無地のジグソーパズル

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春の遺骨と、物乞いの少年

 この歳になっても――この歳になったから、なのかもしれないが、ときどき少年時代を思い返すことがある。

 思い出は別の顔をしてやってくる。

 いま通り過ぎた、右足のない物乞いの少年を見て、九歳のころの記憶が引っ張り出されたのもそうだ。


 歳まで覚えているのは、ある奇妙な病がはやった年だったからだ。感染すると全身がむくんだようになり、やがて、手先足先が壊死してくる。他の村ではどうだか知らないが、私の村では「ぶくぶく病」と呼ばれていた。いまでこそ治療法が確立されたが、当時の医術では、かかったが最後、諦めてくださいと医者が頭を下げる病気だった。


 子供のころの私たちの遊び場になっていたのは、巨岩や奇岩がごろごろしている小さな山だった。

 その山にあった「ヤマビト」集落で、ぶくぶく病は静かに広がりを見せていた。

 あのころの私たちはあまり頭のよくないことばかりしていた。村にまだ学校なんてものはなかったし、村長むらおさの退屈な説教が午前中で終わると、競うようにして山や川へ繰り出した。高い木の上から、落ち葉の上に大の字で飛び降りたり。ずっと下にある沢へ、深さを確かめもせず飛び込んだり。岩と岩の間にできた薄暗い洞窟を、たいまつもなしに探検したり。

 要するに、何も知らない子供だった。

 何も知らないから、ぶくぶく病のイナとも一緒に遊べた。


 イナは私たちよりいくつか年上の女の子だった。

 吊り橋を渡った先、ヤマビト集落のはずれにある大樹。その近くの馬小屋の隣につくられた小さな掘っ立て小屋に、彼女はひとりで住んでいた。家族はすでに亡くなっていた。

 壊死した右足を切り落としてしまっていたイナは、いつも、ぼんやりとしていた。今思えば、痛みを鈍くさせるような麻薬を与えられていたのだろう。

 初めに見つけたのは友人のうちのひとりで、私は兄と一緒に、集落の外れの小屋を覗きに行った。

 兄は当時の私に理解できなかった言葉を吐き捨て――『ただのブタじゃねえか』だったか。ブタなんてどこにもいなかった――早々に興味を失い、年長の男子たちと遊びに行ってしまった。

 場に残ったのは私と同じか、それよりも下の連中だった。遠巻きに見ているなか、イナをはじめに見つけた友人が、ぼうっとしているイナの、ぶくぶくとした手足をつついた。


『あんたたち、何?』

 イナは肉にのどをふさがれたような、なんともいえないのっそりとしたしゃべり方で、答えた。

 イナが眠っていると思っていた私たちは、その声に、悲鳴を上げて散った。

 薄暗い小屋の奥、埋もれた肉の隙間から目が光り、怪物のように見えた。

 触った友人が泣きながら追いすがるのも無視して、私たちは逃げ続けた。


 次の日、私たちはこりずにまた、集落のはずれへ向かった。

 みんなに置いて行かれた友人が、昨日のことを根に持っていたので、今度は彼以外の全員で小屋に入って、イナと会話をしてみる、ということになった。

 約束通り、友人だけを外に残して、何人かで中に入った。

 実際に話してみると、イナは面倒見のいいお姉さんといった感じだった。

 他のヤマビトも含めたヤマビト全体に伝わる神話や、あやかし退治の冒険譚、学者が聞いたらどうして記録しておかなかったんだと顔を真っ赤にして悔しがるような、おもしろい話をたくさん教えてくれた。

 山遊びや川遊びもそっちのけで、イナの語るお話に、私たちは夢中になった。



 だんだん、息が上がってきた。

 汗が額から垂れてきて、服の袖で顔をぬぐった。

 やがてあの山の入り口、目印の大岩が見えてきて、立ち止まる。

 あの少年を見かけてから四日、ぐずぐずと行くか行くまいか決めかねていた私は、ついに決心して、ここまでやってきた。

 どうして忘れていたんだろう。

 どうして忘れてしまっていたんだろう。

 イナのしてくれるお話が、イナののっそりとした独特の語り口が大好きだったのに。

 『もう忘れなさい』と言われただけで、あの集落への道が閉ざされてしまっただけで、どうして忘れてしまっていたんだろう。


 私たちとイナの出会いは突然だった。終わったのも突然だった。

 イナと遊んでいた子供たちのなかから、ぶくぶく病の子供が出てしまった。

 その子供が、ヤマビト集落にぶくぶく病が広がっていることをしゃべってしまったのだ。

 しかも、彼の親は、高齢の村長むらおさの息子――実質的に村の指図をしている男だった。

 大人たちが、ヤマビトたちのことをよく思っていないのは、子供でもわかっていた。私は、兄が集落に遊びに行った話をして何度も繰り返し殴られるのを見ているので、大人の前では、ヤマビトの話を絶対に持ちださなかった。仲間や年少の子たちにも、言わないほうがいいと教えていた。山で遊ぶ子供たちの、破ってはいけない掟になっていた。


