〈5〉ボランティア

 金曜日の夕方、霞が自分の部屋で勉強していると、端末が鳴った。署長からだ。


『ターゲットレポートを更新したので送る。目を通しておくように』


「わかりました」


 レポートを見ると、どこかで聞いた名前に目が留まった。


(西崎司……って、確か……)


 霞は立ち上がり、義理の母親の部屋に向かった。



「京子さん、カムチャッカの『西崎司』って、一人しかいませんよね?」


「西崎? ああ、確か霞ちゃんたちより一つ上の子だったわよね? 最近組織うちからは抜けたらしいけど」


 短い髪に眼鏡をかけた小柄な女性が作業の手を止めて答えた。その顔は母親という言葉が不釣り合いなほど若々しい。


「そうだったんだ。実はこのレポートなんですが」


 霞に言われ、データを受信した京子が眼鏡に手をやって端末に目を落とす。


「どれどれ? 確かにあの子みたいね」


「昨日良助の出た空手大会で優勝していたの。でもなんでターゲットに?」


「理由が書かれていないところを見ると、任意脱退だとは思うけど、組織にいる間に何かやらかしたのかしら? ちょっと調べてみるわ」


「お願いします」


「ただね、気をつけて」


「何をですか?」


「霞ちゃんには言うまでもない話だと思うけど、うちってそもそも人工知能を中心に形成される集権機構の中の警察機関じゃない? ただ他の機関と比べて人間の仕事が多いのよ。基本的にロボットが対応できない作業を人間が担当してるわけだけど、その人員ってほぼボランティアで成り立ってるの。私のような存在のことね」


「はい」


「例外として霞ちゃんや良助くんのように子供のころの適性を見て配属されるケースがあるの。組織内部に教育部門や研究部門が設けられていて、特殊任務に従事する専門家やスタッフを養成しているんだけど、そんなこと公にされていないし、組織から抜ける場合も守秘義務を求められる。場合によっては内部事情に関わる記憶を消去される。だからそこに関わる者の脱退は組織規定の中でも例外中の例外なのよ」


「知っています」


「その例外中の例外がターゲット、ということは、相当ナイーブな話だと思うの。そういった脱退者が他の組織に接触したとしたら?」


「うちの内情が外部に漏れてしまう?」


「そう。だからもし西崎君にその気があれば、彼のほうから霞ちゃんや良助くんに接触してくるかもしれない。先制攻撃もあるかもよ?」


「嫌な話ですね。追う立場なのか追われる立場なのかわからない」


「そうね。だからお気をつけください、お嬢様」


「はい」


「じゃ、ご飯にしましょうか。聡さん呼んできてくれる?」


「わかりました」



 ◆◇◆



 霞は高橋家、つまり義理の両親にはよくしてもらっている、とは思っていた。母の京子は霞と組織のことを取り持ってアドバイスしてくれるし、父のさとしは霞の苦手な情報システム関係で力になってくれる。何より良助とのいきさつも含めて知っている、良き理解者だった。


 ただ、それでも本当の親子として接するのは気が引けた。「肉親の情」というものがわかなかったのと、誰かに甘えるとか頼るとかを嫌う強い自立心が霞にはあったし、将来、自分が任務で命を落とすかもしれず、つまらないしがらみは残したくないと思っていた。

 

「霞ちゃん、良助くんはどう?」


 夕飯を食べながら聡に聞かれる。聡は京子とは対照的に大柄だが、誰からも好かれそうな優しい表情と、やや渋めの落ち着いた声の持ち主だった。


「試合で思いっきり吹っ飛ばされたの、相当悔しかったみたいです。勉強とかまったく手につかない感じですね。でも心配なさそう。あの子天才だから」


「霞ちゃんにそう言われるなんて凄いけど、二人ともしばらくこのままの状況で行くつもりかな?」


「うーん、なんていうか、しばらくは考えられないかな、今以上の生活は」


「考えておいてほしいんだけど、霞ちゃんだって今以上に幸せになっていいと思うんだ。もちろん今の任務が性に合ってるってのかもしれないし、そんなすぐの話ではないんだけど、組織に縛られる必要はないんじゃないかなって」


「あら、聡さんがそんなこと言うなんて」


 京子が口をはさむ。


「まがりなりにもうちの娘だよ? 危険な目に合わせたいなんて思わないよ。俺たちが保証すれば霞ちゃんも自由になれるわけだし」


 二人の会話を聞きながら、静かにご飯を口に運ぶ霞。


「実はその話なんだけど」


 京子が切り出した。


「霞ちゃんの一つ上の子で西崎くんっていたじゃない。西崎司くん」


「ああ、いたな」


「あの子、今、野放し状態みたいなの。ターゲットに設定されてる」


「そうか」


「私も、霞ちゃんを危険な目に合わせたいなんて思わないけど、西崎くんのことを考えると、組織を出るのも大変だなって思った。少なくともこの子の言うように、良助くんが自立するまでは辛抱が必要かもね」


「良助くん、十分自立できてるじゃないか」


「いや、西崎くんのような存在がいる、ということは良助くんだって危険にさらされる可能性もあるってことなのよ。たとえ過去のことを知らない一般人だとしても、相手からは利用価値があると思われているかもしれない。そういうこともあって霞ちゃんが離れられないのもわかるの」


「確かに……俺たちが役に立てればいいんだけど」


 聡のその言葉に霞が顔をあげた。


「いえ、十分すぎるほど助けていただいてます。聡さんにも京子さんにも。ごちそうさま。京子さん、西崎司の情報、何かわかったら教えてください」


「わかったわ」


 京子の返事を聞き終わらないうちに霞は自分の部屋に戻った。



 ◆◇◆



 西崎から連絡があったのは翌日の午後だった。近所で会って話がしたい、というメッセージが霞に届いていた。


「どうするの?」


 ショートヘアの後ろで手を組んだ京子に聞かれる。


「行ってきます。どんな内容かわからないけど、話したいことがあるって言っているから、そんな物騒なことにはならないと思うの」


「わかった。聡さんには伝えておくわ」


「お願いします」


 そう言って霞は出かけた。良助は道場で稽古の時間だ。町を歩きながら、霞は西崎の情報をイメージしなおしていた。元々西崎と面識はあったが、霞とはセクションが違うため、そこまで仲が良いわけでもなく、直接話したこともほとんどなかった。印象としては、年上に見えない、あどけない顔立ちのおぼっちゃん、という感じ。空手の大会でも優勝者が同姓同名だということは、気がついていたものの、彼が組織を抜けたことを知らされていなかった霞は、まさか本人だとは思わず、意識していなかったのだ。


 一方、西崎はメッセージで自分のことを「高橋」と書いていた。ということは、良助の事故のことも知っているはずだ。あの日感じた誰かから見られている気配はきっと、彼の視線だったのだろう。

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