第22話 夜伽話【5】

 弧を描き矢は一斉に向かってきた。

 サーシャは腕を伸ばし、指先で魔法を弾く。

 にも関わらず、弾け散るはずだった矢は、少しも揺るがず向かってきた。瞬間、魔法が使えない事実を思い出し、サーシャは舌打ちする。

「こんな時にふざけるから!」

「いや、ふざけるだけなら、こんな手の込んだもの用意しないだろ」

「いいから早く、この網をはずして!」

 飄々ひょうひょうとした態度のガジェンの襟首を引きつかんで、サーシャは必死にもがく。

 ガジェンはサーシャの要望に答える代わりに、彼女を頭ごと抱え込んだ。

 遮られた視界のすぐ側で、キンッと金属が鳴り、矢を跳ね返す音がする。甲板に次々と矢が突き刺さる音が、怒号が聞こえてくる。その一つ一つにサーシャは戦慄した。

 サーシャは、ガジェンの身体を押し戻す。

「バカか! 今出たら、矢が当たるだろうが!」

「バカはそっち! 今はそんなこと言ってる場合じゃない! 少しぐらい当たったってどうってことないでしょう!?」

「だから、俺が嫌なんだって!」

 怒鳴り返して、ガジェンは飛んでくる矢を次々と剣で薙ぎ払った。

 他の海賊たちも自分の方へ飛んで来ない矢はすべて無視し、その代わり自分のところへ飛んできたものだけはすべて打ち落としている。

「すごい」

 思わず零れたサーシャ感嘆に、カーマイル国王の船団を見据えたままガジェンがにやりと笑った。

「俺たちがすごいってこと聞いてなかったのか? 歯が立たなかったからサーシャのところに行ったんだろう、あいつら」

 そうだった。最初、自分がこの海賊たちと出会うこととなったきっかけを思い出し、サーシャは不適に笑うガジェンの横顔を見据えた。

 そう、彼らは国が魔女に依頼をするほど、厄介で強いのだ。

「俺たちにとってみれば、大した敵じゃない。そうだろう、お前ら?」

 ガジェンの問いかけに、四方から快活な雄叫びがあがる。ガジェンは部下の一人に頷き返すと、サーシャに声をかけた。

「だから心配するなって」

 ガジェンがサーシャの頭にぽんと掌を置く。

 サーシャは眉をしかめて目の前の男を見あげた。

 ガジェンたちが以前、国王の軍に勝利したことは知っている。

 だが、だからこそ、ガジェンの言葉を鵜呑みにして楽観視などできなかった。

 国軍が動いているのだ。国の威信にかけ、そう何度も失態を犯すわけにはいかない。それなりに対策が練られているはず。

 以前の戦いを見たわけではないが、国王自ら船を率いて出向いているほどだ。今回の軍勢はこれまでの比ではないだろう。

 明らかに、こちらの分が悪かった。降り続ける矢は、途絶える気配がない。勝負がつくのも時間の問題だ。

 ガジェンがそのことに気付いていないはずがなかった。威勢こそいいが、皆の疲労も目に見えて増してきている。矢に反応する速度も、矢を剣で叩き落とす正確さも、徐々に落ちているのが何よりの証拠だ。

 だからこそ今、相手に悟られないようわずかずつ、船を後退させているのだ。

 ガジェンが部下に撤退を指示したことに、サーシャが気付かないはずもない。

 それでも、魔力を遮断するラピスラズリの網に捕らわれたままでは何もできない。サーシは唇を噛んだ。

「おいっ!」

 ガジェンは怒声を飛ばす。振り返り様、頭の声の意味するところに気付いた年若の部下が迫り来る矢におののき目を見開く。ガジェンは、彼の腕を掴んで、引き倒した。

 人一人倒れこんできた衝撃に、抱え込まれていたサーシャも、したたかに肘を打つ。思わず瞑っていたらしい目をそろりと開いたその先、耳元でくぐもった呻き声が聞こえ、サーシャは顔をあげた。

「――っ!」

 覆い被さるガジェンの右肩に一本の矢が刺さっている。半身を起こしながら「悪い、重かったな」と軽い口調で言ったガジェンの言葉が耳の奥で不自然に反響した。

「お頭!」

 助けられた年若の部下が叫び、こちらの様子に気付いた仲間らが目を向けてくる。それをガジェンが怒鳴りつけた。

「いいから、自分と船を守れ!」

 その言葉に部下たちは再び前を向く。

 ガジェンも何事もなかったように、次の矢を払った。

「ガジェン!」

 悲痛の叫びをあげたサーシャに、ガジェンは場にそぐわぬ顔で笑う。

「なんだ。はじめて俺の名前を呼んだな。この襲撃にも感謝するところがあったか」

「ガジェン! 早く私の網を取れ!」

「断る」

 嬉しそうな顔をしながらと頑として譲ろうとしないガジェンは、次の瞬間、サーシャに覆いかぶさった。

「……ガジェン?」

 怖々とサーシャは男の名を呼ぶ。両腕で頭から抱きかかえられ、ほとんどが覆い隠された視界の端。それでも、男の腰の辺りに新たな矢が刺さっているのを見て、サーシャは凍りついた。

 ガジェンはかばったのだ。飛んできた矢からサーシャを。

 剣で払うには遅いと気づいて、自分を盾にしてまで、サーシャを守った。

「大丈夫か?」

 微笑んで問いかけてくる男に、サーシャはエメラルドの瞳を見開く。しらず身体が震えた。

 腰に刺さっている矢の傷は深い。初めに受けた傷よりも。

 それなのに、彼は自身を差し置いて、サーシャの心配をした。

「ガジェン、網を外して」

「……嫌だと言った」

 なおも渋るガジェンを、サーシャは睨みつける。

「いいかげんにして。私も私の代わりにガジェンが傷つくのは嫌。私は、ガジェンもみんなも守りたい!」

 サーシャの真剣な訴えに、ガジェンは目をみはる。

「――ったく、俺に守らせろよな」

「ねぇ。私を誰だと思っているの?」

 ガジェンは、一度彼女をきつく抱きしめて「だよなぁ」と、小さく笑う。

 諦めの息を吐き出して、ガジェンは短剣を再び掴むと、今度こそ、ためらいはせず網を切り、魔女を解き放った。


 サーシャが指を弾いたとたん、飛んでいた矢が、ざっと一斉に落下する。

 長い黒髪を波のようにたなびかせ、静かに空中に立った魔女にその場にいる誰もが息を呑んだ。

 低く、怒りを孕んだ声が国王とその軍へ向けられる。

「今すぐ、ここから立ち去れ。海賊たちを追い払うのは私に託された仕事のはず。邪魔することは許さない」

「しかし!」

 口を開いた国王は、魔女を前に口をつぐんだ。

「何?」

 魔女は国王へと問いかける。首を傾いだ魔女のエメラルドの双眸は、陽光を受け、冷え冷えと澄んでいた。

 彼女の黒髪を掬いあげるように風が流れる。風に煽られた波が、国王の軍船団を大きく揺らした。たった一度きり。だが、あまりにも異質な揺れ方に、船上にいる誰もが振り落とされぬよう甲板にしがみつくことしかできなかった。

 なぜ、何が起こったのかは、誰の目にも明らかだ。

 顔色を失った国王はすぐさま退去命令を出す。

 全ての船が港へと帰っていく。

 それを見届け、魔女は急いで甲板の上へ降り立った。


「ガジェン!」


 心配そうに駆け寄ってくるサーシャを見ながら、ガジェンは肩を落とした。

「あぁ〜、ほんっと情けないなぁ、俺」

 呟いたガジェンの周りで、部下たちがドッと笑う。

 甲板に寝そべるガジェンをサーシャは上から覗き込んだ。

「大丈夫?」

「あぁ、大丈夫だ」

 答えつつも、部下に支えられて起きあがろうとしたガジェンは痛みに顔を歪める。

「ごめんなさい。私、医療系の魔法は苦手なの」

 泣きそうな顔をして、自分を見つめるサーシャを引っぱりよせ、ガジェンは彼女の瞼に口づけを落とす。

 とたん真っ赤になった魔女を見て、彼はケタケタと笑う。

「ま、こんなことするくらいには元気だから安心しろ」

「なっ!」

 わなわなと震えだしたサーシャは、きつく握りしめていた拳をそのまま振りかざす。

 勢いのまま、ガジェンに殴りかかろうとしたサーシャは、さすがに怪我人だからやめてくれ、と他の海賊たちから必死に懇願されることとなった。



季節風ナディールか……」

 髪を揺らす、強く冷たい風にガジェンが呟く。

 すぐ近く、手元に届くサーシャの艶やかな黒髪を、ガジェンは風に逆らうように引っ張り、ゆすった。

「――で、どうする? このまま俺と一緒に来るのか?」

 ガジェンの言葉に、サーシャはかぶりを振った。

「やっぱり、まだ行けない。私は東の魔女だから。まだ、ここでやらなければいけないことがある」

 ガジェンは「そうか」とだけ呟いた。

 日に焼けたガジェンの頬に、サーシャが指先で触れる。「また来年」と寂しそうな微笑を残して、彼女はその場から姿を消した。

「また、な?」

 ガジェンは美しい魔女が消えた空を仰ぎ見る。海風が渡り行く、まばゆい青空に向かって、ガジェンは晴れ晴れと笑った。



 けれども、ガジェンが、この海賊たちが、再びカーマイル王国の港へ現れることは、もう二度となかった。

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