 三十人ちょっとしかいないヤマビト集落に、ぶくぶく病が広がっている。

 ヤマビト集落へ遊びに行った子供が、ぶくぶく病になった。

 もともとヤマビトを嫌っていた大人たちは、そのことに、気づいてしまった。



 足から力が抜け、したたかに尻を打った。

 軽く悪態をついて、大の字になる。

 もう、いい歳だ。

 だが、それだけではない。

 今ならわかる。

 大人たちが、私たちの目を盗んで、何をしようとしていたのか。

 震える足を無理やり立たせて、私は進んだ。道はすっかり草木に覆われて見る影もないが、集落の場所は、わかる。頭は覚えていなくても、体が覚えている。


 大人たちはある日、子供たちを海に連れて行くと言い出した。

 泳ぐにはまだ早い。

 寒中遠泳にはもう遅い。

 私たちは年に数度の「お出かけ」をしぶった。

 私たちは無知だったけれど、ぶくぶく病の仲間を置いて、お出かけお出かけとはしゃぎまわるほど、能天気でもなかった。

 けれど、気味の悪いほどにこにこ笑う大人たちに、なかば無理やり送り出される形で、村を出た。


 今からでも引き返そう、いや、ここまで来たら、確かめなければ帰れない。

 葛藤を抱えながら、私はヤマビト集落の入り口にたどり着いた。

 あのとき落ちた……落とされた吊り橋が、そのままになっていた。

 そのまま迂回して、別の入り口を探す。巨石にふさがれてしまった山道、道具なしではとても登れない巨石にふさがれた脇道。

 岩に杭を打ち込み、手をかけ、ありったけの力を込めて登る。

『山崩れがあったんだよ』

 納得できなくはなかった。山崩れはそれまでにも何度か、経験があったから。

 ただ、いつもの山崩れのように、土砂や岩や木が、ふもとの村まで流れて来た様子はなかった。山崩れが起きても大丈夫な場所に、私たちの村も、ヤマビトたちの集落もあった。

 私は子供なりに、考えてはいけないことだと、気づいていた。

 大人たちが、とても怖い顔をしていたから。

 疑問を胸の奥底に封じ込めて、信じた。

 そして言われた通り、イナのことを、ヤマビトの集落のことを、忘れた。


 九歳以来、久しぶりに見るヤマビト集落は見る影もなく朽ち果てていた。

 ほとんどの家は崩れて雑草に突き破られてしまっている。

 村はずれの大樹だけが元のようにあった。

 イナのいた小屋はそのすぐ近くのはずだが、初めに見る勇気が出なくて、集落をぶらぶらと歩いた。

 黄色い花、赤い花、うす紫の花……この歳になっても花の種類すらわからない自分が情けない。

 何の気なしに、背の高い雑草をわけいって入っていくと、苔むした井戸があった。

 大きな石が、割れた木蓋の上にどっしり乗っかっている。両手で思い切り押すと、井戸の上から落ちた。

 中をのぞくまでもなく、木蓋の隙間から見える井戸は、埋め立てられていた。


 それからも集落を見て回ったが、すべての井戸が人為的に埋め立てられていた。

 どこにも土砂が流れ込んだ形跡はない。

 素人でもわかる。

 土砂崩れのせいでこの集落がなくなったなんて嘘だ。

 ――何のせいだ?


