ジュウェリビリー作戦9

ピュデスに駐屯しているドゥーマール軍第224中隊と一個「要人警護部隊」の計189名の兵士をまとめているのはオトフリート=スコルピオン大尉であった。この男は昨年のギルレイト侵攻の際、ギルレイトの要塞「ナジム要塞」を陥落せしめるのに貢献した男である。その後の西部戦線でも少なからず活躍をした。その容貌は野獣のような危険な男といった感じで、二三の小さな切り傷と、右の頬に大きな古傷がある。これらは彼が学生のころにことあるごとに「決闘」をした際に出来た傷で、頬の傷は20を超える決闘の中で、13番目の戦いで出来たものである。その相手はお返しに鼻を削がれる結果となったが、オトフリートはこの傷を偉く気に入り、直さずにわざと残したのである。



 そのような気性の男だから、平和とは退屈以外の何物でもなかった。彼にとっては危険こそが最良のスパイスであり、原動力であった。彼は西部戦線が終わると、直ちにより危険な刺激を求めて転属を願ったが、彼の能力にふさわしい仕事は少なく、部下の訓練と指導に従事してきたのだ。そして久々に任務が下ったかと思うと、それは非常に単調でつまらない「要人警護」だった。しかも要人というのもルシドル=ファーラーやその閣僚ならまだしも、街の党指導者クラス、慰安旅行に出かけるからときた。しかもどうやら愛人をつれているらしい…。正直馬鹿馬鹿しく、情けなくなる。元敵地で、不穏分子が襲ってくるかもしれないというが…。こんなのどかな村に来るとはスコルピオンには思えなかったし、なにより…。


 「テメーの命なんぞ誰も取らねーって。」


 そんなわけで彼は真面目に仕事に取り掛かる気はなかった。部下を誘って適度な飲酒とカードを楽しみ、警護対象以上に楽しんでやろうと思ったのである。


 そんなスコルピオンが普段と変わらぬ退屈な朝をソーセージと目玉焼きで腹を満たしつつ過ごしていた時、銃声が一発遠くから鳴り響いた。


 「ありゃなんだ。」


 そう聞くスコルピオンに部下は答えた。


 「おそらく村の老人が狩猟でもしているのでしょう。もしくは誰かがヘマをして誤射したのでは。」


 部下の解答は楽観論とみなすことは出来なかった。外界から、争乱からも隔離されたこの村ではそれこそが普通なのである。スコルピオンも一瞬そう思った。しかし、彼の聴覚と記憶と直感が否定した。今の銃声は猟銃とは異なる。獣を撃ち殺すものではなく…。スコルピオンは部下に付近の捜索をするように命じた。そして装備を整えることも。部下は上官の心配性に、朝の平穏とゆったりとした食事を邪魔されたことに内心辟易としたが、すぐに上官の才覚に驚嘆することになる。


 複数の銃声が響き渡った時、スコルピオンは不敵な笑みを留めることが出来なかった。鼓膜だけではなく、胸をも震わせるのを感じたのである。


 ムンタギューら暴走した兵たちは無秩序に前進を開始した。銃を構えた姿勢を崩さず、その引き金からは指を離そうとしない。


 その異様な光景に進路の先にいた村人は驚き、恐怖した。そして村人達は不運なことに、戦闘を経験したことで半ば恐慌状態に陥り、見る者全て敵と思い込んでいる新兵たちの銃撃を受けたのである。


 「まずい、急ぐぞ!」


 そう唸ったのはローベである。彼はこの銃声を戦闘によるものと判断したのだ。それと前後して事実、駐屯していたドゥーマール軍がムンタギューらの部隊を視界に捉え、疑問も躊躇もなく戦闘を開始していた。これは指揮官スコルピオンの銃を持つものは即刻射殺せよという辛辣な命令によるものだった。


 スコルピオンは優秀な軍人ではあるが、無論超能力者ではないから、ピュデスに攻め入った者達が海から渡ってきた連合軍だとは知る由もなかった。せいぜいレジスタンスか、あるいは村人の反乱かと思っていたのかもしれない。多少短絡的な命令が下されたのは彼の好戦的な性格によるものだろう。


 そしてスコルピオンはけして獰猛な、野蛮な野獣ではなかった。むしろ猛禽類の危険な知性を兼ね備えており、その指揮は迅速で、かつ的確なものだった。しかも彼は幾度の死線を乗り越えてきて、その指揮に誤りは見られなかったのである。


