第10話 黙示(5)

 大地震から三日が経った。神国の生活はいくらか落ち着き始めていたが、現在埼玉にある本部からは一向に支援が来なかった。震災でよほど打撃を受けているのだろうか。

 夕方、仕事をひと通り終えた貴志はやはりウォークマンでビートルズを聞いていた。曲は「Don’t Let Me Down」だ。すると、彼のもとに捜索隊から連絡が入ってきた。とうとう、トオルとナギサが見つかったのだ。


 捜索隊の話では、二日前に青梅市の住宅街でトオルが倒れているのを発見したそうだ。だが、避難を拒否した住民と思わしき老女が先に彼を連れて行ってしまい、すぐには確保できなかったらしい。そのまま老女を尾行して自宅の様子を調べたところ、ナギサも彼女に保護されていた。そのため、二人まとめて連れて来ることに成功したということだった。二人を保護していたという老女は、神国の情報漏洩を防ぐために捜索隊が射殺したそうだ。


 貴志は少々暗い気持ちになった。やむを得ないとはいえ、罪のない一般人が殺されるのはいい気持ちがしない。未だに彼は「サタンに侵されているから」という理由で殺人を割り切れるほど狂信的にはなれないでいた。かといって、ヒコサカから直接与えられたこの任務を放棄できるほどの強さも持ち合わせてはいない。部外者の扱いは警備隊に一任されており、彼が今更どうこうできるものでもなかった。


「ヒコサカ先生、これがあなたの望んだ世界なのか……」


 彼は一人でそうつぶやいた。



 トオルとナギサは、捜索隊の連絡から約一時間後に神国へと戻ってきた。彼は一旦気持ちを切り替え、毅然とした態度で言い放った。


「久しぶりだな。二人共」


 二人はかなり不安そうな顔をしていた。目の前で二回も人が殺されているのだから当然だろう。心苦しいが、最悪抹殺もやむを得ないと思った。二人が何も言わないので、貴志は話を続けた。


「きっともう、我々のことを信用してはくれないだろうな。違うかね?」


 二人は無言で頷いた。トオルが口を開く。


「あなた達は……いったい何がしたいんですか。俺たちに人を殺すなと言いながら、もう二人も殺している。これも『神の教え』ですか?」


 貴志はすぐには答えが出せなかった。だが、あくまで与えられた職務を全うすることにした。他に取るべき道もない。


「そうだ。サタンに侵された悪しきものは排除する。『神国エデン』を守るためには必要なことだ」

「そうですか。なら、俺はもうあなた達も、あなた達の信じる神も信じません。そんなことを命じる神なんて、いない方がましだ」


 トオルは力強い調子で答えた。もう説得は不可能なのだろう。今度はナギサが声を震わせながら話し始めた。


「私も……トオルに同意します。アキコさんは……私たちを保護してくれた方はとても良い人でした。見ず知らずの私たちのために、最後まで頑張ってくれました。それなのに……」


 ナギサはそこまで言って言葉に詰まった。目には涙がにじんでいる。貴志は内心、心苦しかった。同時に、ナギサの口にした名前に引っかかるものがあった。嫌な予感がする。


「つかぬことを聞くが、その『アキコさん』というのはどういう人だ……?」

「五十歳位の女の人です。弟さんとの約束を守るために、ずっと汚染区域に一人で残っていました……」


 そこまで言うと、ナギサはふと何かを思い出したようだ。彼女はポケットから一枚の紙を取り出すと、貴志に渡した。


「アキコさんから、あなたに会ったらこれを渡すようにと言われました。心当たりはありませんか……?」


 一抹の不安を覚えながら貴志がその紙を開くと、そこにはこう書かれていた。


「まだ待ってるよ 明子」


 彼は一瞬何が起きているのか分からなかった。その字はどう見ても姉のものだ。最悪の事態が頭をよぎるが、できるなら信じたくなかった。震える声で尋ねる。


「この人の、フルネームはなんと言っていた……? 『アキコ』の前にもう一つ名前があったはずだ」

「確か『ミナモト』だったと思います……。弟さんは『タカシ』という名前だと聞いています」


 間違いない。姉だ。確か二人が保護されたのは実家のある青梅市だ。そうなると、もはや疑いようがなかった。貴志は目の前が真っ暗になった。


「……その女性は、確かに死んだのか? 死んだところをはっきり見たのか?」


 ナギサは泣きそうになるのをこらえながら絞りだすようにこう言った。


「はっきり亡くなったかどうかはわかりません……。でも、お腹を銃で撃たれて倒れていました。あと、最後に私達に向かって『タカシに、よろしく』と……」


 貴志はその話を受け入れたくなかった。それは彼にとってあまりに残酷な現実だった。姉は、ずっとあの家で待っていたのだ。それなのに……。

 ナギサに貰ったメモを、そこに書かれている文字を一つ一つなぞるように眺めた。いかにも姉らしい淡白な言葉だが、そこに込められたあまりにも深い愛情に、とめどなく涙が溢れてきた。姉は、どんな気持ちで自分を待ち続けていたのだろう。そして、自分のいる教団に殺されて、何を思っただろう。


「姉さん……」


 貴志はそうつぶやいて、あとは声を押し殺すように泣き続けるしかなかった。


 そんな彼の様子に、トオルとナギサも事態を察したようだ。トオルが、慎重に声をかける。


「タカシさん……本当のことを話してくれませんか。そして、今自分が何をすべきか、よく考えてください」


 そう言われても、彼は姉を失ったショックからなかなか立ち直ることが出来なかった。なにか言わなければと思っても、何も言葉が出てこない。いつまでも泣いている貴志に、ナギサが声を張り上げた。


「タカシさん!! いくら泣いても、もうお姉さんは帰ってこないんだよ! お願いだからなにか答えて!!」


 涙ながらに叫ぶナギサの声で、貴志はようやく言葉を発することが出来た。


「すまん……私は……私は……」


 それ以上はしばらく何も言えなかったが、一分ほどしてから、貴志はぽつりぽつりと話し始めた。姉との思い出、教団に入ってしまった訳、そして「神国エデン計画」の全容も。



 二人は、貴志の話を最後まで黙って聞いていた。話が全て終わった後、三人の間に長い沈黙が流れた。

 そして、おもむろにトオルが口を開いた。


「タカシさん。一緒に神国を出ましょう。教団のことを全部外の人に話してください。それが、今のあなたにできることです」


 貴志は無言でうなずき、少し時間をくれないかと頼んだ。行動を起こすには、もう少し心を落ちつける必要がある。二人は貴志の頼みを聞き入れてくれた。彼はタバコに火をつけると、ウォークマンを取り出し、昔姉にもらった「はっぴいえんど」のテープを再生した。流れてきたのは「しんしんしん」という曲だった。


 彼の脳裏に、部屋でレコードをかけながら絵を描く、姉の姿が浮かんだ。彼女が貴志の方を振り向き、声をかける。


「ああ、貴志か。ちょうど今いいのが描けたんだ。見てく?」


 彼の目から、再び涙がこぼれ落ちた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます