174.Sな彼女とNな彼

泣き腫らした目をしている母と


呆然と立っている妹と


医師と看護師さんが父を囲んでいた。





これは、何?




父が亡くなったのかと思う光景に


息を呑んだ。





しかし



別室で聞かされたのは



余命宣告だった。




末期がんでもう手術はできない。




私じゃなくて……お父さんが?




悪い夢の中にいるんだろうか。




目の当たりにした命のカウントダウンに



血の気が引いていく。






私は気を失った。






目を覚ますと悟さんがいた。



「実結ちゃん、起きた?」



「悟さん……?」



「お母さんと妹さんは一度自宅に戻ったよ」




ここは病室だ。




「ああ……、夢じゃない…んですね」



「実結ちゃんはどうする?」



「明日も会社なので帰ります」



「彼氏に迎えに来てもらう?」




静かに首を横に振った。




「じゃあ、送るよ」




勤務中じゃないんですか?と聞くまでもなく


悟さんは私服に着替えていたから


目が覚めるまで待っててくれたんだ。





「迎えを頼めない彼氏はやめたら?とは言わないんですね」



「言う必要がないからね」



「どうしてですか?」



「実結ちゃん別れるつもりでしょ?」




図星だった。



もうわかっていた。



紀樹には今結婚を急ぐ理由がない。




でも


私の病気を隠し続けることは


近いうちに出来なくなる。




この上


父の余命が僅かなんて言えるわけない。




黙ったまま


運転している悟さんの横顔を見つめる。




私は間違ってますか。




聞いたら間違ってると言われてしまう。




「……間違ってないよ」



「えっ?! 悟さんエスパーですか?!」



「思ってることが声に出てるから(笑)。選んだことは正しいって言ったでしょ」



「本当にそう思いますか」




家の前で車が停まる。



悟さんは私の方を向いた。




「本音は彼氏が可哀想だと思ってるけどね。俺は実結ちゃんの友達だから」



「私たちいつ友達になったんですか?」



「亘がパンチした日だよ(笑)」



「わた君は元気ですか」



「元気だよ。会いにおいで」



「行きません。私は彼氏が好きなんです」



「そうだね……。じゃあ、おやすみ」





家に入ると


妹の小夜はもう寝ていて


母は認知症の祖母のオムツを替えていた。





「実結、相談があるの」




母の目はまだ腫れている。



二人でリビングに座る。




「しばらく仕事を休んでもらえない……?」




祖母の介護をしながら


父の入院に付き添うということは


一人では難しい。



小夜は大学の春休みだけれど


祖母の介護や父の付き添いをさせるのは


可哀想だと言う。




「良い機会だから辞める」




「えっ?!」




「私の体もいつどうなるかわからないし……」




紀樹と別れたら


どのみち今の会社にはいられない。




「ごめんね」




涙ぐむ母の前では


明るく振る舞うようにしている。




「引き継ぎがあるから三月末かな」




「ありがとう」




「うん。今日はもう寝よう?」






私は朝まで眠れなかった。




『退職願』の書き方を検索して



白い便箋に丁寧に文例を書き写す。





『私儀



このたび一身上の都合により



三月三十一日をもって退職したく



ここにお願い申し上げます』





名前を書いて封筒に入れた。







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