 一方のムンタギューは士官学校を首席で卒業したといっても、戦術や戦略は教本の上、指揮も演習で習ったに過ぎない。実戦経験ですら初めての体験であり、その指揮は酷く拙劣なものであった。しかもその部下達は新兵の集まりだった。その上敵軍は数でも、練度でも上を行っていた。ムンタギューの部隊はたちまち銃弾の嵐にさらされ、反撃もままならないまま、斃れていく。


 ドゥーマール軍の一部は山間道の封鎖に向かったり、また森に逃げられるのを防ぐために、村の外縁の包囲に向かった。敵が何者であれ、ゲリラ戦術をとられるのを避けるためである。その途上、ドゥーマール軍は敵の別働隊に遭遇した。


 村の中枢部に侵攻した敵の主力軍よりも、この別働隊は戦闘力が高かった。ひょっとすると村の中枢にいるあの軍は陽動ではないかと思ったほどである。この部隊を率いていたのはトリスタン=ローベ、フランシーヌ=ド=グルナー、アーサーである。彼らの指揮能力はおそらくムンタギューとは同等程度であっただろうが、狼狽せず、沈着な指揮を発揮出来たのは彼らの才幹の一端を伺うことができた。また、その部下達も士気は高く、練度もよかった。特にマルソー=クラウジック分隊はその指揮をあえてローベに任せることで高い戦闘能力を存分に発揮出来た。ドゥーマール軍の方も未だ敵の全貌が分からない以上下手に部隊を分散できず、最低限の兵力でローベらと戦わざるを得なかったというのも幸運だった。要人を狙っているという可能性があり、指揮官スコルピオンは村の中心から離れられず、無線もない村のため命令も通りにくかった。


 微弱な抵抗を排して、不慣れな地理に苦労しつつ、ローベらがムンタギューの下にようやく辿りついた時、立っている者は倒れている者よりも少なく、血を流さない者はいなかった。その様子を見て、ユッダがもう、吐く物などないはずなのに、胃液を撒き散らした。ローベもその惨状をみて絶句したが、すぐに必要な措置をとった。


 ドゥーマール軍は突如現れた援軍の登場で一時後退を余儀なくされた。その間にウェリオンらは負傷者達のもとにかけつけ、担ぎあげた。ローベはムンタギューに駆けより、言い放った。


 「もう無理だ。作戦は失敗した。撤退しましょう!」


 ムンタギューは無言でなんども頷いた。いつもの彼ならば捨て台詞のいくつかも吐いただろうが、もはやそんな気力すらないようだった。呆れたのは、ムンタギュー達が武器はおろか、負傷した部下すら見捨てて、海岸へ向かって走り去ったのである。そして更に、なんとウェリオン分隊のユッダまでもがそれに続いて消えたのである。それを見てウェリオンは怒鳴るより、後ろから射殺したい欲求に襲われたが、それは後で出来るとなんとか思いとどまり、腹と足を撃たれた男を支えた。


 「リオン!」


 応戦しているフランが叫んだ。ウェリオンが振り返るとドゥーマール軍の一人が彼に向けて照準を合わせている。彼の胸が一瞬飛び上がった。やられる!しかし斃れたのはドゥーマール兵の方だった。アーサーが相手が撃つ前に逆に撃ち倒したのである。感謝を述べるべきだったが、ウェリオンは未だそれだけの感情を示せるほどアーサーの気を許してなかったので、代わりに


 「すまない。」


 と謝辞を述べた。アーサーは気にする様子もなく、ウェリオンの肩を借りている男をひきずるのを手伝った。


 「撤退するぞ!」


 ローベの命令が飛ぶ。ドゥーマール軍はその隙を見逃さず追撃や銃弾を浴びせようとしたが、左右から別の敵兵―クラウジック達―が現れて一瞬対応に遅れた。その敵兵がまるで挑発するように一撃離脱したため、いきりたった彼らは本命であるはずの撤退する負傷兵は無視して、左右の敵を追いかけた。奴らは手負いだから気にする必要はない。それよりも無傷の奴らこそ倒すべきだ。結果的にドゥーマールは囮に引っかかることとなり、ウェリオン達は森に逃げ延びることができた。


