第12話 黙示(6)

 タバコを吸い終わると、貴志はウォークマンを止めて神国の各部署に電話をかけた。


「トオルとナギサの処遇は本部で決めてもらうことにした。……いや、送るのは私一人でやらせてくれ。私も会議に参加しないといけないし、すぐ戻るから」


 ひとしきり連絡を終えると、彼は二人に向かって「大丈夫だ。行こう」と言った。トオルとナギサは、安心したように微笑んだ。二人を連れて自分の車へ向かう。彼は二十年ほど前から、スバルのヴィヴィオビストロというレトロなデザインの軽自動車を使っていた。二人を乗せて正門の方へと向かう。


 ところが、なぜか門の前を数人の警備が塞いでいた。一抹の不安が頭をよぎるが、ひとまず車を止めて窓を開ける。


「連絡はしてあるはずだ。通してくれないか」


 すると、彼らは貴志にライフルを向けてこう言った。


「すみません。あなたの部屋を盗聴していました。我々も心苦しいのですが、もうあなたの心は神のもとにないようだ。おとなしく引き返してください」


 貴志は苦虫を噛み潰したような顔になった。またしても詰めが甘かったようだ。自分の部屋が盗聴されている可能性など、全く考えていなかった。

 しかし、ここで屈するわけにはいかない。彼は後部座席の二人の方を振り向き、手振りで伏せるように促すと、警備にこう言い放った。


「悪いが、断る。Adiaŭ」


 そして、言い終わるかどうかというタイミングで、アクセルを思い切り踏み込んだ。後ろから何発もの銃声が聞こえ、窓ガラスを銃弾が貫通する。中央分離帯の柵にぶつからぬよう、思い切りハンドルを左に切ると、車輪がけたたましい音を立てた。車の右側面が鉄柵に叩きつけられるが、そのまま体勢を立て直して猛スピードで直進する。銃声はまだ聞こえている。

 その時、左肩に凄まじい衝撃を感じた。


「あ゛あ゛っ!!」


 強烈な痛みと熱で思わず叫ぶ。撃たれた。体が前のめりになるが、気力を最大限に振り絞って前を向き、右手でハンドルを握り続ける。痛覚が麻痺したらしく、そのままなんとか持ちこたえることが出来た。だが、状況は絶望的だ。

 貴志は一旦先のことを考えるのは止め、前を向いたまま後ろの二人に向かって叫んだ。


「二人共! 無事か!?」

「俺もナギサも大丈夫です! でも、タカシさんが……!」

「今は構うな!! 行けるところまで行くぞ!」


 車はどんどん加速しながら市街地を走り抜ける。このままでは危険だ。しかし、ハンドルを握るのに精一杯で足を動かす余裕が無い。ヘッドライトが、目の前に迫り来る品川駅を照らす。


「タカシさん! 前!!」


 ナギサの声が聞こえる。だが、もうハンドルをまともに切る力がない。彼は最後の力を振り絞ってブレーキを踏み、後ろの二人に叫んだ。


「すまん!! なんとか耐えろ!!」


 駅の壁が迫ってくる。貴志は祈るように目をつぶった。


 すると、幼い頃の姉が目の前に立っていた。両手いっぱいの駄菓子を差し出す貴志を見て、彼女は嬉しそうに笑う。


「ありがとう。でも、全部は食べらんないから、半分こしよっか」


 車は、時速八十キロメートル近い速度で正面から駅に突っ込んだ。



 しばらくの沈黙があり、渚は意識を取り戻した。体は痛むが、なんとか立って動けそうだ。辺りは真っ暗でよく見えない。目が慣れてくると、トオルが彼女をかばうように抱きかかえている。二人は後部座席の床に倒れていた。


「……トオル? タカシさん?」


 渚が呼びかけると、トオルがかすかにうめき声を上げた。しかし、タカシの反応は無い。恐る恐る運転席の方を見ると、彼は前のめりになって頭から血を流していた。思わず目を背ける。改めて、彼女はトオルに声をかけた。


「トオル……大丈夫?」


 彼はかすかに頷き、うっすらと目を開けて渚を見た。


「一応……生きてる。ナギサは……?」

「私は大丈夫。トオルが守ってくれたから……。でも、タカシさんは……」

「そう……か。ナギサが無事で……良かった」

「トオルは、動ける?」

「ごめん……だめだ。体の感覚が……」


 そう言うと、彼は目を閉じてしまった。渚は必死で呼びかける。


「トオル! しっかりして!! お願い……死なないで……」

「ナ……ギサ」


 彼は再び目を開けた。そして、かすかな声で思わぬことを口にした。


「キス……してくれ……」


 渚は最初、彼が何を言っているのか理解できなかった。そして、一瞬間を置いてから気がついた。彼は、死を悟っているのだ。


「トオル!? 諦めちゃだめだよ! お願いだから生きて!!」

「頼む……。きっと、最後だ……」

「そんな……最後なんて言わないで……」


 渚の目から涙がこぼれた。できることなら、彼が死ぬとは思いたくない。だが、目の前には無視できない現実があった。

 彼女はそっと、トオルの唇にキスをする。彼は、少し微笑んでいるように見えた。唇を離すと、トオルは渚の方を見て何かつぶやいた。もう、声が出ないようだった。

 その唇は「ナギサ」と動いたように見えた。

 

 気が付くと、彼は目を閉じていた。


「……トオル? トオル!? ねえ!トオル!!」


 彼はもうぴくりとも動かなかった。


「トオル……。だめ……こんなのだめだよ。私……こんなの……嫌だよ」


 渚の目から、涙がとめどなく溢れてくる。彼女は、もう動かない彼を強く抱きしめた。


「トオル……」


 彼と過ごした日々が次々と思い出される。

 十四歳のあの日、トオルは「神の家」の宿舎の陰に彼女を呼び出し、照れくさそうにこう告げた。


「最近やっと気づいたんだけどさ……。俺、ナギサのことが……好きみたいだ」


 渚は、もう耐えられなくなった。涙が止まらない。ただただ、声を上げて泣いた。

 


 遠くから、車の音が近づいてきた気がした。

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