瞬く間に過ぎゆく、秋田の秋。
その刹那を巧みな筆致で捉え、文章でありながらまるで絵画のごとく色鮮やかに描いた作品が、この「秋は短し」です。
本作において私が何よりも素晴らしいと感じたのはやはり、秋という季節を表現するその圧倒的な描写力に他なりません。どこまでも緻密で明媚なこの物語の文章を読んでいると、秋田県立美術館のガラス窓を通したオレンジ色の情景が今まさに、自分の目にありありと浮かぶようでした。
本コンテストを通じて、私が最も「作中の舞台に足を運んでみたい」と感じたのも、迷う事なくこちらの作品です。
わずか2,349文字の物語でありながら、言葉を超えた美しさにより味わう事のできる、爽快な読後感。いえ、むしろこの小説は、刹那を描いたとても短いお話であるからこそ、そのラストシーンの力強さが一層濃密で、心動かされるものとなっているのでしょう。
秋は短し。ゆえに貴く、美しい。この一瞬の物語をぜひ、皆様もお見逃しなく。
(「ご当地短編小説」4選/文=あをにまる)
四季というものがある。
日本人にとっては当たり前のそれも、世界という観点から見れば普遍的なものとまでは言い難い。一年中、強い日光が降り注ぐ国もあれば、氷と雪が世界を閉ざす国もある。
この物語は日本の中でありながら、四季の一つ、秋が短いと言われている秋田が舞台となっている。
主人公は、秋田の四季を描いたという絵画『秋田の行事』を見るために足しげく美術館に通う。
そこで出会う学芸員の絵画の説明を聞くことを日課としていた。
ある日、学芸員は実家の母の看病のために美術館をやめ、国に帰ると言う。
彼が去る最後の日、秋田は珍しい「秋の日」を迎える……。
時の流れは止まらない。
時間を止めて、とどれだけの人が願っても、時の氏神が首を縦に振ることはない。
春が来て、夏が去り、秋を迎え、冬を耐え、そして、また春……。
時は決して止まらない。
だからこそ、人間は有限の時を限り無く無限のものに近付けることを願う。
有限を無限に等しくするものは充実であると私は思う。
充実は時を厚みをいくらにでも増してくれる。
だから、人は充実を求める。
充実の内容は人によって違う。
孤高にそれをつかみとる者もいれば、人との関係の中にそれを見出だす者もいる。
この物語の主人公は自分にとって大切な何かに物語の最後に気が付く。
そして、それを求めて走り出す。
物語はここで終わるが、この先には無限に等しい有限があるのではないか。そんな未来を想像させる作品だ。
皆様の限りある時間を使ってでも、一読すべき作品の一つであると思います。