 だが、その後も至難であった。別の敵の一団がやってきて「森狩り」に乗り出したのである。ばらばらに逃げたことは成功とも、失敗とも言い難かった。ドゥーマール軍は散兵することになったので、追っての数は減ったが、はぐれた者はただただ迷う破目になった。


 どうやら敵の一団が海側に逃げたとの情報を得ると、スコルピオンはその身を留めるように命令する要人を宥め、部下に任せて、自らが前線へ向かうことにした。


 「こんな面白いことになってるんだ。テメーの尻なんか守ってられるかよ。」


 スコルピオンはそう独語して、情けなくも振り回されていた部下を叱咤すると、小人数のグループを複数組み、それぞれに役割を分担する命令を与えた。


 「敵は負傷兵を連れて足は鈍い。狩りだすぞ!」


 より効率よく動き始めたドゥーマール軍の前にはぐれた兵らはその抵抗のかすかな息の根を止められた。


 だが、ウェリオン達も、フランが道を覚えていたおかげで最短ルートを無駄なく進むことができた。彼らは負傷兵を連れつつも、なんとかビーチまで辿りつけたのである。しかしそこで驚くべき光景を目にする。見張りのアーサー分隊員とムンタギューらが、定員まで乗ってようやく小隊員全員が乗り込めるボートをほとんど一人で使って逃げようとしていたのである。


 「待て!テメーら待ちやがれ!」


 ウェリオンが叫ぶが、もちろん彼らは待ちはない。それどころかより一層慌てて発射の準備を進めていた。ウェリオンは小銃を片手で乱射した。ストーカーがそれで驚き、ラッドと一緒の船に乗ったが、発射を食い止められなかった。…8隻中3隻が失われた。


 「ふざけるんじゃねぇ!待ちやがれ!ぶっ殺してやる!」


 ウェリオンの叫びもただただ海にむなしく吸いこまれるだけで、しずかなさざ波が返ってくるだけである。


 「許さねぇぞ!奴ら…くそっ!」


 「騒いでいる暇があったら急げ!」


 アーサーが叫ぶ。ウェリオンは反感を抱いたが、彼の言うことは正しい。一刻も早くここを離れなけられば。復讐は帰ってからでも出来る。ウェリオンは負傷した男をボートの近くまで運んだ。男をその場に寝かせると、ウェリオンらは反転した。遅れている者達の補助をするためにである。ローベの元へ向かおうとした時、彼らの背後にドゥーマール兵の一個分隊が脇からわいて出てきて、射撃の態勢を取った。しかしその後ろから更にクラウジック隊が滑り込み、殲滅した。


 「クラウジック、お前達は先にボートに乗りこむんだ。エンジンを準備しておくんだ。」


 「まて、俺はまだ戦えるぞ。」


 そう言うクラウジックをローベはしかりつけた。死んで英雄にでもなる気か?お前が死ぬのは勝手だが、皆を道連れにするな。辛辣な物言いだが、クラウジックは納得して指示に従った。


 ローベと合流したウェリオンとアーサーは更に指示を受けた。


 「フランとエリザがまだ戻ってきていない。引き返して援護しよう。」


 森に戻ると、フラン達は敵の攻撃の前に後退を阻まれていた。逆撃すらままならない様子である。敵は弾幕を張りつつ、前進し、殲滅せんとしている。フランの横から敵が現れ、その胸を狙おうとした時、その兵士の後ろからイーシャ=ミョールがその頭めがけて銃を振りおろした。


ドワーフはその小柄な体に似合わず、ただでさえ力が強いが、鈍器や剣などの武器の魔力強化は目を見張るものがある。その兵士の頭はまるでザクロのように変形してしまった。だが銃の方も、そのような使われ方をするとは想定されて作られていないから、力に耐えきれず、折れ曲がってしまった。イーシャは舌打ちをして使い物にならなくなった銃を投げ捨てると小さく言い放った。


 「チッ…これだからエルフは…。」


 「ありがとう。助かったわ。」


 「別に助けたわけじゃねー。」


 イーシャはぶっきらぼうに答えた。そのイーシャの背後を更に別の兵士が狙っていた。その敵を撃ち倒したのはウェリオンであった。そのことに気付いたイーシャは不意をつかれ、しかもそれを「青二才」に救われた恥ずかしさからか半ば逆上して怒鳴った。


「助けろとは言ってねーぞ。」


 「別に助けたわけじゃねぇ!」


 ウェリオンは怒鳴り返した。体が動いただけ、とは恥ずかしので言えなかった。その感情はすぐに消え去った。エリザが木の影に隠れて銃撃から身を避けていたのである。


 「エリザ!」

 叫ぶが、距離の遠さと、弾幕が近づくのを阻む。代わりにエリザの近くにいたアーサーが援護に駆けつけ、的確な射撃で敵を無力化した。


 「大丈夫か?」


 そう聞くアーサーにエリザは静かに頷く。アーサーはやや表情を緩めると、エリザを内側に寄せて、ウェリオンらの方へ向かった。しかし、木から木へと移る瞬間、彼のわき腹と右脚を銃弾が貫いた!


 「ぐ…」


 アーサーが地面に倒れこむ。心配したエリザが寄ろうとするのをアーサーは制した。


 「俺にかまうな!さっさと行け!」


 エリザは怒号に驚き、素直に指示に従ってしまった。ウェリオンはアーサーを救い出そうとするが、距離がやや遠い。その間にドゥーマール兵が接近し、アーサーに集中砲火をかまそうとした。しかしその前に黒い巨影が立ちふさがった。鬼族の黒き巨人、ゴライアス=ガルシアである。彼はその手にウェリオンよりも太い木を持っており、それを軽々と放り投げて、ドゥーマール兵を下敷きにした。


 「なんて力だ…。」


 感嘆しつつも、ウェリオンはアーサーに近づいて、エリザの協力を得つつ、肩を貸した。アーサーは酷い痛みを感じているはずなのに、泣き言一つ言わずに押し黙っていた。


 「すまない。」


 「借りを返しただけだ。」


 ウェリオンはもはやアーサーに遺恨は有していなかった。彼は本来は「いい男」だということを感じ取った。この男を死なせてはならない。もちろんイーシャも、ガルシアも。奇妙な使命感がウェリオンを突き動かした。共に死線を乗り越えつつある彼らに友情を感じているのかもしれない。


 敵の第一波を退けた隙にウェリオン達は再び海岸に戻ってきた。そこでクラウジックらが海に向けて怒号を発しているのを遠巻きに目撃した。


「どうしたんだ。」


 聞くと顔をどす黒く紅潮させたクラウジックが怒りの咆哮をあげた。


 「お、お前達を待ってる間に船が!俺達が乗ってきたあの客船が沖へ出て行ってるんだ!」


 「なんだって?」



 疑問と驚愕を織り交ぜた声をウェリオンは絞り出した。見ると確かに、来た時にははっきりと見えた船が、今ではその船影をぼんやりと把握できるにとどまっている


 「ふざけるんじゃねぇ!俺達はまだここにいるんだ!戻ってこい!ぶっ殺すぞ!」


 怒号と手振りを交えてクラウジックは船に向けたが、ウェリオンにはもう怒りや呆れを通り越して絶望しかなかった。ムンタギューは結局生き延びたのだ。部下を見捨てるという悪行をなしながら、それこそが生き残る術だったのだ。これが正しいのか。世界を呪わずにはいられなかった。


 「まだだ!」


 ウェリオンを悪夢から救い出したのはローベだった。



 「まだ追いつける。諦めるのは早い!」

 目が覚めたようだった。そうだ。まだ諦めるのは早い。あの距離ならば追いつけるかもしれない。希望を見出したウェリオンだったが、その背後にドゥーマール兵が新たに姿を現した。


 ウェリオンの横を何かが通りかすめた。疑問に思い振りかえると、そこには額から血を流し倒れていくドゥーマール兵がいた。そして二人、三人とその数を減らしていく。再び視線をもどすと、はるか遠くから、あのダークエルフの女性、アタランテが膝を屈した状態で銃を構えていた。あの距離から当ててみせたのだ。驚くべき技量だった。エルフは目が良く、名射手だというが、それは弓矢だけだと聞いていたのに。


 だが、感激するのは後だった。今は一刻も早くボートに辿りつかなければ。ウェリオンはその足を速めた。しかし急にその力の量が多くなっていることに気付いた。肩を貸しているアーサーが急に重くなったのである。


