化け物。不気味な空気を纏いながら浮遊する"そいつ"は、大きな目玉のような姿をしていた。ギョロギョロと桜野を睨みつける本体と対照的に、周囲には無機質な歯車や、"II""IV""XI"といったローマ数字がランダムに浮遊していた。まるで時計の中身がそのまま化けてでたような出で立ちであった。
「俺の能力は人間を殺す事は出来ないが…"死の寸前まで追いやる"事はできるんだぜ!"CATALOGUE"は解読させねえ!」
桜野の身体に衝撃があった。しかし無傷。空気の塊のようなものが身体全身を打ったが、何も起こらなかった。
ただ、手に持っていた先程の生徒手帳が完全に風化した。土に還るかのように、ボロボロに朽ち果ててしまったのだった。
(何が起こっているのでござろうか…こやつの能力は…?)
「てめぇ、やっぱフツーじゃあねえな!俺の能力が効かないとなると…」
桜野は今一度足を踏みしめた。
「化け物とて、戦いの際には名を名乗れうつけ者!拙者は桜野踊左衛門、幽霊として現世に身を置く侍でござる」
凛として幽霊。真っ直ぐな眼差しで桜野は名乗った。武士が戦う相手に名乗る事、それは敵としての尊敬と、"必ず斬る"という宣戦布告である。
「やっぱそうか!てめぇ…ゴーストか!?何でこんな所に居るのか知らねえが…俺の攻撃が効かない訳だな」
化け物は大きな目玉と歯車をギョロギョロガチャガチャと動かしながら部屋を移動した。
「だが!」
ふいに、壁際にあるチェストが倒れ出した。倒れた先は、ベッドで眠る老婆…と化した、高木香奈だ。
そのまま化け物は姿を消してしまった。
「貴様!」
桜野は一瞬にして刀を鞘に収め、チェストと高木香奈の間に割って入った。鞘をつっかえさせ、転倒を阻止する。
少し椿木どるの制服を足で踏んでしまい、申し訳なく思ったその瞬間。
桜野は、自分の足を誰かに掴まれる感覚を感じた。
「……!?」
誰かが脚に触れている。チェストを向こう側に倒し、足元に目をやった。
"それ"は消えた椿木どるの、残された制服の中から現れた。
「こ…これは……」
小さな手と、3頭身ほどの小さな身体。髪は金髪がかっている、素っ裸の赤ん坊がハイハイをしていた。
「あ……赤子!?何故ここに…はっ!」
桜野はふと…完全に無意識だったが、壁の時計が視界に入った。
12時14分。
昼ならば学食でラーメンを食べているはずの時間。夜なら墓場に陣取った寝ぐらで休んでいる時間だ。
病室の窓の外は赤みがかった夕焼けだった。
何かが妙だ。
時計の読み方を松戸ガガに教えてもらった事がある。この時代にはそのような道具があるのでござるか!と感心したら、アタシの方がすげえぞ!とガガがムキになったのを少し思い出した。
先程時計を見た時は…こんな時間ではなかった。
おかしな時計。
老婆になった高木香奈。
消えた椿木どる。
突然現れた赤ん坊。
ボロボロになった生徒手帳。
簡単に入る事ができなかった病室。
「これは…そうか…奴の能力…なんという事だ!」
桜野は気付いた。化け物の能力は…
『今更気付いても遅いぜ、名乗ってやるよゴースト!俺の名は悪魔ルアージュ!俺の"仕組まれた時間<インソムニア>"は時間を奪う能力だ…既にこの病院全体の時間を奪った!建物は使われなければ老朽化するんだぜ…テメーの時代には無い、頑丈な鉄筋コンクリートでもなあ!』
ミシミシと足元の床が音を立てた。
驚くべき事に、床…いや部屋全体がひとりでに崩れ始めている。まるで誰にも使われずに、手入れもされずに何百年も経った廃墟のように。
重みのある、高木香奈が眠るベッドがズシンと沈んだ。
そして、間違いない。この赤ん坊は椿木どるだ。彼女は生まれた直後から今までの16年近くの時間を奪われた。だから身体だけ赤ん坊になってしまったのだ。
そして高木香奈はその逆だ。今この時から、老衰で死ぬ直前までの時間を奪われたのだろう。
そしてこの建物全体が、さっきの生徒手帳のように…
「能力で直接殺す事は出来ない…か…姑息な真似をするでござるな、悪魔め」
ミシミシと絶えず音を鳴らし、部屋が崩れはじめる。おそらくこの部屋だけではない。病院全体が崩れようとしているのだ。
「南無三!」
桜野は赤ん坊と化した素っ裸のどるを小脇に抱え、ベッドに眠る高木香奈を担ぎあげた。老いて痩せ細っており、異常に軽い。2人を元に戻すには、ルアージュとやらを倒す以外に無いだろう。
引き戸のドアを蹴破り廊下へ出た。想像はしていたがそこは異様な光景で、たくさんの老人と赤ん坊が廊下に倒れていたり、徘徊したりしていた。患者達の中に医師、看護師も混じっているようだった。
窓ガラスは外れて落ち、床は今にも抜けそうに歪な音を立てていた。
天井から不敵に様子を伺うルアージュをとらえ、桜野の表情が変わった。
「拙者が最も憎む悪とは…天下統一を阻む敵軍でも、料金以下の不味い料理を出すらーめん屋でもない」
そっと2人を床に置き、刀をスラリと抜き敵へ向けた。
「貴様の目的の為に!関係のない弱い者を犠牲にする者だ!来い化け物…我が"朱蜻蛉(あかとんぼ)"の鯖にしてくれる!」
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