第82話 琥珀の破片【1】

「うわぁ! これってさっき遠くから見たのとおんなじ建物だよね!?」


 人混みに巻き込まれないよう肩車されていたテトは、シェラートの頭にことさらしがみつき歓声をあげた。

 頭ひとつ飛び出ていても道行く人々に遮られていた視界の先。ようやく開けた人垣よりも広大に続く壁は果てが見えない。天に向かって崇高にそびえ立つ皇宮の姿にテトは圧倒された。

 口を際限まで開いたまま、野で見た皇宮の屋根の天頂を見極めようと、テトは必死に首を空へと反らす。

「テト、動くな! 落ちる」

 シェラートは注意しながら、落ちてしまわないようテトの背に手を添え直す。

 フィシュアは頬を緩めた。

「遠くから見た時も大きく見えたけど、間近だともっと大きいでしょう? 中はもっと広いのよ。後で入ったらテト、きっとびっくりするから」

 だけど今はこっちね、とフィシュアは皇宮の門のすぐ脇に位置する石造りの建物を目で示した。

 色調の異なる青石と他の色石を組み合わせかたどられた動植物の華やかな装飾が際立つ皇宮の壁面とは対照的に、浮き彫りが施されているとはいえ均一に切り出された灰白色の石を積み重ねただけに見えるその建物は重厚で質素だ。

 人々が皇宮の絢爛さに目を奪われ感嘆の溜息を漏らす傍で、確固と佇み皇都の暮らしの安寧を見守る建物。それこそが、国内に拠点を張り巡らせ、各々の地で民の治安を守るダランズール帝国警備隊の本部であった。



 直立不動で立っていた警備隊本部の四人の門番はフィシュアの姿を目の端に捉えると、姿勢のよい背筋をさらに伸ばし、最敬礼をとった。

 フィシュアは至極当然のこととして彼らの礼を受け止め「御苦労」と一言労い門をくぐる。シェラートに肩車をされたままのテトは、門番に向かってぺこりと頭を下げた。

 テトの挨拶に門番たちはわずか目元を緩めたものの、誰一人として怪訝な表情を浮かべはしない。

 咎められるどころか、誰何すいかもなしにすんなり中に入れたことに対し、シェラートは少なからず驚いた。

「ここって誰でも入れるのか?」

「ええ、大体はね。警備隊を訪ねてくるのはほとんど一般の民の方だし、一応皇帝の管轄ではあるけど、皇宮に置かれている軍と違って皇帝直轄ではないから、機密事項もそんなに多くはないのよ。まあ、軍に比べたらであって機密がないわけじゃないんだけど、警備隊はあくまで民の治安を維持するためにつくられた組織だからね。民に対しての門扉は常に開かれているわ」

「皇宮、か……。さっきも言っていたよな。俺たちが行く必要はあるのか?」

 フィシュアは、テトを皇宮に連れて行くと請け負っていた。

 だが、皇宮へ赴くのはフィシュアの報告のためであって、テトとシェラートには関係ない。

 一般に開放されているという警備隊本部なら入ることには何の問題もないだろうが、皇宮に入るとなると色々と面倒な手続きも多いだろう。

 フィシュアが皇都での便宜を取りはからってくれるのはありがたいが、だからと言って、シェラートはわざわざ皇宮に行く意義を見出せなかった。

 フィシュアが報告に行っている間、テトと共に外で待っておけばよいだけの話だ。

 訝しがるシェラートに対して、フィシュアは歩きながら首を傾げた。

「だって、これからどこで暮らすのよ? もしかして他に当てがあった?」

「確かに当てはないが……」

 言い淀みながら、思い至った事柄にシェラートは足を止めた。頭上から、テトが不思議そうに覗きこんできた。

「……まさか皇宮に行って、そのまま寝泊まりさせるつもりじゃないよな?」

「え? ええ。そのつもりだけど……何かおかしい?」

「おかしいって……」

 そもそも無理だろう、と否定しようとしたシェラートよりも先に、フィシュアは重ねて続けた。

「だって家が見つかるまで、わざわざ宿で暮らすなんて宿代がもったいないでしょう? それなら皇宮に住んだ方がいいじゃない。部屋だって有り余ってるから、すぐに用意できるだろうし。テトとシェラートを皇都まで連れて来ちゃったのは私だもの。心配しなくても二人の基盤が整うまで、不便がないよう取り計らうつもりだったわ。それに、ほら。テトの皇立学校への入学手続きも、ちゃちゃっと終わらせちゃうから。皇宮からだったら学校も近くて便利よ?」

「学校かぁ……。僕、初めてだから緊張するな」

 シェラートの黒髪に顎を埋めて、まだ見ぬ学校へと思いを馳せはじめたテトに、フィシュアは微笑む。

「きっといろんなことを学べると思うわ。テトならすぐに学校に馴れて友だちだってたくさんできるでしょうし」

「うん、頑張る!」

 シェラートはテトの背を叩き、張り切るテトを石畳の道に下ろした。

 今一つ噛み合わない会話に、シェラートは当惑する。

「そうじゃなくてだな……。いろいろ問題があるだろう」

「問題? 別にないけど」

 きょとんとフィシュアは見返してくる。本当にわかってないらしいと知れるフィシュアの仕種を前にして、シェラートは溜息をついた。

「自分で言うのもなんだけどな。身元が割れてないような奴を皇宮が受け入れてくれるのか?」

「身元? 身元なら割れてるじゃない。ミシュマール地方エルーカ村出身の少年、テト。カーマイル王国出身の魔人ジン、シェラート」

 フィシュアはテトとシェラートを交互に指さしながら確かめる。

「あってるわよね?」

 尋ねたフィシュアに、テトは元気よく頷いた。

「ほら、大丈夫」

「“ほら、大丈夫”……じゃないだろう。テトはまだしも、それじゃ俺は明らかに怪しすぎないか?」

「そう? でも、皇宮って言ったって、何も皇族だけが住んでいるわけじゃないのよ? 貴族だっているし、兵舎もあるから皇軍兵も住んでいるでしょう? ……あとは侍医とか侍従とか侍女とか、皇立学校のために地方から呼んだ教授や研究者だっているし、それから——」

「わかった。もういい」

 際限なく続きそうなフィシュアの言い分をシェラートは遮った。これ以上続けても、埒があかないと諦める。

「そう?」

 フィシュアは首を傾げる。

 シェラートは半ば呆れながらテトの手をとった。

 再び前を向き歩きはじめたフィシュアの背を追いながら、いくら皇帝から重要な任を与えられているとはいえ皇宮滞在の采配を決めることができるのだろうか、とシェラートは思う。

 だが、シェラートの思案は唐突に断ち切られた。

「ロシュ!」

 道向こうに護衛官の姿を捉えたフィシュアが手を振りあげる。

「本当に無事だったんだな」

 喜色も露わに駆け寄ったフィシュアの右手を、茶髪の武官は慣れた仕草で取った。澄んだ空色の双眸に穏やかさをたたえ、腰を曲げた武官はフィシュアの手の甲へ敬愛の礼を落とす。

「そんなに簡単にはやられはしませんよ。そのことに関してはフィシュア様が一番信をおいていらっしゃるはずでしょう?」

「それでもさすがに今回は心配した」

 ふと藍の瞳を細め、フィシュアはロシュの右頬に労いを与える。

「アエルナのことは後で」

 後ろにいる二人には聞こえぬよう耳元で囁かれた命。

 顔をあげた次の瞬間には、懸念を綺麗に押し隠し、口元に悠然と笑みを刻んでいた主に、ロシュは深く頷きを返した。


「ご無事で何よりです、我が君」

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