第4話 哀歌(1)

 春香のマンションは三LDKもあるそれなりに豪華なところだった。はっきり言って一人暮らしには広すぎるくらいで、部屋は余っている。学生時代からつくばに永住するつもりだったため、貯金を貯め続けて今年の初めにようやく購入したのだ。

 ひとしきり部屋を案内してから、二人はリビングでくつろぐことにした。くるりの曲をかける。


「ちょっとタバコ吸っても良い? 気になるならキッチンで吸うけど」

「あ、どうぞ」


 春香がタッパーからジンで加湿した「GOLDEN BAT」を取り出すと、薫が驚いた顔をした。


「それ……」

「ん? ゴールデンバット? 日本一安くて古いタバコだよ。なかなかその辺で売ってないんだけどね。そのままじゃ辛いから加湿してるの」


 薫は急に寂しそうな顔になった。春香は少々迷ったが、一応聞いてみることにした。


「なんかまずかった? 吸わない方がいいならそう言ってくれれば……」

「いえ、そういうわけではなくて。ちょっと、いろいろ思い出して……」

「いろいろ?」

「今は、話せないです……」

「わかった。じゃあ違う銘柄にするよ。ショートピースならいい?」

「はい」


 春香がショートピースに火をつけると、部屋に甘ったるいバニラの香りが漂ってきた。背後では「東京」が流れている。


「いいですね。くるり」

「はっぴいえんど好きならこの雰囲気は合うかもね。東京は、もうこの歌にあるような場所じゃなくなったけど」

「……きっと、すごい街だったんでしょうね」


 薫が、遠くを見るような目で言う。春香はまた話がまずい方向に流れていることに気がついた。東京といえば「神国事件」の舞台ではないか。薫はまさに、放棄された東京のど真ん中にいたのだ。どうやってもこの話題は避けられないらしい。


「あのさ……事件のことで、私に話せることって何かある?」


 しばらく沈黙が流れた。やはり、話したくはないのだろう。無理もない。


「あ、言いたくなかったらいいや。なんていうか……」

「あの日、東京で亡くなった方が三人いるのはご存じですか……?」


 薫は小さな声でそう言った。


「確か、身元不明の男の子と、あそこの管理者だった源って人と、あとは最初に通報してきた元デザイナーの人だっけ」

「三人共、私の知り合いです」


 春香は背筋が凍った。よりにもよって、薫はあの事件の中心人物だったのだ。慎重に言葉を選ぶ。


「ごめん……なんか悪いこと聞いたね」

「いえ……」

「私はね、あんまり親しい人を亡くしたことがないんだ。それこそ、おばあちゃんとかしかね。それでもすっごく悲しかった。だから……」


 彼女は言葉に詰まった。どうしたら良いのだ。考えがまとまらない。ふと、祖母の葬式で泣いている自分を、伯母が抱きしめてくれたのを思い出した。タバコを置き、思い切って薫を抱きしめる。硬直している彼女に、そっと声をかけた。


「泣きたいときは、泣いた方がいいんだよ。もう、何度も泣いたのかもしれないけど」


 薫が恐る恐る春香の背中に手を回す。その手に、少しずつ力が入っていく。耳の後ろで、彼女のすすり泣く声が聞こえる。次第に声が大きくなり、いつしか薫は泣きじゃくっていた。


「ごめんね。つらかったよね。悲しかったよね。二十年間会えなかったけど、私はあなたのお姉ちゃんだよ? だから、つらい時は頼ってね」


 薫が泣きながら、何度もうなずいているのがわかった。「東京」が鳴り終わるまで、彼女は泣き続けた。春香は彼女を抱きしめたまま、その頭を撫でていた。



 薫が落ち着いたあたりで、春香はふと思ったことを聞いてみた。


「そうだ、保護された他の子達はどうしてるの? 連絡は取ってる?」


 涙を拭いながら、薫は一度深呼吸をした。


「大体私と似たような生活をしてます。本格的な就職は難しくて……。あと、私との関係は人によりけりです。近くに住んでてよく会う人もいれば、一年近く疎遠な人もいます」

「そっか。亡くなった男の子とはみんな知り合い?」

「……はい。一緒に神国で暮らしてました。毎年命日には集まろうって言ってます」


 それから二人は教団についての話をした。二人共、時期は違えどコミューンにいたことがあるので共通する話題は多い。


「聖書の勉強とか、お祈りとか、面倒くさくなかった? 見せられるアニメとかも聖書の話ばっかだし、文句言うと暗い部屋で反省させられるし」

「私は適当に従ってました。『へーそうなんだー』って」

「ふーん。私はあの不自由さが嫌すぎて、一人で抜け出してきたんだけど」

「一人で、ですか?」


 薫は「到底信じられない」という顔をした。


「そう、五歳くらいだったかな。夜中に山の中をひたすら走ったり歩いたりしたよ」

「……すごい」

「まあ、火事場の馬鹿力だね。一周回って怖さはなかったな。とにかく『ここを出なきゃ』って必死だった」

「私の知る限りでは、抜け出せたって話は聞かないです」


 それを聞いて、春香はすこし考えた。


「私の脱走で監視が厳しくなったのかもしれない。だとしたら申し訳ないことしたな……」


 暗い顔をする彼女に、薫はきっぱりと答える。


「だとしても、悪いのは教団の人たちです。あなたのせいじゃない」

「……ありがとう」



 結局その日、薫は春香の部屋に泊まっていくことになった。朝十時頃の電車に乗っても昼までには戻れる。空き部屋に布団を敷いて、二人並んで横になった。春香がふと、薫にこんな提案をする。


「そうだ、もう敬語使うのやめない? もっと気さくに話しかけてよ」

「……わかった。『お姉ちゃん』って呼んでいい?」

「いいよ」

「ありがとう」


 すこし間を置いてから薫が話し始めた。


「私ね、ずっと教団で暮らしてたから、『家族』ってどんなものかわからなかった」

「うん」

「でもね、今日お姉ちゃんに抱きしめられて、『もしかして、こんな感じなのかな』って思った」


 それを聞いて、春香は自分の身の上を振り返ってみた。思ったことを、そのまま口に出していく。


「……そっか。私も本当の両親とは全然会ったことないんだ。だから、伯父さんと伯母さんが私にとっての『家族』だった。だけど、二人が優しくしてくれればくれるほど、『なんでこの人達が本当の親じゃないんだろう』って悲しくなってさ。二人に自分の世話をさせるのが申し訳なくて、大学入ってからは一人で暮らしてたの。いっぱいバイトして、仕送りも減らしてもらった。同じ市内にいるのに、会うのもなるべく避けててさ」

「うん」

「でも、今ちょっと後悔してる。二人と関わらないようにするのが、私なりの恩返しみたいなものだと思ってたけど、それはちょっと違ったんじゃないかって」


 薫は黙っていた。春香は考えながら話していたので、この後に何を言おうか迷った。


「……私は、私を愛してくれた人たちから逃げちゃってたのかもしれない」


 しばらく沈黙が流れる。なんとなく話の方向が見えなくなってきたので、春香はこの話題を打ち切ることにした。


「なんか、全然関係ない話になっちゃったね。私、話すの下手くそだな。とりあえず、もう寝よっか」

「うん」


 彼女は薫の手を握った。細くて小さな手だった。薫がその手を握り返す。薫の手は、ほんの少しだけ温かかった。

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