外典

第1話 落ち穂拾い(1)

 二十六歳の三谷春香は、その日もいつものように市役所で働いていた。何事も無く昼休みになり、持ってきた弁当を食べる。その後、一息つこうと喫煙所へ向かったところで、思わぬ邪魔が入った。電話が来たのだ。相手の番号は下四桁が「〇一一〇」になっている。恐る恐る電話に出ると、やはり警察だった。


「お仕事中すみません。警視庁です。こちら三谷春香さんの番号でお間違いないでしょうか?」

「あー……はい」


 春香は少々うんざりした。警視庁が彼女に用があるといえば、おそらくあの事件のことだ。


「今お時間ありますか? 少々お知らせしたいことがありまして」

「ええ、いいですよ。昼休みだし」

「宗教法人『AE』の事件については報道などでご存知ですよね?」


 やはりだ。春香は少し不機嫌になりつつ答えた。


「はい。その件でしたら、私は関わってませんよ。両親とはずっと連絡も取ってません」

「その点はこちらも把握しております。今回お電話させていただいたのは、妹さんの件です」

「……妹?」


 彼女は一瞬混乱した。自分に姉妹はいなかったはずだ。短く後ろで束ねた髪の結び目に手をやる。


「はい。事件の捜査で保護された児童の身元調査を行った結果、その中にあなたの妹さんがいることが判明しまして」

「……えー、ちょっと待って下さいね。いきなりなんで混乱してます」


 相手は少し間を置いてから、話を再開した。


「妹さんは東京都内で一昨年に保護されまして、現在はさいたま市で生活保護を受けながら一人暮らしをされています。歳はあなたの六つ下なので、ご存じないのも無理はないでしょう」

「都内ってことは、例の『神国』とかで保護されたということでしょうか?」


 春香は恐る恐る尋ねてみた。相手は淡々と、それでいて丁寧な口調で説明する。


「はい。幼少時から教団のコミューンで隔離されて育てられていたようです。若干の内部被曝がみられましたが、今のところ健康に過ごされています。ご家族で教団と関係のない方は春香様だけのようでしたので、こちらに連絡させていただきました」

「……なるほど。事情は理解しました。話はそれだけでしょうか?」

「はい。ご本人から了承が得られたので、連絡先をお伝えしたいのですが、大丈夫ですか?」

「ちょっと待って下さいね」


 春香はメモ帳を取り出し、「妹」とやらの連絡先を聞いた。


「何かご質問はありますか?」

「あー……妹はなんという名前でしょうか」

「三谷薫さんです。教団内では別名で呼ばれていたようですが、現在は本来の戸籍上の名前で暮らされています」

「わかりました。あと、会うことは出来ますかね?」

「可能だと思いますが、そこはご本人に連絡を取ってみてください」

「なるほど。ありがとうございます」

「他に聞きたいことがあればお答えします」


 春香はすこし迷ったが、腕時計で時刻を確認し、もう質問する時間がないことを悟った。


「いえ、ひとまず大丈夫です。休憩もそろそろ終わるので。ご報告ありがとうございます」

「では、これにて失礼致します。いきなりの報告ですみませんでした」


 こうして通話は終わった。彼女はタバコを一本吸ってから、やや遅れて仕事に戻った。



 春香の両親は「AE」なる新興宗教にはまっており、彼女自身も幼少時に教団のコミューンで両親と隔離されて育てられていたことがある。だが、窮屈な生活が嫌になり、五歳の時に自力で抜け出してきたのだ。それ以降はつくば市に住む親戚の家で育てられ、大学卒業後はつくば市役所で勤務している。現在は研究学園の大きなマンションで一人暮らしだ。


 春香は仕事が終わって帰宅すると、すぐにその「妹」とやらに電話をかけた。


「はい。三谷です」


 電話口からかわいらしい女性の声がした。


「あ、突然すみません。三谷春香といいます。今大丈夫ですか?」

「はい」

「今日警察から連絡が来て、あなたが私の妹だって話をされたんだけど」

「あ、私も昨日連絡がきました。その……はじめまして」


 相手が姉とわかると、向こうはいささか緊張したようだった。春香は構わずに続ける。


「こちらこそはじめまして。で、さっそくなんだけど、近日中に会えるかな? 場所と時間は任せます」

「はい。明日と明後日が空いてます。平日はバイトなので、難しいです」

「了解。私も明日休みだから、十五時くらいにそっちで会うって感じでどう?」

「大丈夫です。場所はカフェとかでいいですか?」

「うん。メルアド教えるから、場所決まったらそっちに教えて」

「わかりました」


 薫という名の妹はあくまで淡々と受け答えしていた。実の姉妹ではあるが、二十年間一度も面識がないのだ。彼女がよそよそしいのも仕方がない。電話が終わると、春香はキッチンでタバコを吸いながら、もし自分が教団を抜けださなかったら、と考えた。



 「神の家」と呼ばれた教団のコミューンは、とにかく閉鎖的なところだった。山の中にあり、自由に施設外に出ることもできない。殴られたりすることは無かったが、外部の情報は全く入らず、聖書の勉強や礼拝を強制された。「神」とやらに全く興味の持てなかった春香は、それが嫌でたまらなかった。

 幼い頃のこととはいえ、施設を抜けだした時の記憶は未だに鮮明だ。夜中に見張りの目をかいくぐり、山の中をあてもなく走り続けた。それは五歳児にとってかなり過酷な状況だったが、ここで諦めたら終わりだと思い、何とか麓の村までたどり着いた。ただ、警察に保護されてからのことはほとんど覚えていない。あまりにも疲れていたからだろう。記憶はそこから、一気に伯父の家に引き取られた日へと飛んでいる。教団には警察の捜査が入ったらしいが、コミューンが継続されたことから見て、表面的な対応でごまかされたのだろう。


 伯父の一家には子供がいなかったため、彼女は実の娘のように育てられた。学校でも普通に友人ができ、あまり不幸な思いをした記憶は無い。勉強も運動も出来る方で、少々強引な性格を除けばごく普通の少女だった。

 筑波大学に入学してからは、あえて自宅からの通学ではなく一人暮らしを選んだ。伯父も伯母も特に悪い人ではなかったが、やはり「本当の両親ではない」というのが引っかかっていたのだ。積極的にアルバイトをして、仕送りも最小限にしてもらった。

 実の親は教団のコミューンで隔離された生活をしているらしく、連絡はとれなかった。そのため養育費も伯父の一家が出しており、春香にはそれが申し訳なかったのだ。


 春香のいた教団は、二年ほど前に「児童虐待」「土地の不法占拠」「銃刀法違反」などの容疑で捜査され、さらには放射能テロにも関わっていたとして多数の逮捕者を出して解体されていた。それでも、犯罪に関係のなかった信者が新団体を立ち上げ、実質活動は継続しているらしい。両親がどうなったかはわからない。おそらく、彼女が教団を抜けださなければ、妹と同じ目にあっていた可能性は高いだろう。その苦労を思うと、胸が痛んだ。


 

 翌日、春香はさいたま市浦和区のカフェで妹と会った。肩上あたりで切りそろえたショートヘアと幼さを感じる丸顔、自分より十センチほど低い身長が印象的だ。たぶん、百五十センチもないのだろう。向こうは少々緊張しているらしく、口数は少ない。春香は教団に関する話題は避け、気さくに接することにした。


「こんにちは。とりあえず『薫』でいいかな?」

「はい」

「私のことは好きに呼んでね。『お姉さん』『春香』『お姉ちゃん』……あと何があるかな。まあ、とにかくなんでも良いから」

「じゃあ、『お姉さん』で」

「オーケー。今はバイトしながら一人暮らしだっけ」

「そうですね。収入が足りないので、まだ生活保護も受けてますが……」

「そっか。生活は順調? 友達とかいる?」

「バイト先の方には親身にしてもらってます。最初は世間のことがわからなくて苦労しましたが……」


 世間のことがわからなくて、というのが並大抵のレベルではないのを春香はすぐに察した。


「だろうねえ……。私は市役所勤め。給料は悪くないから、広めのマンション買って一人で住んでるんだ」

「そうなんですね」


 そんなことを話している内に、春香はこの「薫」のことが妙に愛おしくなってきた。今となっては、直接会える唯一の家族だ。そんな妹が、教団の都合で人生を振り回され、未だに生活保護無しでは暮らせないという境遇にある。姉として、できるならこの状況をなんとかしたかった。無謀とは思いつつ、彼女は妹にある提案をしてみた。


