第10話 雅歌

 気がつくと渚は、地平線まで続く花畑の中に立っていた。どこから、どうやって来たのか思い出せない。あたり一面、ピンク色のカーネーションに包まれている。


「また、記憶喪失……かな」


 彼女はそうつぶやきながら、寂しげに笑った。何気なく辺りを見回すと、左手に小高い丘が見えた。その上には一本のイトスギが立っている。彼女は、その樹の下に、どこか懐かしい人影を見た。人影に向かってゆっくりと歩き出す。そして、彼女の疑いは徐々に確信に変わっていく。

 渚はいつしか、その人影目がけて全力で走っていた。


 人影が次第に鮮明になっていく。背の高い少年が、こちらに背を向けて立っている。その後姿を、彼女は確かに見たことがあった。


「トオル!!」


 彼女が大声で呼びかけると、少年はこちらを振り向いた。それは、紛れもないトオルの顔だった。全速力で彼に駆け寄り、その胸に飛び込む。そして、力いっぱいその体を抱きしめた。

 トオルは一瞬驚いたようだったが、すぐに彼女を抱きしめ返す。そして、ほっとしたようにこう言った。


「よかった。いなくなったかと思った」


 優しく自分の頭を撫でるトオルに、渚が答える。


「ごめんね……ずっと探してたんだよね? ありがとう」


 トオルは、そっと彼女の髪にキスをした。渚の口から、こんな言葉が漏れる。


「……あなたの強さが、私は好きだった。あなたの言葉で、私は生きられた」

「ありがとう」


 トオルが、渚の唇にキスをする。その懐かしさに、渚の目から涙が流れる。二人が唇を離すと、風が吹き、あたりはカーネーションの匂いで包まれた。



 その時、どこからか聞き覚えのある声がした。


「ナギサ? お墓着いたよ」



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Laŭdinda Genezo~称賛すべき創世記~ k.TAMAYAN @kentamaya

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