第83話 琥珀の破片【2】
「なんだか御伽話みたいだね」
テトはシェラートの手を引き、こっそり囁いた。聞こえてきた感想に、フィシュアとロシュは揃って苦笑する。
「ラルー以来ですかね」
朗らかに笑むロシュはフィシュアの手を取ったまま、テトとシェラートに向き直った。
ロシュと会った記憶のないテトとシェラートはそれぞれ顔を見合わせる。目があってすぐ、テトはシェラートを見上げたまま首を横に振った。シェラートにも思い当たる節がない。
「ロシュ」
フィシュアは横目でロシュを睨んだ。
テトとシェラートに覚えがないのも当然のこと。砂漠の始まりと終わりの街——ラルーにおいて、フィシュアの命を受けたロシュは、路頭に迷っているだろう二人の行方を探したが、彼らはそのことを知らない。
フィシュアの無言の詰りを受け流し、ロシュは改めて二人に礼をとった。
「お初にお目にかかります、シェラート殿、テト殿。私はフィシュア様の護衛の任を仰せつかっておりますロシュと申します。フィシュア様の便りにて噂はかねがね。ご迷惑をおかけしました。大変でしたでしょう?」
さらりと口に乗せられたロシュの謝罪に、フィシュアは半眼した。抗議の視線を受けたロシュはただ、主の手を取る自身の手に力を込める。
「フィシュア様。また、ご無理をなさいましたね?」
「何で!?」
報告書にはあげていないのに、と続く言葉を呑みこんだフィシュアは顔を引きつらせながら後ずさった。けれど、ロシュに手をがっちりと掴まれているせいで、彼から二人分ほど離れるのが限度だ。
「ああ、大変だった。無茶ばっかりして」
「毒とか病気でフィシュアが倒れちゃった時は本当にびっくりしたんだから!」
「自ら進んで贄になろうとするしな」
「テト! シェラート!」
叫ぶフィシュアの横で「ほう」と呟いたロシュは、ようやくフィシュアを解放した。二人の元へ歩み寄る。
「後ほど詳しい話を伺ってもよろしいでしょうか、シェラート殿、テト殿」
「わかった」
「いいよ!」
すぐさまロシュの申し出を受け入れた連れの二人を、フィシュアは恨めしそうに睨んだ。
「もう、いい。仕事する……」
「残念。逃げようったって仕事はありませんよ。先にこちらにお立ち寄りになると思い、今ある仕事はすべて片付けておきましたから。既にルディ様にもご確認いただいております」
「……なら、ホークに会いに」
「それも無理です。オギハ様の命を受けて今朝出立しました。フィシュア様が数日中にお帰りになることを知っていた手前、至極不本意そうでしたが」
「オギハ兄様が? だけど、兄様なら他にもファイをたくさんお持ちだろう」
フィシュアは眉をひそめた。
強靭な翼で空を行く早文用の鳥であるファイ。フィシュアが所有しているのはホーク一羽のみだが、兄は少なくとも二十羽は所有している。
にもかかわらずホークまで駆り出されたということは、飛ばす文に対してファイの数が足りなかったということだ。
そこまで結論付けたフィシュアは軽く息をつき、「それなら」と護衛官に目をやった。
「仕事もないし、ホークもいないなら大人しく皇宮へ向かうか」
「その後、フィシュア様からもじっくり話を伺いましょうか」
にっこりと笑みを浮かべたロシュに、フィシュアは心底嫌そうな顔になる。追及を回避すべく、フィシュアはそそくさとテトの手を取り、門に続く石畳を戻りはじめた。
「さあ、テト。早速、皇宮に入るからね!」
「こら、フィシュア。逃げるな」
「逃げてない! 大体シェラートがあんなことロシュに言うから」
「事実だろう」
「でも、ロシュはしつこいんだからね」
「酷い言われようですね。フィシュア様が無理ばかりなさるのが一番悪いと思うのですが。何度進言しても聞く耳を持ってくださりませんし」
「同感だ。自分から“もうしない”とか誓っておきながら、結局すぐに破るしな」
「そうなんですよね。もう常について見張っておくしか方法はないのですよ」
なぜか結託しはじめたロシュとシェラートの二人をフィシュアは睨みつけ、さらに歩を速めた。その足を止めるようにテトが立ち止まり、フィシュアの手を強く引く。
「だめだよ、フィシュア。フィシュアは砂漠でちゃんと僕を怒ってくれたでしょう? フィシュアも心配かけるような悪いことをしたのなら、ちゃんとロシュさんに怒られないと」
「うぅ……テトまで……」
じっと見上げてくる真摯な眼差しに勝てるはずもなく、フィシュアは素直に降参した。
「……わかった。後でね」
フィシュアを見事に諭してみせた少年に、ロシュはただひたすら感心する。
「すごいですね。私よりもテト殿に叱っていただいた方が、フィシュア様には効果があるやもしれません」
「だろうな。誰もテトには敵わないから」
何度も経験してきたシェラートは苦笑しながらテトを抱えあげ自身の肩に乗せた。項垂れたままのフィシュアの頭を後ろから軽く叩き、歩くよう促す。
「諦めたか?」
「……諦めざるを得ないでしょう」
「まあ、せいぜいしっかりと怒られるんだな」
後頭部を押さえたフィシュアは不服そうに、シェラートをちらりと見あげる。並んで歩きながら、フィシュアは気持ちを切り替えるべく組んだ両手を上に伸ばした。
「まあ、いいや。カルレシアの解毒剤よりかはロシュの説教の方が幾分かましよね」
シェラートは背伸びし続けるフィシュアを見やって、ふっと口の端をあげた。
「フィシュア。お前、自ら墓穴掘ってどうする」
「へ!?……あ、ああぁっ!」
シェラートの言葉の意味を察したフィシュアは上に伸ばしていた両手を、すとんと落とした。
