遺物校舎

 ここをこう行けば南のほうに向かうんじゃないかとか、きっとこの道はあの道に抜けるはずだとか、そういう根拠のない自信で突き進む。すると全く知らない場所に迷い込んで途方に暮れることになる。

 名もない峠からきれいな日の出を見たあと、引き返すべきところで引き返さず、当たり前のように道に迷った。そして集落のようなものを見つけた。

 喜び勇んでバイクを飛ばして坂道を下ったのだけど、山と山に挟まれた集落の入り口を、折れた柱がふさいでいて、ゆっくりと停車させるはめになった。

 何と表現すればいいのかわからない。道路右側に間隔をあけて並んだ灰色の柱は、頭の部分が何本もの黒いロープのようなものでつながっていて、視界の限りまで続いている。それらは例外なく折れたり傾いたりしていた。

 折れた柱と道路左側にある山とのあいだにバイクの通れそうな隙間はあったが、この先も通れる保証はないので、バイクのエンジンを切ってキーをジーンズのポケットに突っ込んだ。バイクの荷物入れから取り出したリュックサックを背負う。

 柱をまたぐと、左側で何かががさがさと揺れた。驚いて見れば、小さな獣が山を駆け上っていく所だった。気を取り直して柱を幾本かまたいでいく。それにしてもこの柱、不気味すぎる。何か宗教的なアイコンだったのだろうか。

 左にやや蛇行していた道が、柱を十本数えたところで、右へ、直角と言っていいくらい急激に蛇行し始めた。見通しの悪い道を抜けると、右側に広がっていた山裾が終わり、野放図に伸びた草に覆われた、平屋建ての家がすぐそばにあった。家と判断できるくらいの形は残っていたけれど、半ば崩れかけていて、人が住まなくなって久しいのはすぐにわかる。

 本当ならいますぐ戻るべきなのだろうけど、少し興味がわいてきた。まだ朝陽は昇ったばかり、秋の行楽日和がその気を後押ししてくる。

 進めそうな道は二本に分かれていて、僕は左を選んだ。道はなだらかに、左巻きに上っていく。草いきれのにおいが充満している。ほんの少しの汗を、心地の良いそよかぜがすぐに乾かしていく。ぼろぼろのコンクリートがふたをした道路以外は雑草が覆いつくし、道路には奇妙な柱たちの死骸が倒れ込んでいる。鼻歌を歌いながら死骸を跳び越える。いまにも崩れそうな廃墟を遠目にひやかして――ちょっとした探険がしたいだけで、危険はおかしたくない――上へ上へと歩いていく。

 ねじまきのような坂を上り終えると、小高い丘に作られたかなりひらけた場所に出た。

 閉鎖していた鎖がちぎれて、人一人分が通れるだけ開いた門があって、周囲を囲んだフェンスが植物の侵食をゆるやかなものにしている。

 僕は上下左右、注意深く周りを見回して、何も危険な兆候がないことを確かめてから、門を通った。

 さらさらした土質のその場所には、へんてこな建造物がたくさんあった。

 手前にあるのは、支柱に支えられたはしごつきの台座から、さびついた鉄骨が象の鼻のように伸びている建造物。台座があるから、そこに立って有力者が発言したのかもしれない、と思ったけれど、台座部分はやけに狭くて、おまけに鉄骨には妙に傾斜がついている。上り下りをするだけならはしごひとつで十分だし、安全のためにつけたのだとしても全く意味がないように思える。不思議な傾斜のついた鉄骨の先は草で覆われていてよく見えないけれど、周りと土の質が違うような気がした。発言を終えたらここから駆け下りるのが習慣で、転がり落ちたときのために柔らかい土にしておいたのだろうか。ますますわからない。

 「象の鼻」を通り過ぎると、次は人一人が座れそうな鉄のベンチがふたつあった。けれどそれはなぜか鎖でつるされていた。ベンチは二つあったようだが片方は鎖が切れて、地面に横たわっている。ためしに、無事なほうに座ってみる。いまにもちぎれそうな鎖がぶらぶらと揺れて、とても座りずらい。こんな状態ではとても落ち着けない。

 「象の鼻」といい「宙づりベンチ」といい、昔の人は変なことを考えるものだ。

 それらを通り過ぎると、ずっと正面に見えていた平屋のアパートが近づいてくる。途中に建っている石看板に何か文字が彫ってあった。

『   し しょ が こう』

 風化でかすれているせいもあるが、読める部分も、ふにゃふにゃした不思議な文字で書かれていてぜんぜん読めない。

 ――ほんとに日本か、ここ?

