056 目ざめの朝
朝がやってきても、夢の中で取り戻したものは、消えていなかった。
起き出してきた同室の少女たちは、羽毛まみれになってぼんやりと手紙を眺めているアルミナを見つけて、おろおろと戸惑っていたが、セシリアの一声が、皆を我に返らせた。
「皆さんで手分けして、羽根を拾いましょう」
少女たちは一瞬、お互いの顔を見合わせただけで、すぐにその言葉に従った。
寝台の周りや、部屋の思いがけない遠くまで飛び散った不毛は、一つ残らず少女たちの白い小さな指で拾い集められ、もう一度アルミナの枕の中に詰め込まれた。
セシリアが、最後に残っていた羽毛を、アルミナのゆるやかな癖のある金髪からつまみあげ、放心している顔を、心配げに見上げてきた。
「アルミナ様、点呼までに身支度を整えないと、叱られますわ」
「……夢を見ました。そこで枕の中に何かがあって……取り出してみたら、この手紙が……」
一言口に出すと、流れるように言葉が溢れ出て、アルミナは早口に誰にともなく訴えた。
「わたくし、この方とお約束したのです。永遠に離れないと……!」
しっ、と短く、セシリアが唇に指をあてて、黙るように促した。
「その方は、どなたなのですか」
潜めた声で、セシリアが尋ねた。アルミナは、夢の中で見た少年の顔を思い出そうとして、眉を寄せた。
思い出せない。
「……わかりません。手紙には、シュレー・ライラルと」
アルミナの周りに寄り集まっていた少女たちは、びっくりしたようにお互いを見渡した。
「洗礼名が……」
「男(オム)ですわ」
囁く少女たちの声が、緊張で上擦った。
「でも、アルミナ様はもうお忘れになったのですわ、その方のことは」
言い含めるような強い口調で、セシリアが言った。
「そんな……わたくし、思い出したのです、夢の中で」
「お忘れにならなくてはいけません」
小声だというのに、セシリアの声はきっぱりと響いた。
「……アルミナ様は、たぶん、そのことが元で房を移されたのですわ」
セシリアの目がじっと、こちらを見つめている。暗く曇った顔に、悲しげな表情があるのを、アルミナは混乱しながら見つめかえした。
「男(オム)に想いを寄せてはいけません」
「なぜですか……。ふしだらだから?」
寄りすがりたい気持ちで、アルミナは無意識に手紙を胸に抱き寄せていた。
「つらい思いをなさるから……」
脇にいた、菫色の目の誰かが、寝台に座ったままのアルミナの夜着の裾を握って、ひそやかに言った。
そちらに首をめぐらし、アルミナは集まった少女のひとりひとりと、さまようように視線を合わせた。誰もが同じような暗く寂しげな表情で、アルミナを見つめ返してくる。
「でも、わたくしを、助け出しに来てくださると……お約束を」
いつも和やかに笑っていた少女たちが、微笑まないのが恐ろしく、アルミナはだんだんに消え入る声で、力無い反論をした。
「その方も、もうアルミナ様のことは、お忘れですわ」
誰が言ったのか分からない声が、背後から聞こえて、アルミナは振り向いた。そこにも同じように、暗く沈んだ表情の顔が、いくつもあるだけだ。
「男(オム)とは、何を言い交わしても、無駄なのです」
「天使が約束を食べてしまうのですって」
口々に、少女たちは漠然とした事を言う。
「わたくしたちが逃げ出さないように、天使が見張っているのです。お会いした男(オム)と、共にどこかへ逃げ出す相談をする方がいても、すぐに天使に見つかって、男(オム)は何もかも忘れさせられてしまうので、まるで初めて会った方のようになってしまうのです。言い交わした方に忘れられるのは、つらいですわ。ですから、アルミナ様もお忘れになったほうが、気持ちがらくです」
セシリアが、噛んで含めるように、ゆっくりと説明した。
天使が忘れさせる、と反芻すると、アルミナの頭のすみに、ほの白く透ける大きな翼のことが思い出された。
「……でも、わたくし、思い出したいのです。あの方が、約束をお忘れになっていても。憶えておきたいのです……あの方のことを」
指に触れる羊皮紙の手触りを頼りに、アルミナは言葉をつないだ。
「それだけのことが、なぜいけないのですか」
問いかけると、アルミナと目が合った少女は皆、悲しげに目を伏せる。
誰もが答えを知っているふうでもあり、困り果てて黙っているようにも見えた。
「手紙は、始末なさったほうが、よろしいですわ」
ぽつりと、セシリアが忠告した。
「もし見つかったら、アルミナ様、また記憶を消されます」
「消されても、また思い出します」
首を横に振って、アルミナはセシリアの言葉に逆らった。
本当に大切なことは、誰にも忘れさせることはできない。
そんなふうな気がした。
「何度でも、記憶は消されます。そして最後には、頭がへんになって死んでしまうんだわ」
キッときつい目をして、セシリアがどことなく怒ったように言う。
「ほんの何度がお会いしただけの男(オム)が、そんなに大事なものですか。ご自分のお命よりも、その方のことが、大切だっておっしゃるの?」
問い詰めるセシリアの口調は、密かだが、厳しかった。
「……そうです」
考えもせず、そう答えてから、アルミナは自分が本当に、そう思っているのを感じた。
「たぶん、わたくしは……ふしだらな女(ファム)なのですわ」
下睫毛に涙がたまるのを感じたが、アルミナは泣くのをこらえた。どうしてこんなことで、涙が出るのか、自分でもよくわからず、情けなく思えた。
セシリアは、しばらくじっとこちらを見つめてから、アルミナが胸に押し付けている手紙の束に視線を落とした。
「……そんなことは、ございませんわ。皆、同じようなものです」
ぽつりと言い置いて、セシリアはこちらに背を向けた。
「急いで身支度をしないと、皆さん」
唐突に、セシリアが翼をふるわせて、皆に告げた。
少女たちは、はっとして、慌ただしく自分の寝台のほうへと戻り始めた。
時折、もの言いたげな同情的な目で、アルミナのほうを見る者がいる。
しかし殆どの娘たちは、何かを振り切るような急ぎ足で、朝の身支度に立ち返っていった。
「……今夜、針をこっそり持ってきて、枕を縫いましょう。その中に隠しておけば、見つからずに済むかもしれません」
ぼんやりしているアルミナの洋服掛けから、セシリアはてきぱきと純白の衣装をはずした。寝台の上に自分の服が並べられていくのを、アルミナはただぽかんと見守った。
「ぼんやり座っていらしても、何も変わりはしませんわ。自分だけの秘密を持たれるなら、それなりのお覚悟をなさいませんと」
アルミナだけに聞こえるように、ほんの小声で、セシリアは言った。
「生きていれば、その方とは、またいつかお会いできます。ですから、もっと、ご自分を大切になさって」
セシリアの灰色の目を、アルミナは涙ぐんだまま、しばらく見つめた。
なんて強そうな方なんでしょう。
尊敬に近い気持ちで、アルミナはセシリアのことを思った。
そして、夜着の袖で涙をぬぐって、寝台から降りると、枕の中に秘密を仕舞って、大急ぎで身支度をはじめた。
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