「先ほどテト殿が毒と仰っていたのはカルレシアのことだったのですか」
背後から聞こえてきた憤りを含んだ声に、フィシュアは失態を悟った。それでも諫言の嵐は一向に訪れず――いっそ居心地の悪さが増す静寂の中、フィシュアは後ろを振り返る。
そこにあったのは苦虫を噛み潰したようなロシュの姿で、だからこそフィシュアは口にしてしまった過去の失敗をなお一層後悔した。
「お身体に影響は?」
「大丈夫だ。今はもう何ともない。すぐにシェラートが処方してくれた解毒薬を飲んだ。エルーカ村の病に対する処方薬をつくったのもシェラートだ。腕は確かだとわかるだろう? 安心していい」
言い切ってもなお疑わしげなロシュを前にし、フィシュアは困ったようにシェラートへ助けを求めた。
シェラートは押し黙る主従を見比べ、鷹揚に頷く。
「カルレシアにやられたと言っても、意識はちゃんとあったしな。フィシュアにはもともと抗体があったようだから、幸い毒の影響も常人の三分の一程度だった。強い毒だから、さすがに熱とかは出ていたけどな。だから治りも早かったし、後遺症もないだろう。心配しなくていい」
「……じゃあ、毒に身体を慣らしていたのも結構効果があったのね」
はじめて聞いた事実に、フィシュアはどこか満足気に呟いた。それを耳聡く拾ったシェラートは思いきり顔をしかめる。
「フィシュア」
翡翠の双眸に厳しく咎められ、フィシュアは気まずさに視線を石畳に落とす。
「ごめん。悪かったわよ」
「――っ前は、本当にわかってるのかよ?」
呆れたように問いただされ、フィシュアは今度こそ重々しく頷いた。
「ええ、ごめんなさい。――ロシュにも、悪かった」
珍しく殊勝な
「済んだことですし、フィシュア様がご無事なら今はよしとしましょう。ですが、カルレシアの件はオギハ様に報告をあげさせてもらいますよ」
「オギハ兄様に報告する必要はない。今回のは刺客の
「それでも、です。オギハ様から直接お叱りを受けてください」
「うぅ……なおさら嫌だ」
呻いてみたものの、ロシュから「フィシュア様が悪いのです」と冷ややかに断言される。
返す言葉もないフィシュアに、ロシュは続けた。
「どちらにしろ皇宮へ向かわねばならないのですから、そのついでにしっかりと怒られてくださいね」
フィシュアは「わかった」とひらひらと力なく手を振って、ロシュの諫言を断ち切る。
「それから……馬はどういたしましょうか?」
「ああ。この人数だからな。うち二人は顔を知られていないし、面倒だから馬車を用意させようと思ったのもあって、ここに寄ったんだ。一緒にいれば見咎められることもないだろうが、同乗して身内であることを示した方が何かと早いからな」
ロシュは「そうですね」と同意する。
「ねぇ、フィシュア。皇宮ってここのすぐ隣なのに、どうして馬車がいるの?」
テトはシェラートの肩上から不思議そうに尋ねた。
警備隊本部から皇宮の入り口までは目と鼻の先。もっともなテトの疑問に、フィシュアは微笑む。
「あのね、テト。確かに皇宮はここからすごく近いけど、さっき見たのは皇宮の敷地の一番端なの。あの建物も皇宮の一部ではあるけど、役割としてはほとんど門ね。ほら、野から見えた皇宮の丸屋根は、さっきいくら見上げても見えなかったでしょう? 三つの丸屋根が付いている建物から成り立っている本宮は門をくぐって、前庭を越えて、ずっと奥まで進んだところにあるの。普通に歩いて行ったら一時間はかかるのよ。だから馬車に乗って行こうと思って。疲れちゃうからね」
「そんなに広いの?」と目を丸くさせたテトに、「そう、そのくらい広いのよ」とフィシュアは笑う。
「では、私は一足先に行きます。馬車の用意をいたしますので、入り口でお待ちください」
「ああ。任せた。——っと、シェラート。私たちも馬を返しに行かないとね。ここに転移させるのは無理だから、一度庭に出ましょうか」
「それでしたら、私と一緒に来ていただけますか、シェラート殿。どうせ厩に向かうのならば私が一緒に馬を返しておきます」
フィシュアがシェラートを見ると、ちょうどロシュの提案にシェラートが同意しているところだった。
「なら、シェラート。私はテトと先に行っておくからよろしくね。ロシュも後は頼んだ」
「はい」
フィシュアに頷きを返しつつ、ロシュは「それにしても」と苦笑する。
ちょうど一連のやりとりを聞いていたテトが、肩から飛び降りようとするのを、シェラートが慌てて阻止したところだった。
テトが無事に地面に足をつけたのを目の端で見届けて、フィシュアはロシュに意識を戻す。
「なんだかややこしいですね、フィシュア様。口調をわけるのは疲れませんか? いっそ私に対してもシェラート殿たちと同じ口調で構いませんよ。事実以前はそうしていたのですから」
付き合いの長い護衛官の言いように、幼すぎた日々を思い出し、フィシュアはげっそりした。
「……一体いつの話をしているんだ」
「そう昔のことではないでしょう」
「随分と昔だろう。それにテトとシェラートには仕事のことも、この口調のことも知られているから、いい。なにより、もう癖だ。意識して直しながら話す方が疲れる」
「それなら、よろしいのですが」
「うん。じゃあ、後で」
フィシュアは片手をあげる。テトも倣って、連れ立ち先に歩き出した二人へ大きく手を振った。
「シェラート、ロシュさん、後でねぇー!」
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