 気味の悪さが半分、わくわくが半分。

 これまでの建物と違い、アパートは鉄筋で出来ているらしく、すぐに崩れるような気配はない。

 しばらく眺めてから、思い切って中に入ってみることにした。

 ガラスの割れた正面扉から入ると、なぜかまわりには正方形の穴がたくさんあいた棚がある。ここに荷物などを入れるのが慣例だったのだろうか。不用心な。

 そこを通り過ぎると左右が広い廊下になっていて、部屋ごとにきちんと名札のようなものが掲げられていた。ここの文字はもう完全にかすれていて読めないが、たぶん入り口と同じで、かすれていなくても読めなかっただろう。

 ためしに、左側すぐの部屋の扉に手をかけてみた。開かない。がたがたとひとつひとつ確かめていったが、どの扉も開かなかった。外見は丈夫そうに見えても、さすがに建物が歪んでしまっているのだろうか。

 残念、と思いながら引き返そうとすると、一番奥の部屋の、後ろの扉が開いていることに気づいた。

 なんとなく気配を感じて後ろを振り返る。ただ廊下が広がっているだけだった。

 一番奥の部屋の開いていたドアから顔をのぞかせる。僕の正面にあるいくつもの窓にはすべて目張りがしてあって、薄暗い。他の部屋はこんなことなかったのに。中に獣の巣でもあったら嫌だなあと思って、背負っていたリュックから懐中電灯を取り出した。腕だけ伸ばして、懐中電灯を細かく揺らす。何度か繰り返して何も反応がなかったので、ひとまず入ってみる。

 懐中電灯を手に、部屋を照らしていく。入ってすぐ右手には黒っぽい、大きな額縁のようなものがある。そして椅子のない机が近くにある。その左に光をあてる。整然と……とまではいかないが、意外なほどきれいに、机といすが並べてあった。集会場にしては机と椅子の数が少ない。一、二、三、四、五、六。

 足元を照らしながら、硬い床を歩く。ほこりが舞い上がっているのが光に照らされてよく見える。あまり自分では感じなかったけれどそれが気になって少し咳きこんだ。

 手前の机に収納スペースがあったので、しゃがんで中に光を当ててみる。何かある。手に取ると、今度はしっかりと感じられるほどほこりが立った。それは古ぼけたノートだった。腕で口もとを押さえながら、他の机や部屋中を探ってみたが、めぼしいものは何もない。探索に見切りをつけて、部屋の外に出た。日当たりの悪い廊下がやけに明るく感じる。

 反対側の廊下も歩いてみたけれど、開いている部屋はなかった。諦めて、外に出る。

 玄関先にあった石看板の近くで、リュックを下ろし、石看板に腰かけた。

 手に持っていたノートを、慎重に開く。

 不思議なノートだ。ページの上半分が大きな余白になっていて、下半分に、なぜか縦の罫線けいせんが引いてある。

 何も書いていない。

 ――右から読むのかな。

 なぜだか直感が働いて、ノートを反対から開いてみた。

 やっぱりそうだ。上には絵、下には文字がある。

 絵を一瞬だけ見てから、字に移る。

 一行目に

『明夢久一一大川友今』

 とあって首をひねる。中国語だろうか。

『日中しし人はへ也日』

 まただ。ふにゃふにゃした変な文字が混ざっている。

『はにぶょでりザはか』

『先なりにいきリ終ら』

『生っのいかりガ業夏』

『もてザきせでニ式休』

『さしリまるしをがみ』

『そまガしわたつ終で』

『ういニたけ。りわす』

『つまつがに にっ。』

 なんだこりゃ。

 わけがわからないので、情報端末をリュックから抜き取って起動した。旅の醍醐味がなくなるから、地図アプリも含めて開かないようにしようと決めていたんだけど、好奇心には勝てない。

