第58段 落ち穂拾ひ 【古長】
昔、男女の情をたいそう理解した男が、長岡というところに家を作って住んでいた。その隣に宮家の邸があり、未婚の女たちが、田舎が珍しくて、田で稲を刈ろうとした。
女たちは隣に男がいるのをみて、「ずいぶん風流なすまいだこと」と言いながら集まってきて、家の中まで入ってきたので、この男は逃げて家の奥に隠れた。女は、
ああ、建てられてからどれほどの年月を経た宿なのだろうか。すっかり荒れてしまい、住んでいた人も訪れようともしない。
などと言って、女たちは宮家に引き返し、寄り集まっていたので、男は
と詠んで差し出した。この女たちが、田で落ち穂を拾おうと言うので、
食べるものもなく困窮して落ち穂を拾うと聞いたならば、私も田に出て手伝ってやろうと思うのだが。
【定家本】
むかし、心つきて色好みなる男、長岡といふ所に家造りてをりけり。そこの隣なりける、宮ばらに、こともなき女どもの、田舎なれければ、田刈らむとてこの男のあるを見て、「いみじのすき者のしわざや」とて集りていり来れば、
この男、逃げて奥にかくれにければ、女、
荒れにけり あはれいく世の 宿なれや 住みけむ人の おとづれもせぬ
といひて、この宮に集り来ゐてありければ、この男、
葎おひて 荒れたる宿の うれたきは かりにも鬼の 集くなり
とてなむいだしたりける。この女ども、「穂ひろはむ」といひければ、
うちわびて 落穂ひろふと きかませば 我も田面に ゆかましものを
【朱雀院塗籠本】
昔。心つきなま色ごのみなる男。なが岡といふ所に家つくりてをりけり。そこのとなりなりける宮ばらに。こともなき女どもありけり。ゐなかなりければ。田からむとて此男見をりけるに。いみじのすきものの。しわざやとてあつまりいりきけれは。此男おくににげいりにけき。女かく。
あれにけり あはれ幾よの 宿なれや 住けん人の をとつれもせす
といひて。あつまりきければ。男。
葎生て 荒たる宿の うれたきは かりにも鬼の すたく也けり
といひてなむ出したりける。此女どもほひろはんといひければ。
打わひて 落穗拾ふと きかませは 我も田つらに ゆかまし物を
【真名本】
むかし、
彼れ逃げり
と云ひて、此の宮に雲集り来
となむ云ひ出だしたりける。此の女ども、穂拾はむと云ひければ、
打ち侘びて 落ち穂拾ふと 聞かませば 吾も
【解説】
「
まず、稲刈りをしようとしたのは女たちなのか男なのか。
普通は男であると解釈されるようだが、女たちが、田舎なので、たわむれに田で稲を刈ったり、落ち穂拾いをしようとした、と解釈すべきではなかろうか。
この話は当然、平城京から長岡京に遷都した当時の出来事だろう。
「宮ばら」とは在原業平の母、桓武天皇皇女の伊都内親王である可能性が高い(第2段参照)。
『古今集』0984
荒れにけり あはれ幾世の 宿なれや 住みけむ人の おとづれもせぬ
『古今六帖』3875
むぐらおひて あれたるやどの こひしきに たまとつくれる やどもわすれぬ
桓武天皇が一旦、長岡京に遷都して、それから平安京に再び都を遷した頃のことは、『日本後記』に詳しく出ている。延暦11 (784)年、桓武天皇は宇治や大原野など、長岡京を中心として、北の大井や葛野、南の交野などまで、頻繁に狩りをしている。
単に遊んでいるのではなくて、天皇自ら軍事演習に参加している。と同時に、都にふさわしい土地を探していたのだと思う。
長岡京は巨椋池のそばで、宇治川や小畑川などが貫流して、水害が多かったのだと思う。
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