「アーサー?おい、アーサー!」


 声をかけるが返事はない。ゆさぶってみると、ようやく意識を取り戻した。


 「ああ…。すまない。」


 「大丈夫か?」


 「ああ…いや…少し眠いんだ。」


 アーサーの声と顔からは活力が失われていた。出血も激しくなってきている。ウェリオンは一瞬血の気が引くのを感じたが、顔には出さず、アーサーを叱咤激励した。


 「しっかりしろ!あと少しだ。」


 そう言われて、アーサーは足に力を入れて、動き始めてくれた。それでウェリオンはほっと胸をなでおろした。


 敵の包囲が完成しつつあるのを感じたが、その前に脱出出来ることをウェリオンは確信した。ボートに辿りつくと、定員一杯までボートにつめて、満員になり次第船へ向かって進発させた。一隻、一隻と陸を離れ、最後に二隻残った。そして人物はクラウジック、フラン、ガルシア、イーシャ、エリザ、ウェリオン、ローベだった。


 「帰ったら酒の一杯でも飲んでやる。いや、二杯だ」


 クラウジックがそう意気込んだ。まだ帰れると決まったわけではないが、今はそれでいいのである。生真面目なはずのフランもそれに乗った。


 「いいわね。私はカクテルが飲んでみたいかも。お母様が好きだったの。お父さんはワインを集めてたけど、すぐに酔っちゃって…。」


 より真面目なローベは難色を示した。


 「まだ未成年だよ、僕らは。」


 「いいじゃねーか。俺らはそれだけのことをしたぜ。パブでもバーでも行ってストレス晴らそうぜ。」


 ウェリオンも言う。


 「それもそうか。」


 ローベはあっさり前言を撤回した。


 フランはイーシャに向き直り、自然な、綺麗な笑顔を見せた。


 「あなたもどう、イーシャ。」


 イーシャはそれでムッと顔をしかめたが、そっぽを向きつつも頷いた。


 「まぁ考えといてやるよ。」


 フランはガルシアにも振ったが、彼は黙って頷いただけで、答えは正確には分からなかった。


 「じゃあ帰ったら酒だぞ!」


 クラウジックは陽気に言うと、フランとともにボートに乗り込み、船へ向かって出発した。つづいてイーシャ、ガルシア、ローベ、ウェリオンと二隻目のボートに乗り込んだ。その時だった。悲痛な叫びが風に乗って届いた。


 「ま、待ってくれ!」


 ユッダだった。彼はムンタギューと逃げたはずだが、どこかではぐれたのだろう。まだ脱出していなか

ったのだ。肩からは血が流れて、そこを右手で抑えていた。左足も負傷しているようで、引きずっている。すぐにでも救助にいくべきだったが、後ろからドゥーマール兵がついてきていたのが一同を躊躇させた。


 「行かないでくれ!助けて!」


 ユッダの叫びが続く。ウェリオンは躊躇いながらも、冷然として言った。


 「もうだめだ。見捨てよう。」


 「駄目だ。助けないと。」


 ローベが言うが、ウェリオンは苦々しげに言った。


 「あいつは一度俺らを見捨てたんだぞ。一人で逃げ出して。そんな奴を助けるために俺らを殺す気か?」


 「見捨てれば、ムンタギューと一緒になる。僕らはあいつらとは違う、そうだろ?」


 「だけど…。」


 「援護を頼む、ルーファス!」


 言うと同時にローベが駆けだした。銃を片手にドゥーマール兵へ発砲する。


 「くそっ!」


 ウェリオンは毒づき、内心ローベにいらつきながらも、一、ニ歩前進して援護射撃をした。冗談ではない、と思った。もう少しでこの地獄から逃げだせたのに、もしも仮にユッダのせいで死んだとしたら俺は雲の上から奴を地獄のかまどに叩きこんでやる。


 ドゥーマール軍の砲火がユッダを捉える前に、ローベが彼の下に辿りついた。しかしその背後にドゥーマール兵の一人が急追し、肉薄を果たした状態から銃剣を振りおろそうとした。ウェリオンは慌てて銃弾を一発放った。


 …狙ったわけではなかった。せめて威嚇か、あるいは手足にでも当たればよかった。だが、ウェリオン=ルーファスが放ったその銃弾は慣性に従い、ごく自然な流れでドゥーマール兵の額に侵入し、その脳髄をかき乱して、少量の血を吹かせた。ウェリオンはその様子をスローで見ているような気がした。


