058 真実を照らす灯

 ほう、と暗闇の中に、青白くぼんやりとした光が灯った。

 灯心を焦がす明かりとは違う、弱々しく穏やかな光の輪が、ひとつ、またひとつと夜の部屋に浮かびあがり、その中にいる少女たちの顔を照らしている。

 ほの青い燐光に染められ、少女たちの白い顔も夜着も、青ざめて見える。それをぐるりと見回し、アルミナは目を瞬かせた。

 睫毛が重たく頬に触れ、燐光をうつして微かな軌跡をつくる。

 誰の手にも、燭台はない。

 青白い光は、リネンに包まれた少女たちの胸から漏れ出ていた。

「体内の翼に意識を集めて、光を、と念じるのですわ、アルミナ様」

 アルミナに微笑みかけ、セシリアが言った。

 消灯時刻がとっくに過ぎた大部屋には、明かりが絶やされ、燭台を灯すための火種もない。

 それでも、例の手紙を読んでみるには、光が必要だった。

 瞼を伏せて、アルミナは、体の奥深くに潜む自分の翼に呼びかけた。

 光を!

 なにかが言葉でない声、音でない音で、答えたような気がした。

 そして目を開くと、自分の胸元から、淡く青白い燐光があふれ出て、しっかりと胸に抱いていた手紙の束を、はっきりと照らし出していた。

 アルミナは自分の中の光のまぶしさに目を瞬かせて、同室の仲間たちを見回した。

「見回りは2時間ごとですわ。始めましょう」

 セシリアが促すように、軽く頷いてみせた。

</p><p> 「アルミナ様の秘密を聞くのですから、わたくしたちも一人ずつ、自分の秘密を話します」

「皆で話すと時間がないから、順番に、毎夜……」

 そう告げて、目配せを交わし会う少女たちの中から、すみれ色の瞳に淡い金髪をした誰かが、意を決したように一歩近寄ってきた。

 少女は思い詰めたような顔でアルミナを見つめるばかりで、名乗りもしない。

 順番を決めていたわけではないのか、他の少女たちは、少しびっくりしたような面もちで、その沈鬱な表情の一人を見つめている。

「わたくしにも約束を言い交わした方が……」

 唐突に、かすれた小声で話し始め、すみれ色の瞳の少女は、ごくりと苦い薬でも飲むように、小さく喉を鳴らした。

「最初にお会いしたのは、銀色の満月の晩。わたくしと同じぐらいのお年で、お背の高い、痩せた方でした。わたくしの初めての方、怖いと申し上げたら、夜明けまで、ただわたくしの手を握って……」

