038 君により思ひならひぬ 【有】

昔、紀有常が、用事に出ていて、遅くなって来たので、詠んでやった。


 あなたのおかげで、世の中で恋というものがどんなものか知ることができました


返しに


 恋した経験がなくて、世の中の人ごとに恋とは何かと尋ねて回っている私から、あなたが恋を私に教わったですって?


【定家本】

むかし、きのありつねがりいきたるに、ありきておそくきけるに、よみてやりける。

 きみにより おもひならひぬ 世中の 人はこれをや 恋といふらん

返し、

 ならはねば よの人ごとに なにをかも こひとはいふと ゝひしわれしも


【朱雀院塗籠本】

むかし。きのありつね物にいきて。ひさしうかへらざりけるにいひやる。

 君により思ひならひぬ世中の人は是をや戀といふらん

返し。

 習はねは世の人ことに何をかも戀とはいふととひわふれ共


【真名本】

昔、紀の有常、物に往きて、遅く来ければ、読みてやりける。

 君にり 思ひならひぬ 世の中の 人は是れをや 恋と云ふらむ

返し、

 ならはねば 世の人ごとに なにをかも 恋とはいふと 問ひしわれしも


【解説】

再び紀有常が出てくる。相手の男は、やはり在原業平か。


『定家』「紀有常がり行きたるに」は「紀有常のところへ行ったところ」であるが、『朱雀』『真名』では「紀有常が所用に出かけて」となる。どちらかと言えば『真名』が一番素直に意味が通る。

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