 「あ…。」

 彼は一瞬頭が真っ白になった。彼は初めての殺人を犯したのである。今までの戦闘は可能性の話だった。たとえ当たっていたにせよ、彼は自分の銃弾で人を殺したというのを否定出来た。今回はそうはいかなかった。罪悪感や後悔という感情を抱く前に、彼の精神は活動を制止していた。その隙に、ドゥーマール軍の流れ弾がたまたま彼の右肩を貫いた。ウェリオンは痛みにより我を取り戻したが、代わりに銃をとりこぼした。


 「あと少しだ!がんばれ!」


 ローベの声が聞こえる。早く銃を拾ってローベを助けなければならない。そう思ったが、彼の視界がある一点をとらえて止まった。


 ウェリオンはその時、小さい頃の記憶を思い出していた。村一番の猟師が鹿を仕留めた時の光景である。その時の猟師と同じ見事な構えをあるドゥーマール兵が脇の森からしていた。ここからでも見えるほど、多くの傷を顔につけた男だった。


 その男が銃の引き金を引き、弾丸の発射軌道までウェリオンにはゆっくりとはっきりと見えた。そしてその弾丸がトリスタン=ローベの右側頭部から反対側まで綺麗に貫通し、彼の肉体がユッダを巻き込んで砂浜に崩れ落ちる瞬間も刹那毎に捉えた。現実のはずなのに、夢の中のような、そして白黒の世界だった。


 「ローベ?」


 ウェリオンは友人の名前を口にした。小さな声だった。届く訳もない。


 「ローベ。」


 もう一度言った。反応はない。届くはずだったが、音が足りなかったのかもしれない。


 「ローベ!」


 今度はより大きく叫んだ。ローベの隣のユッダが顔をあげ、悲痛な表情で手を伸ばし、なにか喚き立てている。ほふく前進というには不器用な這い方でこちらに向かってくるが、ウェリオンは視界に止めなかった。ただ一点にみつめているローベの体はうつぶせになったまま動かない。何処かを怪我したのか?その周りを、ドゥーマール兵が取り囲んで行く。ユッダも泣きわめいて叫んでいる。


 「ローベ…なにやってんだ…早く動け!早く帰るぞ。」


 ウェリオンが近づこうとすると、後ろから大きな黒い腕に羽交い締めにされた。ガルシアの腕だ。ウェリオンが進むのを阻害していた。


 「離せ…離せ!ローベが!」


 ガルシアは何も言わなかった。彼は目元をやわらげて、ただ無言で首を振った。理性で、ガルシアの言わんとするところは理解出来た。そして感情が激しく拒絶した。


 「離せ!離せよ!ローベが…。」


 繰り返しわめくウェリオンをガルシアは引きずってボートへ乗せた。ウェリオンはそれでもなお暴れることをやめなかった。


 「ローベが倒れてる。きっとあいつ、怪我して動けないんだ。助けないと。たのむ…友達なんだよ…。」


 イーシャとガルシアは耳を貸さない。イーシャがボートのエンジンをかけるのを見るとウェリオンは怒鳴り散らした。


 「やめろ!まだローベが来てない!あいつが来るまで待ちやがれ!その前に出したら殺すぞ!」


 イーシャは振り返って、同じくらいの声で怒鳴り返した。その声には今までとは違う感情がこもっていたが、ウェリオンは気付けなかった。


 「いい加減にしろ、ガキが!さっきの見ただろ。助けにいく必要はねぇよ。もうまにあわねぇ。」


「ふざけたこと言うな…。だってローベは…あいつは…優秀で…一緒に帰るって…。」


 ウェリオンの目頭から、熱い液体が流れ出るのを感じた。肩の痛みよりも、激しい痛みを、胸に感じた。


 「一緒に酒飲むって…あいつが約束を破ったことなんて一度もないんだ…だから…だからそんなあいつが死…」


 嗚咽が漏れる。言ってはならない。それだけは言ってはならない、言ったら認めることになるから。だが、せき止めることが出来なかった。


 「死んでるわけねーんだ…。」


 その言葉はウェリオンから全ての力を奪い去った。彼はもう暴れることも、わめくこともしなかった。イーシャは何も言わず、ボートを発進させた。悔しがるドゥーマール兵、発砲するドゥーマール兵、黄金色の砂浜、緑の木々、ユッダの崩れた姿、そして友人であるトリスタン=ローベだったモノ…全てが次第に遠ざかっていく。青い、静かな海に、白いボートの通った波がその存在をうるさく誇示していた―


10時16分、多くの犠牲と引き換えに、ジュウェリビリー作戦は終結した。

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