 ひと息に話して、息が切れたのか、喘ぐように少女は押し黙る。

 皆に無言で見守られる少女の顔は、なぜかとても悲しげだった。

「満月を待てば、またお会いできました。あの方は、わたくしのことを愛しいと、おっしゃって、月を待つのが苦しいと……」

 見つめ合う少女の目に、みるみるうちに大粒の涙があふれ、こぼれ落ちるのと、アルミナは戸惑いながら向き合った。

「わたくし、あの方をお慕いしていました」

 うつむき、指先で涙をぬぐって、少女は声をつまらせる。

 ぎょっとしたように、周りの少女たちが、さわさわと囁き交わす。

「お会いできるのは、この月が最後とおっしゃるのを聞いて……ふたりで逃げる決心をしました」

 小さく悲鳴をあげかける娘たちを、自分も驚きを押し殺している顔で、セシリアが押しとどめている。

「どこへ……?」

 アルミナは思わず問いかけていた。

 皆が何に驚いているのか、良く分からない。

 涙に濡れた重い睫毛を伏せ、話す少女は何度も言いよどんだ。

「……さあ。わかりません。ここでない、どこかへ」

「では、なぜ、今もここに、いらっしゃるのですか」

 顔をあげた少女の、すみれ色の瞳には、ぼんやりとした虚ろな表情がある。

 アルミナはどうしていいか分からず、その瞳と見つめ合った。

 やがて菫色の瞳が彷徨い逃げるように逸らされ、低い声で、少女は話しを続けた。

「つかまったのです。逃げられるわけがありませんもの……」

 悔やむような気配が、うつむく少女の首筋から立ち上り、彼女はそれを振り払うように、首を振って顔を上げた。

「引き離されるのを、ただぼんやりと受け入れることに、どうしても耐えられなかっただけです。あの方と、たとえほんの一歩でもいいから、逃げてみたかったのです」

 アルミナの目の中に、失った何かを探そうとしているような眼差しで、少女はじっとこちらを見つめている。

「わたくし、一時は、あの方の記憶を消されました。でも、思い出したの」

 眉を寄せ、すみれ色の瞳の少女は、過去を透かし見ている表情をした。

「夢の中に、あの方が。……血を流していて、ひどい怪我、翼が折れて、お腹に、穴が」

 少女は、努めて気をしっかり持とうとしているふうだったが、眉を寄せたその表情は、恐ろしいほど青ざめて、燐光に浮かび上がっている。

 夢の中で、彼女が見たものを、アルミナは想像できなかった。

 その代わりに思い出されてくるのは、どこかの純白の壁、そこに浮き彫りにされた、白大理石の巨大な彫刻だ。

 胸を射抜かれ、頽(くずお)れる天使。

「わたくし、お苦しみになっているあの方を、毎晩夢の中で、膝に抱いてさしあげました。その夢は……七日続いて、最後の夜に、あの方はやっと楽になられて……夢も、それきりでした」

 少女はぼんやりとした口調で話し、周りで怯えて顔を強ばらせている同室の者たちを、少しの間見回していた。

「それでは、針を飲んだのは、わざとでしたのね」

 緊張しきったセシリアの声が、横から注意深く問いただした。

 驚いて、アルミナはセシリアの顔に目をそらした。

「針?」

 アルミナが問い返すと、セシリアがこくりと頷く。

「真夜中に夢歩きして、針をたくさん飲み込んだのです。それで死にかけて、白の神殿へ。グロリア様は、あれは事故だと」

 セシリアが、声をひそめて説明してくれたが、アルミナにはそれが現実のこととは想像できなかった。針を飲み込むなんて、一本でも恐ろしい。

「わたくし、死にたかったのです」

 ぽつりと、しかしきっぱりとした意志を感じさせる声が、アルミナの意識を引き戻した。

「死ねば、あの方にまた会えるような気が……」

 虚ろなすみれ色の目は、まるで何か、とても冷たく深い闇に見入っているようだった。

 セシリアが突然、話す少女の言葉を止めさせるように、彼女の手を握った。

「だめ、死んではだめ! 別れがつらくて、そんな夢をご覧になっただけですわ! 次の月には、もしかしたら、その方にまたお会いできるかもしれないじゃないですか」

 セシリアの声はするどい悲鳴のように響き、周りに息を飲ませた。

 慌てたように、セシリアは少女の手を離し、夜に潜んでいることを忘れた自分の唇を指で封じた。

「……そうですわね」

 セシリアに握られた手を、不思議そうにさすりながら、すみれ色の瞳の少女はぼんやり答えた。

「白の神殿の天使様も、そうおっしゃっていました。そんな大怪我をした神官様がいらしたら、天使様がご存じないはずはないけど、そんな怪我で亡くなった正神官様はおいでではないと」

「ほら、ごらんなさい」

 ほっとしたように、セシリアが相づちを打つ。

 すみれ色の瞳が微笑を浮かべるのが、青白い燐光の中に浮かんで見える。

「アルミナ様……わたくし、共に生きられないなら、命など意味がないと感じるほどの想いがあるって、わかるような気がしますわ」

 微笑みながら、少女は小さく首を傾げ、アルミナと向き合った。

「その手紙に、触らせてくださいませんか?」

 少女がなぜそんなことを望むのか分からず、アルミナはしばし躊躇った。

 微笑みながらこちらに手を伸ばしている少女は、笑ってはいても、泣いている時より苦しげに見えた。

「……どうぞ」

 胸に押し抱いていた羊皮紙の束を、両手で支えて、アルミナは差し出した。

 白い指先がのびてきて、熱いものにでも触れるように、ほんの少しだけ触れては、すぐに離れていった。

「わたくしにも、こういうものがあれば良かった」

 手紙に触れた指先を強く握りしめて、微笑んだまま、少女はまたうつむいた。

「そのほうが信じやすいですもの、あの方が今も、このお城のどこかにいらっしゃるって」

「……きっと、いつか見つけられますわ」

 うつむく少女を励ましたい気持ちで、アルミナは腑に落ちないまま言葉をかけた。

「アルミナ様も、見つけられますわ」

 はっきりと、労るような声で少女から返事が返り、アルミナはびっくりした。

「わたくしは、もう見つけたから、いいのです。あの方が今、どこにいらっしゃるか」

「では、お会いになったのですか?」

「いいえ。でも、いつか、また。月と星の船で」

 涙を流させた混乱が去ったあとの、少女の瞳は静かだった。

 その目と見つめ合って、アルミナは自分が探している誰かのことを思った。

 自分の手に、手紙を残していった誰か。

 目の前にいる少女が言うように、ほんの一歩でもいい、二人でここを逃げられたらと、彼も考えただろうか。

 自分は、そう考えただろうか。

 たとえそのまま永遠に別れて、月と星の船を待たねばならない身の上になったとしても?

 ……わからない。

 世界には、そういった想いもあるものだろう。

 でも、もし、それが夢の中であっても、あの緑の目の人が、自分の膝で死ぬのを見たら。

 自分はきっと、後悔する。

 この人のように。

 淡く微笑んでいる、菫色の瞳はどこも見ていない。ぼんやりと虚ろになって、何度も繰り返し、過ぎ去ってしまった過去への深い深い後悔を、じっと堪えているだけだ。

「あの……。どなたから聞いたのだったか、忘れてしまったのですが……」

 ふと浮かび上がってきた記憶を、アルミナはたぐり寄せながら言葉にした。

「もし、大切な方と永遠に別れてしまっても、神殿種は転生するのです。その方の次の一生は、あなたを母として始まることもあると……ですから、あの…………まだ、絶望しないで」

 押し殺した嗚咽が聞こえたのに驚いて、アルミナは、励ますつもりで言った言葉を飲み込んだ。

 微笑の仮面を脱ぎ捨てるように、目の前の少女は悲しみに歪めた顔を顕し、それを両手で覆い隠した。

「ごめんなさい」

「いいえ!」

 アルミナがわびようとすると、少女はするどく拒んで、首を振った。

「あのとき、わたくしがお願いしたのです。わたくしを連れて、逃げてくださいと。みんな、わたくしのせいなのです。わたくしが殺したようなものですわ」

 ため息ひとつで、少女は深い混乱から顔を上げた。

「あの方がわたくしの胎から蘇られるように、毎日お祈りします。あの方の魂を、幸福な一生にお戻しするまで、わたくしは死にません」

 涙で腫れた赤い目でも、彼女は弱々しい外見とはうらはらに、毅然として見えた。

「……誰のせいでもありませんわ。おかしいのは、このお城のほう」

 ぽつりと、セシリアがつぶやいた言葉に、その場にいた娘たちはぴくりと身をすくませはしたが、反論しようとする者も、とがめる者もいなかった。

「わたくしの秘密は、これで全部です。アルミナ様の秘密に、足りるかしら」

 首を傾げて、すみれ色の瞳の少女は言った。

「もう一つだけ、教えてくださいませんか」

 泣きはらした目で微笑む少女に、つられるように微笑みかえして、アルミナは頼んだ。

「お名前を」

 きょとんと虚をつかれたように、少女は幼い表情をし、それから本当の微笑みを見せた。

「わたくしは、エルシオネです」

 ぺこりと頭をさげて正式なお辞儀をしてみせる少女の顔は、とても陽気そうに見えた。

 泣いているのが、似合わない。

 その人が苦い秘密を胸に秘め、うつむいて過ごした日々のことを、アルミナは思いやった。

 この人が、そんな目に遭わねばならない、どんな罪を犯したというの。

 慕わしいものと離れたくないと願う、たったそれだけのこと。

 それがここでは、重い罪だというのだろうか。




 誰からともなく、少女たちはエルシオネの肩に触れ、腕に触れ、身を寄せ合った。

 胸からこぼれる淡い燐光を重ね合わせ、少女たちはアルミナの手にある手紙の文字を、闇の中から浮かび上がらせた。

 アルミナはエルシオネに、一番上にあった一枚を手渡した。

 エルシオネはアルミナに寄り添って、伏し目がちに紙の上の文字を追う。

「……つつがなくお過ごしとのこと、嬉しく思います。赤の神殿では大祓(おおはらい)を終え、今年の祭祀は全て完了しました。新年の聖餐(せいさん)式までの間、各神殿は大門を閉ざし、正神官たちは潔斎(けっさい)に入ります」

 アルミナはエルシオネが読み上げるひと文字ひと文字を、大切に目で追った。

 几帳面に書き付けられた字面は整っていたが、どことなく文字が硬く見える。書いた者の指が、真冬の寒さでかじかんでいるのが感じられた。

 冬の部屋。そこに一人居て、自分に手紙を書き送ってくれた誰か。

「赤の神殿の方なのですわ。では、アルミナ様は、ブラン・アムリネス様の神殿からこちらへお越しになったのね」

 セシリアが納得したように念を押す。

 そう問われて、アルミナはなぜか呆然とした。

「ここは、どこなのですか……」

「わたくしたちの守護天使はサフリア・ヴィジュレ様ですわ。今も、この塔の最上階のお部屋においでで、わたくしたちを守ってくださっています」

 セシリアはにっこりと、どこか自慢げにそう言った。

 アルミナは短く息を飲み、怯えた目で房の天井を見上げた。

 この上にいる。

 この上に、この上にいる、あの天使が!

「アルミナ様、どうなさったの? 落ち着いて……」

 動揺したエルシオネが、小声でするどくたしなめて、座り込みそうになるアルミナの肩を支える。

 その瞬間。

 リン、ゴーン、とどこかの塔が深夜の鐘を鳴らし始めた。

 普段なら慣れきっていて、眠りを妨げられることもない、その音に、少女たちは飛び上がった。

 お互いの目を見つめ合って、少女たちは行ったり来たりする鐘の音をやり過ごす。

 その音色を聴くに連れ、アルミナの呼吸は早まった。

「わたくし、あの音を憶えています」

 横にいるエルシオネに、アルミナは必死でうったえた。

「赤の神殿の鐘ですわよね。ブラン・アムリネス猊下の鐘です」

「ええ……そういえば」

 アルミナの勢いに気圧されて、エルシオネの言葉はたどたどしい。

「わたくしの居場所は、あの塔ですわ。あそこに帰してください!」

 ぶあつい青銅の窓枠。

 その向こう側で、ふっくらとした小鳥が鳴いている。

 チチテュウ。

 指先に触れる冷たい窓ガラス。

 脳裏によみがえった生々しい景色は、それ自体が鋭い刃物であるかのように、アルミナの頭をつらぬいた。

 恐ろしい痛みが、頭の奥を稲妻のように駆け抜ける。

 こらえきれずに、アルミナは絶叫した。

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