第34話 宵闇の姫【8】

 先に踏み込んだのはフィシュアだった。相手の懐に入り込み、宝剣を横に払う。

 手応えはなかった。空を切る音が虚しく響く。

「おっと、危ね」

 言葉とは裏原に難なく切っ先を避けた強盗の頭は、空瓶をカウンターから後ろ手に掴むと迫るフィシュアに投げつけた。

 フィシュアは屈み様に瓶を避け、そのまま相手の脛を狙い、脚で払う。飛び退けたものの、体勢を崩した男に向かって、フィシュアは宝剣を振りかざした。

 振り落ちてくる剣を、頭領が自分の長剣で弾く。

 弾いた勢いのまま襲いかかってきた長剣を、フィシュアは短剣の柄で防いだ。

 確かに男自身が言った通り、剣の技術は決して上ではない。だが力に任せた粗雑な剣は乱暴であると同時に確かに威力があった。

 力で押し切られそうになったフィシュアは体勢を立て直すため、剣を解いて、後方へ飛びのく。

 相手はそれを許さなかった。

 フィシュアが退いた分だけ、男が踏み込んでくる。呼気がかかるほど顔を寄せた彼は、にやりと笑った。

「やっぱ、俺が思ったとおり。なかなかやるなぁ。布一切れ分でもこれが止められるなら上出来だ」

 彼の言う通りフィシュアの腹へ目がけて繰り出された剣の切っ先は、布一枚、寸での所で宝剣の刃で防いだにすぎなかった。数秒反応が遅れていたら、腹は割かれ、鮮血がその布地を染めていたことだろうことは誰の目にも明らかだ。

「これで、俺との力の差がわかったろう?」

「ねぇ、そこは私ごときに止められたあなたの技量が低いってことにならないの?」

 相変わらずおどけた調子で尋ねてくる強盗の男に対して、フィシュアも挑むように言い返す。

 口調のわりに静謐さを湛えた深い藍の双眸に、強盗団の頭は満足そうに笑いながら、フィシュアから離れた。

「いいねぇ、その目。俺のあほうな部下たちと違って挑発にものってこないし。いつでも冷静に判断できる奴は好きだぞ?」

「それはどうも」

「あんたをここで殺しちまうのも惜しいなぁ……あぁ、そうだ、歌姫さん。いっそ俺の部下にならないか?」

「断る。私が頭領なら考えてやらなくはないけど?」

「うううん。それは、ちいと困るんだよだなぁ」

 交渉決裂か、と男は肩を竦めてみせる。ひたりと長剣の先をフィシュアの鼻先へ向けた男は、だが、急に首を捻った。

「なぁ、やっぱ、これだと明らかに俺が有利だよな? ハンデくらいつけておくか?」

 頭領の言葉に嘲笑の響きはない。ただ、純粋に自分の剣とフィシュアの剣の長さを見比べていた。彼の意図するところに気付いてフィシュアは嘆息する。

「気づかいはありがたいけど、その必要はないわ。確かにこの宝剣は短剣と言ってもいい長さだけど、私にはこれが使いやすいし、この宝剣を使うことでこちらが不利になるとは思わない。万が一あなたに負けたとしても不平なんていわないから安心して」

「でも、歌姫さん。このまま、ちょっと突いたら死んじまうぞ。いいのか?」

「そんなに気になるのなら、さっさと投降してくれない?」

「いやぁ、そっち方面はなしだな」

「なら、さっさと終わらせましょうよ。大丈夫、こっちもやり方を変えるから」

「へぇ、そりゃあ楽しみだ」

 にやりと頭領が口の端を上げる。瞬間、投擲された短剣がフィシュアの左側をすぎさった。二の腕に一筋、赤い線が走り血が滲む。

「どうして避けない」

「飛んで来る短剣の方にばかり気を取られていたら反応が遅れる。踏み込まれたら力じゃ押し負けるのはもうわかった」

「ふぅん。いやぁ、けどこっちとしては避けてくれないと。歌姫さんの柔肌を傷つけるのっては結構抵抗あるだがなぁ」

「この程度、構わないわよ。あなたたちみたいなのが多いせいで、そんなに綺麗なほうじゃないし」

「いやいや、確かに日に焼けちゃいるが、若いんだし綺麗だろう? 大体、あんた傷つけたらあの辺とか怒り狂うんじゃないか?」

 ほらほら、と頭領は、テトとシェラートを顎で示す。「あっちの兄ちゃんとかどうよ」といきなり引き合いに出されたシェラートは、暴れるテトが駆け寄らないようはがいじめにしたまま迷惑そうに眉を寄せた。

 え、とフィシュアは声をあげる。

「ありえないわよ。テトなら怒ってくれるけど。シェラートにとってはどうでもいいことなんじゃない? テトさえ無事なら」

 よほど衝撃的だったらしい。何を言っているんだ、と一瞬素面になったフィシュアに笑いをこらえつつ、頭領はどうやら勘違いしていたことに気づいた。

「なぁんだよ、楽しくねぇなぁ。あんたに傷がついて怒り狂う男もいないのかよ」

「だから! ほら! テトが、怒ってくれているでしょう!?」

「いや、ガキンチョじゃねぇか」

 そこまで数に入れて虚しくならねぇの、と言われフィシュアは無性に腹がたった。

「いるわよ、ちゃんと。この場に来てなくてよかったわね。もし彼がいたら、あなたなんてとっくに死んでいるわよ?」

 嘘はついてない、とフィシュアは心の内でうなずいた。

 穏やかな顔をした焦げ茶の髪に薄い空色の瞳をもつ武人が脳裏に浮かぶ。フィシュアに危害が及んだとしれた瞬間、ロシュなら相手を抹殺してくれるだろう。

 問題はその怒りが自分にまで及びそうだということだ。

 こんこんと説教を受ける自分の姿まで浮かんでしまい、フィシュアはあやうく虚無感にとらわれそうになる。

「だいたい気にしてくれるくらいなら、むだに傷を増やさないでよ。私だって怪我したいわけじゃないの。おとなしく捕まってくれない?」

「いや、だから捕まりたくねぇんだって」

 言いながら頭は右手で握り直した長剣を力任せにつきだした。

 フィシュアは身を捩る。だが避けきるには少し遅く、先程と反対の腕に裂傷が走った。剣先を避けた反動のままフィシュアは男の後ろにまわり込み、指先で男の背に触れる。

 途端、強盗の頭の左手から短剣が二本、音を立て床へ転げ落ちた。突如、走った手のしびれに彼は驚愕を隠せず、自分の左手を見る。

 フィシュアは微笑んだ。

「あなたの短剣、ちょっと厄介だから」

「どうやった?」

 問いには答えず、フィシュアは腕を伸ばす。舌打ちをした男は、伸びくる彼女の指先を剣で払った。

 剣先がかすったフィシュアの掌からは血が滲み出る。

 代わりに、男は左足の踏ん張りが効かなくなった。

「もしかして、ツボか?」

「正解」

 笑みを深めたフィシュアにおののき、男は一歩下がった。

 間隔を広げ、間合いを図る。長剣の長さを考えれば、まだ彼に利があるのは明らかだ。

 だが対するフィシュアは、多少の傷がつくことなど厭わず手を伸ばしてくる。

 指先が、ほんの少し触れるだけで、身体のどこかしらが痺れ、力が抜けていく。

 伸ばされる手だけに気を配っていたら、すかさず宝剣で叩き込んでくる。

 なかなか、厄介だった。

 傷が増えても、相手は意に介さないのか、痛みに表情を歪めることすらない。うすらと汗ばんでいるだけの相手の攻撃の手は緩む気配がなかった。

「あんた化けもんか」

 男が呼吸を整えるべく息をついた瞬間、歌姫は間合いを詰め剣を叩き込んで来た。

 男は相手の剣を弾き、なかば力任せに剣を振るった。

 切っ先がフィシュアの肌を裂いたが、今度も肉が切れるまでには及ばない。そのまま体を翻すと男の背へとまわりこみ、宝剣の鞘先で二か所、これまでになく強く押し突かれる。

 男が、やばいと思った瞬間にはもう遅かった。

 膝の力が抜け、顔から床へ崩れ落ちる。

 長剣を持っていた手も痺れて、もはや使い物にならない。

 倒れた男の首筋にひんやりとしたものが当たる。

 見上げると、そこにはラピスラズリの首飾りを証として持つ宵の歌姫。

 額に球のような汗が染み出ている。

 肌には少ないとは言えない切り傷。滲み出る赤い血で、絹のような輝きをもつ琥珀めいた茶の髪が張りついている。

 どこか気品さを持ちあわせた深い藍の目の持ち主。

 荒く息を継ぎながらも、口の端を上げてにやりと微笑む仕草まで優雅であった。

「私の勝ちね」

 宝剣を喉元に突きつけられたまま、頭領はにやりと満足そうな顔をした。

「いや、俺の勝ちらしい。歌姫さん、あんたが化け物でない限りな」

 男の言った意味が理解できず、フィシュアは首を傾げる。

 途端、フィシュアを強い眩暈が襲った。

 視界がひどく歪み、暗転しそうになった。

 倒れそうな体を必死に抑え、かろうじて立つ。震えだした身体を抑えて、追い詰めたばかりの男を逃さないよう睨みつける。

 強盗団の頭は、酷薄そうな笑みを浮かべた。

 先ほどから感じていた小さな眩暈。噴き出る汗。

 久しぶりに激しく立ち回ったからだと思っていたが、これは。

「毒?」

「正解」

 どうやら相手の刃先に仕込まれていたらしい、と理解する。

 浅いが身体につけられた裂傷。そこから毒はフィシュアの体を確実にむしばんでいた。

 フィシュアがちっと舌打ちを鳴らす。

 そんな彼女を男は嬉しそうに見あげていた。

「言っただろう? 俺は甘くないって」

 薄れゆく意識の中、フィシュアは目の前の男に反撃を試みようと笑った。

「だけど、あなたも動けないはず。牢屋行きは決定ね」

「まぁな。でも、豚小屋へ行こうが何しようが、所詮生き残った方が勝ちなのさ」

 男は言い放つ。

 ぎり、と歯噛みしたフィシュアは、震える視界の中、倒れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る