死体から産まれた男とキメラ臓器

 夜空を滑っているような錯覚から、無粋な揺れで引き戻された。車両を包む蛍光灯が、髪の薄らぎ始めた五十男のワイシャツ姿を窓に映している。ステンレスの手すりにつかまる私の向こうには等間隔の光が浮かんでいる。月のない夜で、ほとんど車も走らない時間帯だから、いつもより強い主張で視界に入ってくる。夜灯はどこまでもまっすぐ伸びていくように見える。どこまでも続いているように、見える。高速道路との立体交差部はやがて過ぎ、光の羅列も離れていった。


 いましがた仕事帰りに見学してきた施設にも、同じような光がともっていた。案内係の自走型ロボットに従って見学した豚舎は、区画のない広場のような場所だった。そこでは十数匹が勝手気ままに雑魚寝をしていた。想像していたほどのにおいはない。ブタたちはひどいいびきを立てて、心ゆくまま眠っていた。私を含めて五人の見学者がいた。見学者同士の会話はなかった。


 電車内に機械音声のアナウンスがあり、近くに座っていた髪の長い男が楽器ケースを背負って反対側のドアに向かった。やがてゆるゆると速度を落とした車体が薄暗い無人駅に停まる。自動改札の向こう、マンションの低層階と結ばれている通路へ、楽器ケースがよたよたと消えていった。ひとりだけ降ろして、電車はまた進み出す。車内へ目をやった。運転手はいないのに、昔の名残で運転席がある。乗客向けのメーター表示は速さを一定に刻んでいて、カーブに差し掛かって少し速度を落とした。カーブのあたりからは湾岸地帯が広がっているはずだがほとんど何も見えない。埠頭にある街灯で手前側がぼんやり照らされているだけだ。湾岸地帯はすぐに隠れて、車両の両側を防音壁とマンションが挟みだした。進行方向には雲がかかっていて、月の影が透き通っている。


 減速運転に切り替わり、マンションの号棟数が順次アナウンスされていく。先頭車両にわずかに残っていた人々も次々に降りていく。私は誰もいない車両の最前列の端に座って、ぼんやりと流れていくマンションの脇腹たちを眺める。多くの家の電灯は消えているが、中にはまだついている家もある。もうすぐ自分もあのありふれた光の一つになる。


 物心ついたときにはもう、私が見学したような施設は倫理的にクリアな存在としてあった。そのはずなのに、まだどこかで、穢れをまとうような重みを感じている。豚舎へ行くまでの、あの薄暗い照明と度を越した静けさがよくなかったのかもしれない。それとも人目をはばかるように奥まった場所へ配置されていたことだろうか。あの施設の醸し出している雰囲気は、いちいち後ろ暗いことでもしているような気持ちにさせられる。後ろ暗いことなど何もないはずだ。ブタは私が望んで産まれたわけではない。もともとそうあるべくして存在している。彼は役割を持って生まれ、彼のおかげで私は生きながらえる。それだけの話だ。それなのにどうして今日に限って何の変哲もない風景がいちいち目につくのだろう。


 私のすみかへの到着を知らせるアナウンスが聞こえて、かばんを左手に持ち替えて立ち上がった。駅舎はそれぞれマンションの低層階に向けて改札を開いていて、私は先頭車両のすぐ近くの改札へ向かった。手のひらを認証機械にかざすと、両開きの扉が静かに開いた。中に入ると正面にあるエレベーターのボタンを押した。階数表示が減っていくのを眺める。


 いつもの、お決まりの動き。


 飽き飽きしている日常とか、二度と来ない一日とか、日々の生活についてはいろいろな捉え方が世の中にはある。どれもなんとなくわかるが、なんとなくわからない。責任のある仕事も増えたいま、飽き飽きしたとでもいうように仕事をさばけたらどんなに楽だろう。反対に、感性のほうは、いつかどこかで体験したような既視感が、純粋な感情表現に水を差す。緊張と退屈のあいだで宙に吊られたような日々が、自分の実感している日常だ。なんだかんだ言って私は気に入っている。気に入っているから、壊したくない。


 無人のエレベーターに乗り込み、階を押した。


 ついた。


 掃除の行き届いたあの施設とは比べるべくもないほこりっぽい廊下が出迎えてくれ、私は一息つくことができた。


 誰にともなくただいまとつぶやいて家に入る。


 そしてかばんを放り出して、居間のソファに背中を沈めて、目を閉じた。


 あのブタは私の臓器を孕んでいる。


 ブタの胚に、特定のタイミングで、特定の人工ヒト幹細胞を注入する。注入された人工ヒト幹細胞が数多く生き残るように仕向けると、健康なヒトの臓器がブタの体内に育っていくことになる。ヒト臓器を孕むブタは数十年かけてされてきたものらしい。技術の進歩に伴い、ブタ由来の病原菌など移植のリスクはほとんどなくなっている、という。医者からは、ブタをすぐにしておくことを勧められた。


 この技術を確立したチームは誇らしげに言ったそうだ。われわれは臓器移植の隘路あいろを突破した、と。


 私はソファから起き上がって、ワイシャツとズボンを脱いでハンガーにかけ、家用のゆるい上下に着替えた。締めつけが緩むと、自分の身体がひどく重たいことにいまさら気づいた。キッチンまでどうにか体を引きずっていく。手を洗い、うがいをしてから、冷凍してあったごはんを電子レンジに入れる。そのあいだに、冷蔵庫の真ん中の段にしまってあるポテトサラダの入った保存容器、鶏卵をひとつ手にした。


 私が移植に同意すると、移植用の生を受け、用済みになったブタは殺される。昔はキメラという呼び方があったそうだ。ヒトの臓器を持った時点で、それはヒトに準ずるものと認めなければならないのではないだろうか。それを殺すのは、ヒトの体を切り刻んで臓器を取り出すのと同じなのではないか。ヒトと同様の臓器をどのくらいまで持ったら、ヒトなのだろうか。そのジレンマがどのように解消されたのか、施設の自走ロボットは説明してくれなかった。


 そもそもこんなこと、私みたいな生まれでなければ気にしないのかもしれない。私は脳死状態の女性の腹から切り出された。人としての形が整うか整わないかの時点で外部の人工子宮に移された。脳死状態になった人間は「死んだ」ということにされていて、その臓器を使って何をしようが、死体をいじくりまわしていることにしかならない。彼女は、不妊に苦しんでいた私の母親の妹だった。私が育った後、彼女の臓器はすべて切り売りされて、最期は空っぽになって燃やされた。


 レンジが温め終えたことを知らせてくる。ラップにくるまれたごはんを茶碗にあけ、鶏卵を割ってその上に中身をかけた。


 空っぽになった殻を、ゴミ箱へ捨てた。


 手を軽くゆすいでからしょうゆをたらす。ポテトサラダが入った保存容器に箸を重ねて右手に持ち、茶碗を左手に持って居間へ戻る。机に並べ、箸を持って食べようとしてから、ふと思い出した。立てかけてあるタブレット端末に小指で触れた。昨日途中まで見た映画を、その場面から少し巻き戻して再生を押した。左手の茶碗を持ち直して口をつけ、箸でかきこむ。


 よく噛んでから、しっかりと飲み込んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます