013 白い卵と黒い卵

 「驚いたよ」とシュレーは微笑しながら言った。

 整頓された室内は、磨かれた木製の家具がいくつか置かれているだけで、質素すぎるほど質素だった。すすめられた長椅子に腰掛け、シェルは執事アザールが給仕してくれたお茶を飲んだ。

 「君たち森エルフは開放的で陽気だな」

 姿勢良く椅子に腰掛け、シュレーは面白そうにシェルの顔を見ている。馬鹿にされているわけではないとは思いながらも、シェルはなぜか緊張していた。シュレーとは1歳ちがいのはずだが、神殿の血を引く少年は、シェルよりずっと年上に見えた。背も高く、体つきも大人びている。年の割に子供っぽく、いつも兄たちにからかわれていたシェルとは大違いだ。

 「ごめんなさい。他の部族の風習を勉強してきたんだけど、いざとなると舞い上がっちゃって…」

 シェルは情けなくなって、ため息をついた。気をつけようと思っていたはずなのに、案の定ドジを踏んでしまうとは、まったく嫌になる。

「気にすることはないよ。ちょっとした風習の違いだ。君の故郷では普通のことなんだろう、マイオス」

「そうです。でも、森エルフ以外には嫌われるから止せって本にも書いてありました」

 気落ちしたまま、シェルは答えた。シュレーは何か別のことを考えている様子で、にやりと笑った。

「確かに、相手を間違えるとひどい目にあわされるかもしれないな。最初に訪ねたのが私のところで良かった。いきなり黒エルフの山猫君と対決なんてことにならずに済んで幸運だったよ」

「それ…黒エルフのスィグル・レイラス・アンフィバロウのこと、ですか」

 シュレーの言葉に含みがあるのが不思議な気がして、シェルは自信なく訪ねた。シュレーは、人のことを悪く言うような少年に見えなかったのだが、黒エルフのスィグルのことを言う時の彼の表情には、皮肉めいた何かが感じられた。

「そうだよ。彼は白い卵が嫌いなんだそうだ」

 青磁のカップからお茶を飲んで、シュレーは答えた。シェルは少し不安になった。

 「創世神話ですか。…やっぱり、信じてるんですか。全ての民族が二つの卵から生み出されたって……?」

 ついこの間まで、神官として同じ教えを説いていたはずのシュレーが、創世神話を信じていても何の不思議もなかった。シェルは、相手の表情をうかがいながら、注意深く尋ねた。上目遣いの不安げな視線に気付いて、シュレーがかすかに笑った。

「さあ?」

 否定の響きのある言葉で、シュレーはシェルの質問を受け流した。

「難しい問題だ。創世神話の時代から生き続けている者はいないからね。大神官に選ばれた者は、先代の大神官の記憶を受け継ぐと言われているが、歴代の大神官はその記憶の内容を秘密にして、一族の者にも明かさない。神話の内容が真実かどうかを証明してみせろと言われても、私にはできないな」

「でも、神殿では、創世神話を教えてるんですよね。僕も習いました」

 控えめにシェルが言うと、シュレーは一時目を閉じて微笑した。

「君は頭がいいみたいだな、マイオス」

 楽しそうに言って、シュレーはシェルの顔を見つめた。

「証明されないものを信じることを、人は"信仰"と呼ぶんだ。神聖神殿は、この"信仰"をひろめるために存在している。君みたいに、創世神話の真実性について疑問を持つ者が神殿にやってきたら、こうしろと私は教えられた」

「え?」

 黙ってしまったシュレーの顔を、シェルは見つめ返した。シュレーは注意して見ればわかるという程度の、かすかな微笑を浮かべている以外は、ほとんど無表情だった。シュレーの静かな緑の瞳が、シェルを見つめている。森の民はみんな、同じ緑色の光彩を備えて生まれてくるものだが、シュレーの少し灰色味を帯びた緑の目には、故郷で見る同胞たちのような、木漏れ日のような陽気な光がない。目をそらせず、シェルが息をつまらせそうになっていると、不意にシュレーはシェルに手をさしのべ、慈愛に満ちた微笑みで顔を覆った。

