〈6〉人体実験

(先に来てるかな?)


 歩きながらそう思っていた霞は、目的地の橋に西崎がいるのを確認して、やや安堵した。いかに霞とはいえ、場所を指定した相手から狙い撃ちされるような危険は避けたいのだ。


「お久しぶりです、高橋さん」


 近づくと、西崎の方から声をかけてきた。


「ご無沙汰しております。西崎さん」


 彼の背丈は良助と同じくらいだったが、昔のあどけない表情が引き締まり、凛々しく見えた。久しぶりの対面で笑顔を見せてはいるものの、霞には彼が、やや緊張しているように見受けられた。


「すみません、こんなところにお呼び出しして」


 小学生二人の大人びた会話。


「なんですか? お話って」


「率直に伺います。人体実験について、どうお考えですか?」


(そういう話か)


 霞は西崎の意図を悟った。だが、隠し立てするようなことは何もない。


「わたしと良助の件でしょうか?」


「ごめんなさい。でも確かにそうです」


「わたし自身は自分たちが被害者だとは思っていません」


「本当に……そうなんですね?」


 いつの間にか西崎の表情から笑顔が消えていた。


「あくまで、自分たちの意志でトレーニングを積んできた。そう考えていますから」


 霞ははっきりと伝える。


 二年近くの歳月とその間の良助の成長が、彼女の考えを変えていた。


「それは良助くんも、ですか? 今となってはわからないと思うのですが」


「西崎さん、大会で良助を見て、どう思われました?」


「そうですね。直接言葉を交わしていないのでなんとも言えないのですが、ただ、彼は彼で今の人格で頑張って生きている。そういう気はしました」


 答えながら西崎は橋の欄干にもたれかかる。


「確かに僕は良助くんを見に行った。そして、あなたにも見られているんだろう、そう思っていた。僕はターゲットリストに入っているんでしょう?」


「…………」


「ところがあなたからのコンタクトはなかった」


「それで?」


「決めかねています。『こんなこと許されるはずがない』そう思っていたんです、最初は。だから脱退して、どこかに告発すべきなんだろうな、と考えてた。でも、あなたの言葉を聞いて、それが正しいのかどうかすら判断がつかなくなった」


「わたしや良助があなたに告発してほしい、なんて思うとでも?」


「最終的にはそこです。結局あなた方は組織に守られる生き方を選んでいる。それに対して僕が何か言うつもりはありませんが――」


「違いますね」


 霞は即座に否定した。


「組織に守られたいわけじゃない。わたしは自分の意志でここにいるんです。西崎さん、あなたが告発しようと思うのであれば、やってみればいい。それがあなたの意志なんですよね?」


 正面からの霞の言葉に西崎が目をつぶる。そして言った。


「わかりました。告発はしません。事故はあくまで事故で、組織には責任のないことだとわかりましたから。僕はあなたの話が聞きたかった。それだけです」


「西崎さん」


「はい」


「これからどうやって生きていくおつもりですか?」


 聞いた霞は決して西崎の人生に興味があったわけではない。彼の考えの裏付けが取りたかった。もし彼が他の機関に移ることが決まっているのだとすれば、それはそれで問題だ。


 そんな霞の思惑を知ってか知らずか、西崎は苦笑いで答えた。


「特に考えていません。普通の子供として生き、普通の大人になろうと思っています」


「それって、そんなに簡単なことですか?」


 霞の問いかけで、二人の間に再び重苦しい雰囲気が漂う。


「確かに簡単ではないかもしれない。ですが、戻るつもりもありません」


「わかりました。失礼します」


 用が済んだ霞が一礼して西崎に背を向け、立ち去ろうとしたとき、西崎があわてて呼び止めた。


「高橋さん」


「はい」


「あの、僕が言えた義理じゃないんですが……高橋さん、生き急いでませんか?」


「どういう意味ですか?」


「あなたにはあなたの生き方があるんだと思う。否定はしません。でも――」


「はい」


「……死なないでください」


「失礼します」


 霞は振り返らず、立ち去った。


(うちの周りの男って、おせっかいしかいないのかしら……)



 ◆◇◆



「あれ?」


 マンションの下に着くと、霞は良助とばったり出会った。


「おー、どうした? 怖い顔して」

「良助……」


 彼の顔を見ることをなんとなく気まずく思いつつ、そのまま二人でエレベーターに乗る。


「かすみん」

「何?」


「あの西崎さんっていう人、知り合いなのか?」


「えっ? 見てたの?」


 霞の顔が引きつる。


「いや、たまたま見かけただけだよ。なんか真剣な話っぽかったから声かけなかったんだ。相手はあの西崎さんみたいだったし」


「(会話までは聞こえてなかったみたいね)ええ、まあね」


「告白でもされたのか?」


 まじめな顔で聞いてきた。


「まあ、そんなところかしら」

「ふーん……で?」


「なに?」

「OKしたのか?」


「断ったわよ。色恋沙汰には興味ありませんって。実際そうだから」


「そうか」


 職業柄とはいえ、霞はしれっと嘘をつく自分に少し嫌気がさした。


「西崎さんって、いい人なのか?」


「……いい人よ。馬鹿がつくほどね」


「そうか。馬鹿か。オレみたいだな」


「あなたは馬鹿を通り越して天才じゃない」


 やっぱり良助と話すのが一番落ち着く。霞はそう思った。

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