 調べてみると、昔の日本語は右から縦に読んでいたらしいという噂を見かけた。

 だったら、この文章も縦に読めばいいのか。

『今日から夏休みです。

 友也は終業式が終わったとたん、

 川へザリガニをつりにいこうと

 大はりきりでした。

 一人でいかせるわけにもいかないので

 一しょにいきましたが、

 久しぶりのザリガニつりは楽しくて、

 夢中になってしまいました。

 明日は先生もさそうつもりです。』


 内容がまったくわからないので、翻訳アプリを起動して、ノートにかざす。

 エラー。翻訳不可。

 ため息をついて、上の絵に目を移す。

 なんだ、と思わず笑った。

 ずいぶんタッチが荒いので一瞬ではわからなかったけれど、よくよく見てみれば、魚を釣っている子供ふたりが正面から描かれている絵だ。

 最初から絵を見ればよかった。これは要するに、絵を添えた日記のようなものなのだろう。

 ページをめくる。

 今度の絵も魚を釣っている絵だった。最初のページと違うのは、ふたりの子どもに大人――たぶん髪が長いので女性――がひとり、描かれていることだ。魚釣りが楽しくて、今度は母親も誘って行ったのだろうか。

 ほほえましい気持ちになりながら、左のページに目を移す。今度は家から見た外の景色が描かれている。無数に縦の線が走っているのは雨かもしれない。

 なんとはなしに空を見上げた。日差しをさえぎるものは何もない。

 次のページ。

 これはよくわからない。

 顔をあいだにはさんで両手を挙げている人がいる。さっきの女の人と同じ顔に見えるので、たぶん同一人物だろう。その右側には、何か道具のようなものを構えている人間の絵。この人間に対しては矢印がひいてあって、『ゆうかい犯』と書いてある。なんて書いてあるんだろう、気になる。

 左のページ。

 さっきここへ来るまでに通り過ぎた不思議な建造物、「象の鼻」が描いてある。「鼻」の途中に座っている子供がいる。傾斜の途中で止まるのは難しそうなので、たぶんすべっているのだろう。

 ああ、と納得した。子供の遊具なのか、あの変な建造物たちは。

 次のページ。

 なぜか、空欄。左のページに目を移すと、なんだか赤い。

 次のページ。

 開いた途端、驚いて心臓が跳ねた。

 ページの上半分、絵を描くための空白が、真っ赤に塗りつぶされている。

 すぐに左のページを見る。

 女の人が地面にうつぶせに倒れている。いままでは青いジャージのようなものを着ていたのに、このページでは何も着ていないように見える。そのうしろに人間が立っていて、その男がこっちを見ている。

 その男の目は、ぐりぐりと黒で塗りつぶされている。顔をはみ出すくらい大きな円。ぐりぐり、ぐりぐりと執拗にペンが押しつけられている。

 男の口のあたりには何か、ギザギザとした図形が描いてあって、その中には

『キュウシソウをシュクセイ』

 という文字。

 次のページ。

 次のページ。

 次のページ。

 次のページ。

 何もない。

 終わりだ。

 石看板に腰かけたまま、もう一度平屋の建物を眺めた。

 窓という窓は割れて、風通しがよさそうだ。首を曲げる。あの部屋だけが、板を打ち付けて目張りされている。部屋の風化をふせぐためだろうか。何のために? 風化から、いったい何を守ろうとしたのだろう。この日記を書いた子はどこへ行ったのだろう。

 ノートを静かに閉じて、リュックにしまう。リュックを背負い直して立ち上がる。

 帰り際、「象の鼻」の前を通った。

 気になったので、裏に回ってはしごを登る。

 リュックが引っかからないように座る。鉄骨を手で持って、ずるずると下半身を下ろす。傾斜が急で少し怖い。

 しばらく迷ってから、思い切って手を離した。

  おおおおお!

 速い。

 あっと言う間に投げ出されて、したたかに腰を打った。

  いってえ!

 空気が澄み渡り、僕の声だけがやけに大きく響く。

 ――ひとりで何やってんだろ。

 自分で自分がおかしく思えて、笑ってしまった。

 腰をさすりながら立ち上がり、尻とリュックについた砂を払った。

 門を通り抜ける前に、もう一度だけアパートのほうを振り返る。

 目張りされている部屋を見つめてから、再び背を向ける。

 キュウシソウ。

 発音もできない言葉を頭に思い浮かべて、もと来た道を戻り始めた。





(2017/6/14)

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