「微笑み、"信じよ"と言えと」

 シュレーの微笑があまりに神々しかったので、シェルは正視できなくなってうつむいた。自分が下らないことを尋ねてしまった気がして、シェルは後悔し始めていた。

「ごめんなさい」

 惨めな気分で、シェルは謝った。シュレーがくすくすと笑い声をたてるのが聞こえた。

「気にすることはない。実は私も信じていないんだ」

「え?」

「この世には神なんかいない。神殿の都合が存在するだけだ」

 天使そのもののような微笑を浮かべて、あっさりと言うシュレーが、シェルはなんとなく恐ろしかった。

「……でも、神様はいるって、僕は信じてます」

 シェルが怖ず怖ずと言うと、シュレーはまた微笑した。

「それが"信仰"というやつだよ。理屈じゃない。神殿で君のような者ばかりが生まれていれば、何の苦労もなかっただろうな」

「苦労してるんですか」

 シェルが小声で聞くと、シュレーは意外そうな顔をした。

「すまない。言葉の綾だよ。……いや、ここに来てからは苦労しているかもしれないな。額に赤い印があるだけで、変に持ち上げられたり、嫌われたりしているよ」

「嫌われているって、黒エルフの人のことですか」

 シェルは漠然と不愉快になって、顔をしかめた。神籍を返上したシュレーのことを、未だに「猊下(げいか)」と呼んでいる執事のことや、白系種族だというだけで嫌っているという黒エルフのことが、なんとなく嫌だ。シェルは、シュレーに好感を抱いていた。みんなで友達になれればいいと思っていたのに、裏切られたような気分になる。

 「レイラスは、白系種族がもれなく嫌いで、同じ黒系種族のイルス・フォルデスにしか心を開かない決意のようだよ」

「海エルフの? …彼も、やっぱり白系種族が嫌いなんですか」

「さあ……どうかな」

 答えを知らないわけではなさそうな口調で、シュレーははぐらかした。

 「彼らと食事をする約束になっているんだが、よかったら君も来るかい、マイオス」

 微笑んで言うシュレーを見ていると、シェルは、誘いを断ってはいけないような気分になった。

「でも、僕は……」

 怖じ気付いて、シェルは言いよどんだ。

「君は、きっと、イルス・フォルデスと気が合うと思う」

「え…どうしてですか?」

 意外な言葉に、シェルは顔をあげた。

「似てるからだよ、マイオス。私よりはずっと気が合うだろう」

「……あのう…気が合わなかったんですか?」

 シュレーの事を何と呼んで良いかわからず、シェルは歯切れの悪い言い方をしてしまった。

「私はどちらかというと、スィグル・レイラスと気が合いそうだ」

 シュレーは微笑みながら、お茶を飲んだ。シェルは呆気にとられた。

「でも…………嫌われてるんでしょう?」

「そうらしい」

 穏やかに答えるシュレーの顔は、なぜか満足げだった。神々の血を受け継ぐこの少年は、どこかが決定的に俗人とは違っていて、自分に敵意を持つ者すら愛することができるのかもしれないと、シェルは思った。

「一緒に行ってくれるだろう、マイオス」

 いくぶん親しげな気配を感じさせる口調で、シュレーは言い、かすかに微笑んだ。シェルは頷いた。

 同じ運命のもとに集められた仲間に会いたいのも理由のひとつだったが、目の前にいる神聖な少年を、たった一人で、いわれのない敵意の中に立たせたくなかったのだ。もとをただせば、エルフ諸族は同じ一つの部族だったという。髪の色や肌の色が少し違うというだけで、お互いにいがみ合うのは愚かなことだとシェルは信じている。シュレーを嫌っているという黒エルフのスィグルにも、それを話して解ってもらわなければならないと、シェルは密かな使命感に燃えた。

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