〈68〉お母さん、戦う

『ペンダントで今、あんたの脳に直接話しているの。後方支援バックアップするから私の言うことに従って!』


(お母さんなんで知ってるの? 逆探知、意味がないはずなのに)


『何年つき合ってると思ってんのよ! 全部お見通しよ。あんた一人においしいところを持って行かせたりするもんですか!』


(だ、だけどこんな化け物、どうやって――)


『大丈夫。落ち着きなさい。確かに草吹からは脳波が出ていないから、逆探知には引っかからなかった。レーダーでも特定できないし、見えない障壁のせいで遠距離攻撃も通用しない』


(それ以前に物理攻撃が効かないんだってば!)


『そうね。けどそこから導き出される結論が正しければ、やりようがあるわ』


 霞は京子の声に心の耳を傾けた。


『草吹を実体化させている投影機は奴の体内にあるはず。でも、今それを破壊することは無理。霞、あと3分動けるかな?』


(……たぶん)


『じゃあ今から私のナビにそって逃げるよ』


(え? 逃げるの?)


『そう。その間に私たちが病院内に張られた草吹ネットワークを破壊していく。入院患者を危険にさらさないためにも、ね』


(わかった)


 霞は目を開けると銃を太腿に戻すと立ち上がり、ファイテングポーズをとった。


 草吹は京子のメッセージには感づいていないようだ。


「なんだ? まだ殴られ足りないのか? じゃあ、遊んでやる」


 押さえきれない気持ち、圧倒的な優越感を笑みに変えながら、獲物を追い詰める猛獣のように草吹はゆっくりと向かってきた。



 京子の声が聞こえる。


『左のドアは開いているわ。3……2……1……Go!』


 京子の合図とともに霞は走り出した。


「きっ、貴様! 逃げられると思うなよ!」


 予想外の行動に草吹があわてて後を追いかける。




 暗い病院の中、壮絶な鬼ごっこが始まった。



『ドアを開けたら左に走って! そこからジグザグに行くよっ! 相手は慣性のコントロールが苦手なはず!』


 後からメスを持って霞を追いかけてくる草吹。捕まりそうになったところで角を曲がると、少し差が開いた。京子の言う通りだ。直線で差を縮められるところを霞は小回りで突き放す。


 その間に京子は待機していたカムチャッカスタッフに指示を飛ばした。


『みんな頼むよっ! ネットワークの特定と解除、急いで!』


 大学病院に密かに配置された工作員たちのアナログコードが飛び交う。


あねさん、B棟の草吹ネットワーク、解除しました! 霞ちゃんをC棟に誘導してください!」


『了解! 霞、目の前のドアにはかぎが掛かっているわ。銃でこじ開けて!』


(わかった!)


 霞は銃を抜いてドアノブを打ち抜いた。


 そして振り向きざまに後ろから襲い掛かってきた草吹にも一発見舞う。


 至近距離から撃たれた草吹は後ろに吹っ飛んだ。


『よしっ! 霞、そのままドアの向こうのC棟に向かって!』


(了解!)


 ドアを抜けた霞は渡り廊下を走り出す。


『そこからC棟の屋上まで階段を一気に駆け上がって!』


(うわっ、そりゃかなりきついよ!)


『ここが踏ん張りどころよ!』


 振り向くと草吹が鬼のような形相で下から追ってきていた。疲れなど感じないのだろう。


 京子にも立て続けにスタッフや工作員からの報告が入る。


「C棟ポイント特定しました!」


「C棟から外への入院患者の避難準備、整いましたっ」


「姐さん、B棟患者の緊急避難完了です!」


(頑張って……霞)



 霞が屋上のドアを開けると、追いついてきた草吹が笑って言った。


「バカめ、もう逃げられんぞ!」


「そうかしら? 来なさいよ」


 挑発的な笑みに続いて屋上での追いかけっこが始まった。

 C棟からA棟に飛び移る霞と草吹。


「工作部隊、作業を急げ! ヘリはそのまま待機」


 大学病院に到着したばかりの署長が現地で激を飛ばす。


「進行ルート、予定通りです!」


「C棟ポイント解除! A棟への移動準備完了」


 飛び交う情報の中、京子は暗い病院の階段を全速力で疾走する霞と草吹の情報をリアルタイムで追っていた。


『A棟屋上のドアは内向きに開けてあるわ!』


(わかった!)


 京子のメッセージを聞いた霞は後ろ手でドアを思いっきり閉め、追いつきそうになっていた草吹を直前で弾き飛ばした。


『そのまま一階まで下りて!』


(OK!)


 霞と草吹の階段くだり。霞がバテてきたのか、差が広がらなくなってきている。


「A棟ポイント特定!」


「C棟患者の緊急避難完了!」


「草吹ポイントの結界、すべて解除!」


「弱点を探せ! あいつの情報がどこから来るか、特定しろ!」


 署長の指示が響いた。


「今やってますっ!」


『OK! 霞、そこから左手に曲がってすぐに右!』


「くっ!」


 一階に下りた霞がその指示通り体の向きを変えた瞬間、足がもつれそうになる。


『A棟一階表示からさらに左に曲がってすぐに右、B棟に向かって!』


(えっ! またB棟?)


『草吹の弱点を見つけるまでもうすぐよ! 頑張って!』


(も、もう……走れないよ!)


 ――ダンッ!

 ――バンバンバンッ!


 B棟に向かう暗い廊下の途中でドアを閉めると、霞は振り向きざまに銃を3発放った。



「はあっ、はあっ」



 銃撃に手ごたえはなかった。



(……どこに消えた?) 



「ここだ!」


(何っ!)


 気配に気づいた時にはすでに、霞の身体は廊下の壁に叩きつけられていた。


「ぐふっ!」


 床に転がった身体から、血しぶきが飛ぶ。


(しまった! 足……やられた)



 霞の右足の太腿に、草吹のメスが深々と突き刺さっていた。


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