 集落のはずれの大樹まで歩く。

 せがむイナをみんなでここまで担いでやり、木陰で彼女の話に耳をすましたこともあった。

 イナの話の細部はほとんど忘れてしまったが、

『おまぁら、また来とるんか』

 と、集落の若い男が嬉しそうに通り過ぎていったのは、今でも覚えている。

 大樹の幹に手をかけて、

「イナねえさん」

 と呟く。

 もうすでに、鼻水が垂れてきている。

 この歳になって、怖いのはもう、死ぬことだけだと思っていた。

 死よりも強い恐怖を覚えることがまだ残っていたなんて、思いもしなかった。


 それから、振り返った。

 一、二、三、四、五、六、七、八、九……。

 子供のころはちょうど十五歩。いまは、このくらいだろう。

 ちょうど足元に、木片がばらばらと落ちていた。

 膝をついて、木片をひとつひとつ、よりわけていく。

 みっともなくうめき声をあげながら、口に流れ込む鼻水を飲み込みながら、ひとつひとつ。

 木片の下には、白い骨がたくさん落ちていた。

 ばらばらと、たくさん、落ちていた。


 死体はすべて井戸に投げ捨てられて、埋められたはずだ。

「ねえさん、あんた」

 みっともないだみ声が、聞こえの悪くなった耳を、強く振るわせる。

 ……ねえさん、あんた、気づかれなかったのか。

「ぜんぶ、聞いてたのか」

 そして飢えて、死んでしまったのか。

 今となっては答えはもう出ない。

 出ないけれど、私はとにかく、その骨を夢中でかき集めた。

 背負ってきた麻袋の中身をすべて出して、代わりに、入るだけの骨を詰めた。


 ぶくぶく病の原因は、渡り鳥だった。

 春になると帰ってくる渡り鳥が、あたたかな南の地方から、鳥にとっては無害な風土病を持ち込んでいた。

 それを知らずに狩りをし、風土病に感染した鳥肉を食べてしまった人だけ、ぶくぶく病になった。

 人から人へは感染しない。

 その種の渡り鳥が徹底的に狩りつくされた今では、ぶくぶく病はこの国から根絶された病気となった。

 『ヤマビトの連中に、これ以上、病をうつされる前に』。

 あのとき大人たちがとった行動は、ただの思い込みだったというわけだ。

 ただの思い込みで、三十人ほどいたはずの集落を、消した。



 イナねえさんを背負って帰る途中、またあの、右足のない少年を見かけた。

 白木の板をひもでくくって背中にひっかけている少年は、右わきに挟んだ松葉杖を器用に動かして、前へ進んでいく。そして足を止め、広い道の端に座る。帽子のように頭にかぶっていた木箱と、『戦災孤児に恵みの手を』と黒インクで書かれた白木の板を置いた。戦災孤児を救うための募金が集まらず業を煮やした領主が、戦災孤児に直接物乞いをさせるためにつくった板だ。


 勝手に恩を感じている私が近づいていくと、少年は、

「おじいさん、お願いします」

 とかすれた声で言って、木の箱を押し出した。近くで見ると右頬には大きなやけどのあとがあり、ぼろぼろの服の隙間からはあざのようなものが見え隠れしている。

 私は腰にさげていた袋から硬貨をすべて取り出して、木箱に入れた。

 その音に、他の通行人たちが一斉にふりかえった。

 私は慌てて、硬貨のほとんどを袋に戻した。

 こんなに出したら、この子が殺されて、金を奪われてしまう。


 ぬか喜びをした少年が、泣き出しそうな顔で、私を見上げた。

 ぶくぶく病だったイナねえさんとは似ても似つかない、がりがりにやせた貧相な体。

 それでも、イナねえさんの遺骨を背負っている私は、右足がないその一点だけで、少年とイナねえさんの姿を重ねてしまった。

 あのとき助けられなかったイナねえさんを、今なら。

 そんな妄想が広がって、つい、声をかけてしまった。

「私の家に来るか? きみさえよければ、私がしばらく引き取っても……」

 けれど、引き取るという言葉を出したとたん、少年は楽しそうに笑った。

「いやです」

 こんなに楽しそうに拒絶されたのは、初めてだった。

 驚いて、少年の目をまじまじと見つめる。

「そういうことを言う人は、ぼくを人形としか思ってない。だから平気で殴るんだ。ぼくはぼくだよ。ぼくは、戦争で死んだ誰かの代わりにはなれません」

 横から伸びてきた他の募金者の手が、木箱に硬貨をいくつか投げ入れる。

 ぃい……ん。

 私も笑った。

「そうだな。きみはきみだ」


 私の入れた硬貨の音にふり返った通行人のうちの何人かが、まだこちらをうかがっている。

 私は、さっき横から伸びてきた手と同じ額を、木箱に入れ直した。

「いつもここに?」

 少年はうなずいた。

「お昼くらいまではここ。それからは別のとこ。朝と、夕方と、夜は、別のとこ」

「明日また来るよ。弁当持ってくるから一緒に食おう」

「どうかな。そう言って、本当に来た人はいないよ」

 私は笑って、背中の麻袋をかつぎなおす。

 そして何も言わずに、歩き出した。




(2016/10/12)

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