第11話 福音(6)

 一九九〇年、神国計画は万事順調に進んでいた。「国民」育成のためのコミューンも建設が決まり、すでに信者からの入所希望も相次いでいる。ヒコサカは七十歳をむかえ、「名誉会長」として重要な行事に出席する以外の仕事もなくなってきていた。

 だが、同時に彼は体調に異変を感じるようにもなっていた。徐々に食事がとれなくなっていき、激しい痛みや息苦しさも感じる。周りからのすすめで病院に行ってみたところ、医師から思わぬことを告げられた。


「癌がかなり進行しています。おそらく一、二ヶ月もつかどうかでしょう」


 自分もとうとう死期が来たか、と彼は思った。これで、計画の実現をこの目で見届けることはできなくなったわけだ。彼の頭に一抹の不安がよぎる。


 神国計画はかなり長期にわたるプロジェクトだ。担当者の高齢化は避けられない。特に国土の確保が見込まれている二〇一五年頃には、多くの幹部が六十代を超えている。それを避けるためには、今のうちから若い人材を確保しておかねばならないだろう。

 そこで彼は、二十代から三十代の若手の中で信頼のおけそうな人材を探しはじめた。残された時間は少ないが、ヒコサカは自ら資料を取り寄せ、頼りになりそうな人物と面接の場を設けた。


 こうして選定した人材の中に、とりわけ印象的な男がいた。彼は教団の運営する私立高校で教鞭をとっていたようだが、周囲にその勤勉な態度を評価され、二十五歳という若さで教団本部の仕事に就いていた。現在は新人育成に関わる仕事で指揮をとっているらしい。「国民」となる子供たちの教育係として、最適な人材だった。


 

 面接当日、ヒコサカの部屋に現れたのは金縁の丸眼鏡をかけた背の高い青年だった。聡明そうな鋭い目つきが印象的だ。ヒコサカはさっそく、幾つかの質問を投げかける。


「入会したのはいつごろかね」

「たしか大学三年生の時です。一年生の時に同じ大学の先輩に集会へ誘われ、先生の講演に感銘を受けました」

「教員時代は何を教えていた?」

「社会と聖書の授業を担当しました。正式な伝道師の資格はありませんでしたが、聖書の勉強には力を入れていたので、校長から是非にと勧められました」


 その男は背筋を伸ばしてハキハキと答えていた。なかなか印象は悪くない。ヒコサカは質問を続ける。


「現在は新人育成を任されていると聞いたが、評判はどうかね」

「悪くはないと思います。最初はわかりやすい聖句を紹介して興味を持ってもらい、それから徐々に教団の考えを紹介していく方式を採用しています」

「なるほど。なかなかいいやり方だ。家族とは縁を切ったという話を聞いたが、その辺も詳しく聞かせて欲しい」


 ヒコサカがそう言うと一瞬男の表情が曇った。彼は軽く溜息をついてから話し始めた。


「両親が宗教に対していい印象を持っていなかったようで、特に父からの反発が強かったです。頑固な人だったので、説得には失敗してしまいました……」

「まあ、そういうことは珍しくない話だ。あまり気に病むことはない」


 ヒコサカは彼を心底気の毒に思った。家族を失うつらさは良くわかっている。 


「すいません……。ありがとうございます」


 男は申し訳無さそうに答えた。だが、家族と縁を切ってまで教団に奉仕しようという選択をしたことは、ヒコサカに良い印象を与えた。彼はヒコサカのことを尊敬してくれているらしく、そういう面でも信用できそうだ。こうして、ヒコサカはその男を子供たちの教育係兼、神国エデンの管理者へと任命することに決めた。


 彼は「源貴志」という名前だった。



 それから三ヶ月後、ヒコサカの体調は本格的に悪化していた。懸命な治療もむなしく、もはや死は目前となった。その日、彼は計画に関わる責任者や、これまで教団を支えてきた人物を病室に招き、かすれた声で一人ひとりに感謝の言葉を述べた。


「みんな、いままでありがとう。心配はいらない。私の心は常に神と、そして君たちと共にある」


 彼が最後にそう言うと、皆が涙ぐんでいた。


 次の日から、ヒコサカはもう喋れなくなった。病室の天井を眺めながら、様々なことを思い出す。広島のこと、収容所のこと、布教に尽くした日々のこと。


 気が付くと、彼の心は自分が幼かった頃の広島にいた。彼は八歳で、暑い日差しの中、川で泳ぐ友人たちを眺めながら街並みをスケッチしていた。友人の一人が川の中から彼に声をかける。


「おーい彦坂ぁ! 暑いんじゃけえ、お前も泳いだらどうじゃー」

「すまーん! 今いいとこなんじゃあ! 終わったら行くわー」


 彼はそういうと再びスケッチに戻った。場面は変わり、今度は収容所でミタニと話していた。ヒコサカは高等学校時代の思い出を話す。


「教師の奴ら、わしがアメリカ生まれとわかるとコロっと態度を変えよってのう。訳もなく殴られたもんじゃ」

「いやあ、わしも似たようなもんじゃ。親父も兵学校へ行けとうるそうて」

「はっはっは! わしもそれでよう殴られたわ!」


 二人は、自分たちの境遇があまりに似ているので思わず笑ってしまった。最後に現れたのは、戦後の広島で会ったあの少年だった。飴を受け取った彼は、歯の抜けた口を見せて笑う。


「おっちゃん、ありがとう!」


 薄汚れた服で、バラックの向こうへと走り去っていく。

 そして、いつの間にかヒコサカは病室のベッドに戻っていた。目から涙が流れていた。きっとこれが「走馬灯」というものなのだろう。次第に意識が薄れていく。


 ふと、父と母の顔が浮かんだ。子宝に恵まれなかった彦坂家の子供は、彼一人だ。

 アメリカへ旅立つ日、父は見送りに来なかった。母は寂しそうに手を振っていた。一人息子の旅立ちを、二人はどう思っていただろう。原爆の業火に焼かれ、何を思っただろう。彼は心のなかで、二人に向かってつぶやいた。


「達郎、帰ってまいりました」


 それ以降、ヒコサカの意識が戻ることはなかった。

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