第6話 東方の三賢者

 六月に入り、春香と薫の同居が始まった。薫は近くの飲食店でアルバイトを始め、平日は二人共忙しくしていた。薫には個室が一つ与えられたが、寝るときはしばらく春香と一緒が良いとのことだった。仕事の関係上、二人が揃うのは朝と夜だけだったが、食事はなるべく一緒に食べている。


 そんな生活が二週間も続くと、二人はずいぶん仲良くなっていた。音楽の趣味が合うので、毎晩お互いの好きな曲を聴きながらとりとめのない話をする。薫はバイト先でもそれなりに馴染んでいるらしく、早くも気の合う同僚を見つけたようだ。利彦や洋子とも打ち解け、週末には春香の部屋か、利彦の部屋で集まっていた。

 


 そんなある日、薫は春香たちのバンド練習を見学することになった。久しぶりの練習なので、春香はわざわざスタジオで個人練習を積んでから挑むことにした。バンド名は「マギ」といい、三人が好きなアニメに出てくるコンピューターから取られている。本来は聖書に出てくる「東方の三賢者」を指す用語だ。薫はこのバンド名に反応した。


「マギってなんかいいね。ちょうど三人だし」

「でしょ? まあ、私たちは聖書とかどうでもよくて、エヴァが好きだからつけたんだけど」

「エヴァ?」

「そういうアニメがあるの。『新世紀エヴァンゲリオン』。聖書由来の用語がいっぱい出てくるから、その辺は薫の方が楽しめるかも」

「へー。どういうアニメ?」


 春香はどう説明しようか悩んだ。


「うーん……。SF系で、巨大な人型兵器で未知の敵と戦うの。でも、監督が途中で病んじゃって、変な終わり方するんだけどね」

「ちょっと気になるかも」

「ほんと? でも、グロかったりエロかったりエグかったりして結構過激だよ?」

「あー……じゃあ、やめとこうかな」


 薫は未だに流血シーンやベッドシーンが苦手だった。そのため、対象年齢が高い映像作品はあまり見たがらない。おそらく、慣れていないのだろう。彼女にどんな作品を勧めていいのかは、結構悩ましいところだ。



 練習当日は夕方にスタジオを二時間取り、終了後に全員で夕飯を食べに行くことにした。機材の関係上、このバンドは準備に時間がかかるのでライブはほとんどしない。人に演奏を見せること自体、相当久しぶりだ。利彦の車で移動している段階から、洋子以外の二人はやや緊張気味だった。

 編成はドラム・コーラス、シンセ・ギター、ベース・ボーカルの三ピースで、バンドとしてはかなり変わった部類だ。ドラムはスタジオにあるものに加えて、効果音用の電子ドラムも併用する。おまけに、洋子の足元には大量のエフェクターが並び、春香の足元にもベースの音をシンセサイザー風に加工するエフェクターが置いてあった。また、サンプラーの打ち込みと同期演奏するために、全員がヘッドホンを着用する。

 薫は、一般的なバンドとあまりにかけ離れた光景にかなり驚いているようだった。利彦が苦笑いしながら弁解する。


「初めて見るバンドがこんなんでごめんね。さすがにわかると思うけど、俺たち相当変だから」

「あの、なんていうか、新鮮です」


 動揺する薫に対し、洋子が得意気に話しかける。


「ふふ。演奏見たら、もっとびっくりするよー?」

「……そういや、曲どうする? 何からやる?」


 春香の問に、利彦が答えた。 


「あー、考えてなかった。とりあえず序盤はおとなしめでいこう。『風をあつめて』とかで」


 彼の提案により、はっぴいえんどの「風をあつめて」が演奏された。歌詞とメロディーこそ一緒だが、アレンジは原曲と完全に別物だった。一応、本家の再結成ライブを参考にしている。

 演奏が終わると、洋子が勝手にサンプラーのボタンを押してP-MODELの「Speed Tube」を流し始めてしまった。彼女は暴走し始めると止まらないのだ。完全に主導権を握られている。こういうことは珍しくないので、他の二人は「またか」という顔で演奏を始める。

 結局その後、YMOの「RYDEEN」、核P-MODELの「Big Brother」、ビートルズの「Day Tripper(YMO風アレンジ)」と続けざまに演奏し、最後に平沢進の「RIDE THE BLUE LIMBO」で一旦幕を閉じた。春香は薫がこれをどう思うのか非常に気がかりだったが、演奏が難しいせいで彼女の方を見る余裕がなかった。おまけに、春香は歌うときに目をつむる癖がある。ほとんどのレパートリーは洋子がイントロを担っているので、彼女の暴走がいつ止まるのかも気になった。


 バンドサウンドの半分以上を担う洋子の動きは、誰が見ても凄まじいものだ。おとなしくシンセサイザーを弾いていたかと思えば、激しい歪みのかかったギターでソロを弾き、次の瞬間にはリズミカルにサンプラーのボタンを叩いている。その間、右足で次々とエフェクターを切り替えていき、時々目の前のマイクに向かって「ワン、ツー、スリー、フォー!」と叫んだりする。他の二人もそれなりにテクニカルなことをしているはずだが、洋子の派手なパフォーマンスの前では霞んでしまう。彼女は演奏だけでなく、パフォーマンス自体にもこだわりがあるのだ。



 演奏が終わった頃には、スタジオ入りから五十分近く経っていた。約三十分は弾いていたことになる。完全にちょっとしたライブだ。春香と利彦は完全にぐったりしていたが、洋子は上機嫌だった。久しぶりに合わせた割に、演奏自体が上手くいっていたからだろう。


「はぁ~。楽しいなぁ! 『美術館で会った人だろ』もやろうよ!」

「ストップストップ。さすがに俺も疲れた……。というか薫ちゃん大丈夫か? ひいてない?」

「それそれ……。ごめんね、いきなりこんなの見せられて。びっくりしたよね」


 薫はかなり驚いているのか、話しかけられていることに気づいていないようだった。


「薫? 大丈夫? ほんとにごめんね?」

「……あ! ごめん、ちょっとびっくりしちゃって」

「そりゃそうだ。洋子は反省してくれ」


 利彦は洋子を睨んだが、彼女はサンプラーのセッティングに夢中になっていた。春香はため息をついたが、意外にも薫はこのバンドに感銘を受けたらしい。


「みんなほんとにすごいんだね! こういう音楽、あんまり知らなかったけど、かっこよかったよ! 三人しかいないのに、こんなに色んな音が出るなんて……」

「でしょ? 私がいるからには中途半端な事はさせないよ」


 洋子がヘッドホンを外して嬉しそうに話しかけた。都合のいいところだけは聞こえるらしい。春香は呆れつつも、ほっと胸をなでおろした。薫は嘘をつけないタイプなので、本当に気に入ったのだろう。



 その後、二十分ほど休憩を取ることにして、春香は利彦とタバコを吸いに行った。薫は機材に興味津々らしく、洋子の説明を熱心に聞いている。大抵の機材は元々洋子の私物だ。


「はあ。こんなに冷や汗かいた演奏、久しぶりだな」


 利彦が煙を吐き出しながらつぶやいた。春香もタバコをふかしながら頷く。


「ほんと、『Speed Tube』が始まった時はどうしようかと思った……。まあ、なんにせよ薫が気に入ってくれて、一安心かな」

「それな。てっきりレトロなロックしか聴かないのかと思ってた」

「柔軟性が高いのかもね。予習がてらYMO版の『Day Tripper』は聴かせておいたんだけど、意外と面白がってたし」

「なるほど。じゃあ『美術館』も大丈夫かな。歌詞やばいけど」

「たぶんね。私たちの体力が持てば」


 二人は疲れていたため、しばらく黙ってタバコを吸っていた。沈黙を破ったのは利彦の方だった。


「これさ、誰が言い出したんだっけ」

「私」

「あれ? 洋子じゃないの?」

「うん。あの子がギターできるって言うから、知り合って間もない頃に私から誘ったの。最初の練習覚えてない?」


 利彦はしばらく宙をにらんだ。


「……あー! 思い出した! なんか、セッションでもしようってスタジオ入ったら、あいつがマスフの並んだエフェクターボードとタルボでノイズやりだしたんだ!」

「そうそう。さすがにあん時は後悔したよね」

「逆に、よくここまでまとまったな。いや……まとまったのか?」

「ちゃんと曲やってるからまとまってるんじゃない? 一応バンドの体は成してるよ」


 春香がそう言うと、利彦は頭を掻きながら苦笑いした。


 二人が戻ると、スタジオの中から激しいノイズが聞こえてきた。洋子と薫がエフェクターで遊んでいるらしい。洋子に電話をかけて音を止めてもらい、中に入る。


「おかえりー。こっちは楽しかったよ!」

「もー、薫に変なこと教えないでくれる? 耳が潰れたらどうすんの」


 春香が呆れ気味にそう言うと、洋子はいかにも楽しそうに答えた。


「ノイズやってたのは最後だけだよ? 前半はシンセ講座。薫ちゃんってば、十五分位でJUNO-六〇の使い方覚えちゃったんだから」


 どうやら薫もかなり楽しんでいたらしい。春香の方を見て照れくさそうに笑う。妙な趣味に目覚めなければいいが。

 その後、P-MODELの「美術館で会った人だろ」を演奏して、練習という名のミニライブは終了した。薫はすっかり洋子に感化されてしまったようで、演奏が終わると大きな拍手をしながら「すごいすごい!」と喜んでいた。春香と利彦は顔を見合わせて困ったように笑うしかなかったが、別に悪い気もしない。愚痴ばかりこぼしている二人も、内心このバンドで演奏するのを楽しんでいた。それに、薫がこんなにはしゃいでいるのも珍しい。


 

 片付けが終わると、四人は近くのファミリーレストランで食事をとってから、利彦の部屋で話すことにした。薫が今日演奏していた曲の原曲を聴きたいというので、パソコンでプレイリストを作って流す。


「うわー! 原曲もかっこいいいなぁ。マギの演奏は録音しないんですか?」

「確か、去年スタジオで持ち曲は全部レコーディングしたよな」


 利彦がそう言うと、薫は目を輝かせた。


「じゃあデータください! 携帯に入れて聴きます!」

「……このバンド、そんなに気に入ったの?」


 春香が怪訝な顔で聞くと、薫は笑顔で「うん!」と言った。さすがに彼女がここまであの音楽性を気に入るのは予想外だ。生演奏で見せたことのインパクトも大きいのかもしれない。おかげで、場の流れは洋子の独壇場になっていった。彼女は薫にYMOや平沢進関係の曲を次々と勧め、ネットでライブ映像やミュージックビデオを見せていた。最初に四人で揃った時とは違い、洋子はすっかり遠慮がなくなっている。


「そうだ! 今度映画見ようよ、平沢進主題歌の。どれがいいのかな?」

「その縛りだと『パプリカ』と『千年女優』あたりしかないじゃん。内容的に薫が見れそうなのは『千年女優』かな」

「いいねえ。『ロタティオン』はマギでもやってるし」


 春香と洋子が話していると、例によって薫は「どんな映画?」と聞いてきた。利彦が眉をひそめて答える。


「どんな映画って聞かれると困るんだよなあ。一応、ストーリーは引退した伝説の女優にインタビューするって話で」

「で、その人が初恋の相手を追い続けるんだけど……。最後のセリフがなんとも」


 春香の言葉に、薫はやや不安げな顔をした。洋子が笑顔で声をかける。


「あらすじ聞くより、見たほうが早いよ? 大人向けだけど、怖いシーンとかは無いし」

「……じゃあ、見ます」


 こうして、来週末に四人で「千年女優」を見ようという話がまとまり、その日は解散となった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます