第五十頁 亀ノ内・シャングリ・らいふ
宇宙人系アイドル、亀ノ内・シャングリ・らいふのマネージャー、嘉門レイに車で連れられ、街田康助とサシは都心某所にあるビルにやって来た。
アイドルプロダクションというからもっと大規模なオフィスを想像していたが、こざっぱりとした家族経営の小規模会社のオフィスのようだった。全体が古めかしく、ひび割れた壁には申し訳程度にらいふの最新シングル曲の宣伝ポスターが貼られている。
「らいふちゃん!何やってんの!」
らいふは部屋の隅、観葉植物の周りをぐるぐると小走りで回っていた。無邪気な子供のようだが、年齢的にサシの少し下程度なのでちょっとカワイソーな少女にも見えた。
「ん」
無愛想に返事をしてらいふは応接用のソファ、嘉門の隣に座…らず、立った。ぴょんと飛び上がり、"グリコ"の看板というか、体操選手のフィニッシュのように両手を真っ直ぐ上に上げ、得意げな顔でポーズを取った。
「座ってって!」
「ん」
何だこの娘は、と街田は警戒した。
「少々変わっておりまして。無礼で申し訳ございません」
嘉門はまた中指で眼鏡の蝶番を上げ、謝罪した。
「いや…しかしトップアイドルの割には質素な事務所だな。片付いてはいるが…他に所属アイドルはいないのか」
「レッスンに行っていますね。亀ノ内はレッスンには参加しないので」
「いいのか」
「いつもの事なのです…彼女は一切努力というものをしません。私にも彼女の楽曲やパフォーマンスのセンスがどこから湧いて出てくるものなのか、よく分かりません」
街田は何だか胡散臭いと思ったが、サシは目を輝かせた。
「天才…まさに天才なんですね!らいふちゃん!!」
「よく言えばですがね…まあどこまで持続するか…だよ、らいふちゃん。分かってるかい」
「私を心配するのは誰だー」
「分かったから」
「だーれだー (Radio Edit)」
「はいはい…」
会話が微妙に噛み合っていないが、嘉門はいつもの事のように呆れ顔でスルーした。
街田は、まだ自分の所に居るのがサシで良かったな、など思った。この娘は何かおかしい。メディアに出てくるキャラクターは決して作り物でなく、"素"なのだ。こんな娘と日々行動を共にしていたらたちまちノイローゼになりそうだ。
「お礼」
「そうだ。持ってきなさい」
珍しく自分から話を進めようとするな、と嘉門は思い、らいふを促した。
「ママ、ケーキ、チュッチュッチュッ。ママ、ケーキ、チュッチュッチュッ。漁船にのってー…」
これも自作なのだろうか、妙な歌を唄いながららいふはどこからか小箱を持参した。
嘉門がかしこまって挨拶をした。
「改めて、この度はうちの亀ノ内を心無い犯罪行為から救って頂き感謝します。これはささやかなお礼…私の勝手な判断ですが…金品ではない方がいいと思いまして」
「同意する。その方がいい」
街田は箱を開けてみた。
箱には、ひとつの封筒とUSBメモリが入っていた。
「ひとつは、亀ノ内の来月のコンサートのプレミアム・チケットです。表向きはもう完売していますが…S席、その中でも最も良いとされる席をあなた方のために空けておきました。2枚ありますので…」
「いいのかそれは」
「勿論です。最初はVIP席にしようと思いましたが、聞いたところ、有難いことにサシさんは亀ノ内のファンでおられると。シンプルに、ファンの皆さんが最も望む席で観て頂くのがベストかと判断しました。VIPは特別扱いではありますが、あくまで関係者、業界の人間の席。決してファンの方が楽しめるような席ではありませんので」
2枚あるというが、街田は特にどうでもよかった。カインにでもやるか、と思いサシを見た。
「……………」
サシは完全に目が点になり、硬直していた。前回からよく硬直するなこいつは。街田はとりあえずサシが喜んでいるのだろうという事を理解したので、特に気にせずもうひとつのUSBメモリに目をやった。
「これは」
「かめのうちシャングリらいふちゃんたいぼうのふぁーすとアルバム、そのなも…」
若干早口で淡々とらいふが答えた。
「"光る父親"」
何なんだそのタイトルは。
