第51話 鎮魂歌【2】
村人たちから話を聞き終えた後、フィシュアとシェラートは早速ルネシィから聞いた森の中にあるという泉に向かうことにした。
てっきりテトも泉へついて来るものと思っていたが、自分は村に残ると言う。結局二人は「バデュラの警備隊と一緒に村のみんなへ物資を配る手伝いをしたい」というテトの意見を尊重することにした。
「テトも大人になっちゃったわねぇ」
泉への道を歩きながら、しみじみと呟いたフィシュアに、シェラートは苦笑した。
確かにいくらか寂しく感じるのは事実だった。以前のテトなら絶対、自分もついて行く、と主張しただろう。
「まぁ、色々あったからな」
「うん、テトは今回、本当によく頑張ったわ……」
そう言う割には、前を歩くフィシュアは浮かない顔をしている。
後頭部で一つに束ねられ、歩くたびにゆらゆらと揺れている薄茶の髪を、シェラートは後ろから引っ張った。
「――っちょっと、何するのよ!? 痛いじゃない!」
「え、あ、いや……、何か変だったから。まだ、どこか治ってないんじゃないのか?」
「別にそういうわけじゃないわよ」
「じゃあ、どうしてそんな不機嫌そうな顔をしてる?」
シェラートが聞けば、フィシュアは睨んでくる。と思えば、顔を背けた彼女は、前を向いて歩き出し——結局、数歩歩いたところで立ち止まった。「もうっ!」と息を吐き出したフィシュアは、シェラートの方を見ないまま口を開いた。
「ちょっと自己嫌悪中なのよ。私ってずるいなぁ、と思って」
「何が?」
だって、とフィシュアは吐露する。振り返ったフィシュアは、シェラートを見据えて言った。
「私はテトに選べない選択肢をつきつけた。テトなら絶対、私を助けてくれると思って……、そういう確信があったからこそああ言ったの。きっと、また同じ状況に立たされたら、私は何度でも同じことをするけど……でも、やっぱり、ずるいなぁ、とも思う」
溜息を吐きだすかのような、その物言いにシェラートは苦笑する。
「だけど、それが最善だった。フィシュアは間違ってない」
フィシュアは少しばかり驚いたように藍の目を見開いた。シェラートの言葉を噛みしめるように一つ頷くと、「ありがとう」と小さく微笑む。
「あああああ、なんだか私、この頃シェラートに愚痴ってばっかりな気がする」
「そうか?」
「そうよ、こないだも愚痴って抱きついたまま寝ちゃってたし。……あの時は悪かったわね」
「それは別にいいが、他の奴には、あれはやらないほうがいいんじゃないか?」
「何? じゃあ、シェラートには抱きついてもいいってこと?」
「まぁ、テトと大して変わらないからな」
「何それ!! ほんっと、シェラートって失礼よね」
ふんっ、と不機嫌そうにそう言ったフィシュアだったが、次の瞬間には少しばかりの好奇心が混じった藍の瞳が再びシェラートを見あげていた。
心なしか、にやにやと笑っているフィシュアに、シェラートはやっぱり似たような表情をしている時のテトを思い描く。
「じゃあ、
「あー……、いるにはいるが、できればもう会いたくない」
嫌なことを思い出し、シェラートは心底疲れた気分になる。微妙な顔をしたシェラートにフィシュアは笑みを増した。
え、何があったの? と、すごく楽しそうな表情を浮かべているフィシュアに、シェラートは呆れの溜息を漏らし、その頭をぽんぽんと叩いた。
「いいから、早く行くぞ」
シェラートは立ち止まったままのフィシュアを残し、先へと歩きだす。背中から聞こえた「けち」という声に、振り返らないままひらひらと手を振った。
「ここが問題の泉ね……」
エリアールに聞いた場所に辿り着いたフィシュアは、泉の入り口で足を止めた。
他の場所から村へ水が引かれている現在、この場所に立ち入る者はほとんどいない。
かつて、村唯一の水場であったその場所には、これでもかというほど青々とした草が生い茂り、二人の行く先をふさいでいた。
ただ、背丈の高い草の間にかすかに道があったように思われるのは、最初の被害者だという村の若者ルモアが通った跡なのだろう。
ルモアが一体何をしにこの場所へやって来たのか、もはや誰も知る術は持たない。
二人は草をかきわけて、泉のある他より開けた空間へ足を踏み入れる。
とたん目の前に広がった——ルモアが生前、小さな女の子に見せようとした光景にフィシュアは息をのんだ。
さやさやと耳に心地よい水音が、辺り一面にこだまする。
泉から漏れ出た清水が地面に沁み渡っているその場所には、話に聞いていたとおり、おびただしいほどの蝶が群れをなしていた。
青緑色をした蝶の翅は、陽の光に当たり、青にも緑にも、時には黄色に光り、輝きを放っている。
まるでここだけ時間の流れが遅くなったかのように、鮮やかな色の翅を持つ蝶がゆったりと辺りをたゆたっていた。
ひらひらと優雅に宙を舞うその様は、例えようのないくらい美しく、ぞっとするほど不気味だった。
「これが、村人を恐怖に陥れた原因……?」
誰に対するでもなく自然と呟かれたフィシュアの問いは、しかし、隣に立つ一人の
「ああ、間違いないな」
「だけど、この蝶は……キックリーレは、ガンジアル地方では珍しくも何ともない蝶よ? それがどうして?」
「それが問題なんだ」
目の前の一種神秘的な光景を見つめながら吐かれたシェラートの断定に、フィシュアは首を傾げた。
「どういうこと?」
「キックリーレは水場を好む。本来の生息地であるガンジアル地方は大河であるぺルソワーム河が流れているし、今は雨期のはずだ。それにも関わらず、キックリーレの群れの一部がここまで移動してきたということは……」
「ガンジアルを流れるぺルソワーム河の水量が大幅に減っていて、雨季であるにもかかわらず極端に雨量が少ないということ」
「そうだ」
「だけど、おかしいわ」
手を顎に当て、フィシュアは訝しげに眉を寄せる。
「皇都からは何も報告を受けていないもの。ぺルソワーム河は皇都にも通っているのよ? だけど、下流に位置する皇都の川の水量が減ったなんて聞いてない。こないだ受け取った手紙にもそんなこと書かれていなかったわ」
「なら、ガンジアル地方でだけ何か異変が起こっているんだろうな」
「それも調べなくちゃいけないってわけね……。ちょうどよかったわ。王都へ帰る途中、どちらにしろ通らなくちゃいけなかったもの。じゃあ、それはひとまず置いておくとして、キックリーレが病に影響しているっていう確信はどこから来るの?」
「麟紛」
そう言いながらシェラートが指した指の先には、優雅に舞う蝶のあとを追うようにキラキラとした光の粒が踊っていた。
「高湿地帯であるガンジアル地方では、湿気で重くなった麟紛が飛散することなく地へと落ちていたから問題がなかったんだろう。だが、このミシュマール地方は——特にこの村がある地域は砂漠地帯と案外近いということもあってか割と乾燥している。つまり、本来なら飛散するはずのないキックリーレの麟紛が飛散しやすい環境になってしまったんだ。しかも運の悪いことに、せっかく人の寄りつかない森の泉に飛来していたキックリーレの元にやって来た者がいた。恐らく、ここへ来たというルモアは、自覚症状が出ていなかったにしろ、その時すでにミフィア病に罹っていたんだろう。そいつが、吸い込んでしまったキックリーレの麟紛が何らかの形で作用して、身体の中で徐々にミフィア病が変質してしまった。そんなこと知るはずもないルモアが村へ帰ることによって、この病を広げたんだ。それが、今回の病の概要と見て、ほぼ間違いない」
「……そう」
不運に不運が重なった結果だろうか。
目の前の光景は、この村で起こった悲劇など微塵も感じさせない。
人知れぬほど森の奥にある静かな泉のほとりでは、たった二人の観客を前に鮮やかな蝶たちが舞いを披露し続けていた。
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