第4話
4-1
あれからというもの、私たちは互いに会うということを避けているようだった。
“ようだ”という憶測は、彼女の方で……。
私は会って話がしたい。そう思ってはいるのだが、会わなくなってから一週を跨いだ。
内心引きずっているようで、私もどんな顔をして会えばいいのか、正直なところ分からないでいる。しかしこのまま疎遠になるのだけは避けたい。
店は開けてはいるようだし、会いに行けばいいのだろうが……。
用がある時は必ずと言っていいほど通る道なのに、セリーヌの姿を確認することもなく、私は文字通りの「素通り」をしてしまう。
そんな胸の内の不安と焦燥、もどかしい状況に多少の苛立ちを感じながらも、私はいつものように午前の操演終わりに、行き付けの喫茶店で昼食を摂っていた。
モノクロで統一されたシックな店内のカウンター席。
ガラスのコップを丁寧に磨く顔馴染みのマスターの隣では、その娘であるこの店の看板娘、コゼットが料理を作ってくれていた。
「いつもありがとうな、クリストファー君」
光にグラスを透かしながら言うのは、マスターのエドガーだ。
年を経て色素の抜けた白い髪と髭が印象的な、小太りの男性。
「いいんですよ、礼なんて。私が来たいから来てるだけですし」
彼が言いたいのは、「こんな辺鄙なところまで」という意味だ。
ここ、喫茶店「ブリオッシュバンズ」は、東の小都市フォルクスにある。
建造途中の街の中、ランドマークである教会の尖塔をさらに北へ進み、入り組んだ路地のアーチトンネルをくぐること七回。
周囲は粗方整い街としての外観を呈してはいるものの、未だに鉄骨むき出しの建設途中のアパートがあったり、足場が組まれていたりする場所に店が建っている。
そのせいか、あまり人が立ち寄らない。周辺に住んでいる者がいないわけではないし、まったく人が入らないわけではないのだが、如何せん立地条件が悪すぎるだろう。
ゆえに私は、この店の希少な客の一人というわけだ。
ぐるりと狭い店内を見渡す。私のほかに客は二人だけだった。
「最近どうです? 以前よりは入るようになりましたか?」
次のグラスを手にして磨きにかかろうとしていたマスターへ、私はそれとなく訊ねた。
「昼はぼちぼちだなー」
唇を歪めて渋面を浮かべ、彼は小さく首を振った。
「昼は?」
「ああ。最近、夜の方も始めてね」
「というと……?」
「バーだよ、バー」
言われて気付いたが、カウンター奥に酒のボトルがいくつも見て取れた。
昼だけでは店が立ち行かなくなるために、夜の方も店を開けることにしたのだろう。
店内は白と黒の情景が、昼にも係わらずそれの雰囲気を醸し出している。よって不思議と違和感は感じられないだろう。
なるほど、と頷き返すと、調理を終えた料理をプレートに乗せ終えたコゼットが、こちらへそれを差し出しながら言った。
「お待たせしましたー、バンズスペシャルでーす。クリストファーさんの大好きな、当店自慢のハンバーグもプラスして置きましたよー」
語尾に音符でも付いていそうなほどの上機嫌な声。
受け取ったプレートには、小さなオムライス、スパゲティのボロネーゼ、サラダにハンバーグが山のように盛り付けられていた。
この店で毎度注文する、云わば「いつものやつ」だ。
「ありがとう、感謝するよ」
「お代はちゃーんと頂きますけどね」
……やっぱり? 内心思う。
相変わらずそういうところはちゃっかりしている女の子だ。舌を出して笑う姿は、さすが看板娘なだけあって様になっている。
まるで使用人のようなエプロンドレスに似た制服は、彼女の明るい栗色の髪にとてもよく似合っており、溌剌とした性格からか客受けもいい。
彼女目当ての客もいるとかいないとか。マスターが以前、娘を心配していたのを思い出した。
そういえば、と一拍おき、
「いつもの彼女はどうした?」と思い出したようにマスターは急に訊ねてくる。
フォークに巻きつけたスパゲティは、口に入ることなく解けた。
静かに手を下ろし、銀のプレート皿に視線を落としたまま、「それが……」と我ながら情けないトーンで返事する。
するとそんな様子を見かねたのか、コゼットは隣に立つ父の脇腹に鋭く肘を入れると、
「さあ、冷めちゃいますから早く食べてください」
と急かすようにジェスチャーした。
「おおぅ」と苦悶の表情を浮かべたマスターは、脇腹を押さえ涙目で娘を見やると、「なぜ?」といった顔をして呻きながら撃沈。
それを尻目に、コゼットはウィンクして食事を続けるよう促した。
彼女のフォローに感謝しつつも、エドガーの一言で思考の方位磁針は否応なくセリーヌに向かう。
会わなくなって数日。……十日も経っていないのだ。
それなのに、たった数日のことなのに、心には確かな空隙が生まれていた。公演を終えても、手ごたえのある充実を感じなくなってきた。ドールの手入れをしていても、満たされ切らない心を自覚している。
彼女と会えない、ただそんなことが、こんなにも私の心を掻き乱し沈ませる。
考えれば考えるほど、食事が手につかなくなるが、せっかくの料理だ。冷めてはまずいだろう。
霞む思考を無理やり払拭し、ただ一時、食事をするためだけに頭の中をクリアにした。
やがて食事を終えた私は、エドガーとコゼットに礼を言い、代金を払い終えると次の劇場へと赴いた。
馬車を走らせながらふと過ぎったさっきの言葉。コゼットの声だ。
「クリストファーさんが支えないで、誰が支えるんですか。避けてないで、ちゃんと話したほうがいいですよ?」
店を出る時、さりげなくそう囁かれた。
私が食事を終えてからマスターが休憩に入り、その際になにがあったのかとコゼットに問われたのだ。
スランプだった頃も、そうして親身になって話を聞いてくれた。貴重な休み時間を削ってまで、相談に乗ってくれるのだ。私にとっては、五つ違いの大切な妹のような存在。事の核心までは伝えていないが、おおよそのことを話し、返ってきた答えがそれだった。
確かに避ける必要はどこにもない。少し気まずいが、いつも通りに振舞える自身はある。
だが彼女はどうだろう。
別れ際に放ったさよならの言葉。朧気で儚げなその姿、響きは今も耳に残る。
……いや、選択を彼女に委ねるのは、男としてずるいな。
コゼットが言ったとおり、なにがあってもセリーヌは私が支えよう。そのくらいの甲斐性は持ち合わせているはずだ――。
腹が決まれば気持ちは楽になるもので、憂鬱だった気分は雨上がりの空のように澄み渡っていた。
「さあ、午後の公演も気合を入れないとな」
今日は朝と夕の二回公演の日だ。
そんな日には、昼食を摂りに、ふらりとブリオッシュバンズへと立ち寄るのだった。
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