「そうです。本当はずっと先、来年の中頃発売なのですが、ミックスダウンも既に終了しています。全ての楽曲のミュージックビデオも入っています。いつやったのか私にも分からないのですが…全て彼女が一人でやりました。次のコンサートでもまだここからの曲は披露しません。戦略など都合もあってまだ眠らせておくのですが、亀ノ内がどうしてもと言うので」
「こいつ…サシは喜ぶだろうが、そういうのは大丈夫なのか、事務所として」
「もちろんネットなどへの流出は厳禁です。あなた方を信用しての贈答です」
「ぜ、絶対しません。神、いや、宇宙に誓って…しません!あとCDで出たらそっちも絶対買います、初回盤AもBも通常盤も買います」
それは小生が稼いだ金でじゃあないのか、と街田はサシを睨んだ。
「いや…ちょっと待て。やはりこっちは受け取れないな」
街田はUSBメモリを拒否する形で、嘉門の目の前に置き返した。
「せ、せーんせいのばかー!なんで!!」
「このネット時代、発売前のアーティストの新作が勝手に流出してアップロードされるというのはよくある話だろう。この作品だって例外ではない」
「と言いますと」
「万が一誰か別の者が、何らかの方法で音源を入手したとする。そいつが流出させたらどうだ。お前達が真っ先に疑うのは、確実にこれを持っている事が明らかな小生達だ。違うか」
「……一理ありますね」
「だろう。という事でこれは受け取れない」
「今申し上げましたように、この音源はミックスダウンまで全てが完了しています。完成しているのです。あとはレコード会社に提出し、CDに収録するか、オフィシャルで配信するだけ…それまでマスターデータは私とらいふが厳重に所持します」
「……」
「データを持っているのは私達とあなた方だけ。らいふはこんな子ですが、その辺は恐ろしいほどに徹底します。だから…まあ、確かに流出すれば私達はあなた方を真っ先に疑うでしょうね」
真面目な表情で淡々と話す嘉門。嘘ではなさそうだ。
「先生…」
サシが何か言いたげにこっちを見ている。ここまで言うのだから、受け取っても問題は無いのだろう。彼が何かを企んでいるわけではないという事は、ここに来る前に椿木どるの"サーチライト"が読み取っている。
「仕方ない、では…」
「いりません」
「………?」
サシがピシャリと言い放った。
「今何と」
「いらないです。考えたんですけど…そのUSBメモリは、もらうの…やっぱりやめときますね」
サシはソファから立ち上がった。らいふの無表情な顔が、ほんの少しピクリと動いた。
「私は、らいふちゃんの唄が、ステージが本当に好きで…らいふちゃんが全部やってるっていう、ええと、へんきょく?アレンジ?も大好きで…あの、本当にあの時は助かって良かったなって思ってるんですけど…」
口下手なサシはうまく言葉が出ない様子だった。
「だからこそ、て言うんですか。私はらいふちゃんのファンだから…作品は発売した時にお店で買って、帰って、ドキドキしながらプレイヤーの再生ボタン押して、聴きたいなって…来年の中頃まで、楽しみに生きられるかなって」
らいふは真っ直ぐサシを見つめていた。
「だから、これはらいふちゃんの大事な大事な、お仕事の成果です。これは受け取れません」
街田は、中々粋な事を言うではないか、と考えながら腕を組み、目を閉じて聞いていた。
「ただ…その…えーと……」
サシは何故か恥ずかしそうな顔で俯いた。
「その…」
沈黙が続いた。
「……」
「……………」
「こっち」
その沈黙を破るかのように、らいふは突然サシの手を取った。
「え?えっ!?」
「こっち」
立ち上がり、薄いドアを勢いよく開け、らいふはサシの手を引きながら階段を物凄い勢いで昇っていった。嘉門は焦って後を追おうとした。
「ら、らいふちゃん!?どこへ…」
「いや、追わなくとも良いだろう」
街田は全てを理解したように、一度は立ち上がったソファに座り直した。
「お前はマネージャーでありながら分からなかったか。あのアイドルの娘。中々のやり手だな」
「一体…」
「試したのだろう。サシの事を」
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