「あのさ、今思いついたんだけど、私の家に住まない?」

「え?」


 さすがに相手も驚いたようだ。瞬きもせず固まっている。それでも、春香は臆することなく畳み掛ける。


「そうすれば家賃も浮くし、私の生活は余裕あるから、ちょっとバイトしてくれれば全然構わないよ。あと、生活保護からも抜けられるんじゃない?」

「……それはそうかもしれませんが」


 薫は明らかに困っているようだった。当然といえば当然の反応だが、春香としても引き下がりたくはない。一度こうと決めたらギリギリまで実現に向けて努力するのが彼女の性分だった。


「確かに急な話ではあるけど、私もあの教団に預けられて苦労したし、とりあえず何か力になりたいの。困ったときはお互い様でしょ?」


 春香がそう言うと、薫はハッとしたような表情を浮かべた。


「ありがとうございます。でも、しばらく考えさせてもらえませんか? こっちでの生活とか、人間関係もあるので」

「もちろん、いつまでも待つよ。こっちこそ、いきなり無茶なこと言い出してごめんね。同居が無理なら、仕送りとかもできるし、それも含めて考えてみて」

「わかりました。ありがとうございます」


 その後、しばらく世間話をしてから解散となった。薫は来月中には同居について答えを出すという。春香は淡い期待を抱きながら帰宅し、大学時代からの友人である鹿嶋利彦の部屋を訪問した。



 利彦とは大学の軽音サークルで知り合い、一時期は恋人だったこともある。だが、恋人同士としてはいまいち上手くいかず、話し合いの末に別れることになった。彼とは未だに良き友人で、マンションもたまたま同じ建物だ。


 春香が利彦の部屋に着くと、彼はすこし長めの前髪をいじりながらリビングでタバコを吸っていた。パソコンに繋がれた大きめのスピーカーからは、The Beatlesの「Help!」が流れている。


「トシくんお疲れー。その様子じゃ、また仕事でなんかあったみたいね」


 春香が声をかけると、彼はため息をついてうなずいた。利彦がタバコを吸うのは大抵疲れている時だ。彼は市内のIT企業に勤めている。


「ご名答。ちょっとクライアントが面倒なやつでね。休みだって言ってるのにさっきも電話がかかってきてさ。まさに『Help!』だよ」

「あー……いるよね。面倒な人。で、本題なんだけど、実は私に妹がいたらしい」


 春香は利彦の話を半分受け流して、これまでの経緯を説明した。利彦も驚いたようだ。タバコを吸う手が止まる。


「……マジかよ。しかし、相変わらずお前は無茶なこと言い出すな」

「昔よりマシだと思うけどな。妹は薫っていって、結構かわいかったよ。あんなことがあったから、雰囲気は暗めだったけど」

「だって『神国事件』の当事者も当事者だろ? そりゃ暗くもなるよ」


 そう言いながら利彦は二本目のタバコに火をつけた。彼が連続してタバコを吸うのは珍しい。春香もタバコに火をつけながらつぶやく。


「とりあえず、返事が楽しみだなぁ。だって私にとって初めて一緒に住む家族だもん」

「了承してくれるとは限らないぞ? あっちでそれなりに生活してるんだろ?」

「それならそれで、毎週会いに行くことにする。とにかくあの子と仲良くなりたいの」

「なれるといいな」


 利彦がそう言うと、春香は「うん」と言いながらうなずいた。



 その夜、彼女は薫のことを考えて眠れなかった。妹は教団でどんな生活をしていたのだろう? きっと自分より過酷だったに違いない。実の姉とはいえ、二十年間存在すら知らなかった自分のことをどう思っているのだろうか? 


 春香はあまりに眠れないので、タバコを吸いながらビールを一杯飲むことにした。


「昨日の今日からは一味二味違うんだぜ」


 なんとなく、くるりの歌詞を口ずさんでいた。


(引用:くるり「How To Go」)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます