第50話 鎮魂歌【1】

 そして契約は果たされる。


 届けられた薬草はシェラートの力によって、瞬く間にすべて処方薬へと変えられた。

 重篤な症状の者が多かった分、すぐに村人皆が全快したというわけにはいかなかったが、病に冒されていた人々の症状は誰の目から見ても快方へ向かっていた。明らかに状態が変わったのだ。

 フィシュアもその一人で、薬が投与された二日目には熱も下がり咳も止まってしまった。

 ただすっかり調子を取り戻した現在も、「今度こそは絶対安静だ」とシェラートに口煩く念押しされ、今日は一日寝台に縛りつけられている。

 それだけでなく、こっそり寝台から出ようとするたびにやって来て、フィシュアを咎めるのがテトであったため、今回ばかりは抜け出そうにも抜け出せなかった。



「フィシュア、ごはん」

 小さく扉が開き、顔を出したテトが陶器の器を乗せた盆を抱えながら、落とさないようにと慎重に入って来た。

 フィシュアは起きあがると、「ありがとう」と言って盆を受けとった。

 中に入っているのは、秋にたわわに実るライーをとろとろに柔らかくなるまで煮込んだかゆだ。白いライーに消化のよい数種類の薬草が彩りを添えていた。

「熱いから、気をつけて?」

 テトはフィシュアがいる寝台に身体をもたせ傍に寄り添う。

 下から覗き込んでくるテトに頷き、フィシュアは匙でライーをすくった。

 ふぅ、ふぅと息を吹きかけ、口へと運ぶ。

「どう?」

「すごく、おいしいわ」

 フィシュアがそう言うと、テトは「本当?」と嬉しそうな声を出す。

「今日は、僕が作ったんだ! エリアールおばあちゃんにちょっと手伝ってもらってもらったけど。僕が風邪ひいた時は、いつもお母さんがこのライーのおかゆを作ってくれたの」

「そうなの。本当においしいわ」

 掛布に両手を置き、嬉しそうに自分を見上げてくるテトの栗色の髪を、フィシュアはなでる。ふわりと上気したテトの頬に、フィシュアはあたたかな安堵を感じた。

 気持ちよさそうに目を細めるテトに声をかける。

「テト、本当によく頑張ったわね。偉かったわ」

「……うん。だけど、ごめんね、フィシュア。僕……」

 テトはその先を続けられず、口をつぐんだ。

 テトは知っているのだ。

 自分が閉じこもっている間に失われてしまった命がいくつもあるということを。

 そして、テトの母と同じように、それらを取り戻せすことは二度とできないということを。

 誰が告げたわけでもない。けれど、エルーカ村で生まれ育ったテトは村のことをよく知っていたし、聡かった。

 そのことに気付いたテトは後悔し、自分のことを責めている。

 テトは命の重さを知っている。

 フィシュアは優しく頷いた。

「いいのよ。テトはちゃんと役目を果たしたわ。あなたのおかげで助かった命があることを忘れないで。あなたがいなければ、あなたがシェラートを連れて来なければ、今ここにいる人たちは誰一人として笑っていなかったわ。私も含めて、みんなを救ったのは間違いなくあなたよ、テト」

 フィシュアは「おいで」とテトを手招きする。戸惑って固まってしまったテトに、自ら両手を伸ばし抱きしめた。

 誰がこの少年を責めることができるだろう。

 彼はたった一人で堪えてきたのだ。

 恐怖と闘ってきた。

 それでも、誰一人しようとしなかったことをした。

 皆が諦める中、彼一人が諦めなかった。

 だからこそ、常人では見つけることすら難しい魔人ジンの心を動かした。

 まだこんなにも幼く小さな少年は、魔人ジンを連れて、その願いを叶えるため遠い道のりを旅し、故郷の村へと辿り着いたのだ。

 自分の願いを叶えることのできなかった少年は、小さな身体で絶望を乗り越え、代わりに周りの人々に希望を与えた。

 失われるはずの命を救ったのは、たった一人の少年だった。

「テトは本当に、よくやったわ」

 フィシュアはテトを抱きしめる。

 今は亡き彼の母の代わりに。

 そっと、そっと、テトを包み込んだ。

「テト、全部終わったら、お母様のお墓へ行きましょうね。うんと綺麗な花を捧げて、いっぱい褒めてもらいましょう」

 テトは、フィシュアの胸に顔を埋めたまま、ぎゅっと彼女の服を掴んだ。

 フィシュアは柔らかな栗毛の髪に、頬を寄せる。

 腕の中でテトが微かに頷いたのを、フィシュアは確かに感じた。




 篝火が燃える。

 赤々と。

 消えていった命の美しさを、尊さを、そして儚さを表すかのように、それは神々しく輝いた。

 弔いの火は空高く立ちあがり、ゆらゆらとした煙は星明かりの下、ゆっくりと藍色の空へと吸い込まれていった。


あなたに感謝の言葉を

瞬く星の下で歌う

遠いあなたへ届くようにと


その瞳 見えなくとも

その輝きは変わらないから

その記憶 色あせようとも

貰ったモノは変わらないから


あなたに感謝の言葉を

瞬く星の下で歌う

この篝火に願いを乗せて



 凛と響き渡る歌が残した余韻を胸に、集まった人々は思い思いに篝火に花を手向けた。

 この日、鎮魂歌と共に、山間にある小さな村を襲った悪夢が、ようやく終わりを告げようとしていた。



「変わったこと?」

 翌日、広場に集められた村の人々は、フィシュアの問いかけに対し、皆一様に首を傾げた。

「何かあるはずなんです。どんなに小さなことでもいい。何か思い当たることはありませんか?」

「そうはいってもねぇ……」

 シェラートが言うには、この病はミフィラ病が変質したもので、各地に広がっていないのなら、原因は必ずこの村近くにあるはずだった。

 きっと見落としている何かがあるはずだ。

「何か、いつもと違って今年だけ起こったことってありませんか? 例えば、例年は見かけることのない渡り鳥がやって来たとか」

「渡り鳥ねぇ……」

 村人たちは、互いに顔を見あわせる。

 相変わらず、村人には心当たりがないように思われた。だが、その中に一人だけ、「そういえば」と口を開いた者がいた。

「何? ルネシィ。何か思い出した?」

 フィシュアに問われた少女——ルネシィに集った皆の注目が一気に集まる。

 ルネシィは慌てて、一緒にいた母の後ろに隠れた。

「や、やっぱり違うかも」

「いいの。大丈夫よ。違っていても、違うとはっきり判断できれば、それはそれで原因を探す大きな手がかりになるもの」

「本当?」

「ええ。だから、教えてくれる?」

 促され、ルネシィは頷く。

 自分を一身に見つめる大人たちに緊張しながらも、ルネシィはためらいがちにその口を再び開いた。

「あのね、ルモアが言ってたの。森の泉に見たこともない、すっごく綺麗な“ちょうちょ”がたくさんいたんだって。今度連れて行ってあげるから、みんなにはまだ内緒だよって」

 言い終えた途端、悲しそうな顔をして口を閉じたルネシィに、フィシュアは隣にいたエリアールへと目を向けた。

「“ルモア”というのは、初めにこの病にかかって倒れた若者の名です。ルモアはルネシィのことを本当に可愛がっていて、すごく仲がよかったのです。心根の優しい、とてもよい子でした」

「そう……。シェラート、これに病の原因がある可能性はある?」

「まだ行ってみないとわからないが、考えられないことではない」

「そうね」

 フィシュアは首肯すると、ルネシィに笑みを向けた。

「ルネシィ。教えてくれて、ありがとう」



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