第9話 福音(5)

 ヒコサカが東京へ移ったのは正解だった。移転した年の六月には朝鮮戦争が勃発し、アメリカはまたしても戦争に加担することになったからだ。きっと、向こうは戦争支持者で溢れかえっていることだろう。そんな国では、反戦平和を訴えるAEが支持されるわけがない。おまけに、皮肉にも日本はいわゆる朝鮮特需で、経済不況からみるみる脱却していた。


 日本での布教活動は比較的上手くいっていた。先の大戦ですっかり戦争に嫌気が差していた日本人は、平和を訴える彼らに好意的だった。代表が日系二世ということで興味を持ってくれる人もいた。ただ、キリスト教系ということもあって会員が劇的に増えていったわけではない。最初は資金面でも常に困窮していたし、共産主義者とつながりがあるのではないかと疑われることもあった。

 それでも、活動はアメリカにいた頃より遥かに順調だった。他のキリスト教会に対して好意的であったことも功を奏したのだろう。時には異端視されることもあったが、方向性の合う教会とは上手く付き合っていた。



 ところが、五十年代の後半に差し掛かるとヒコサカは既存のキリスト教会や聖職者に不満を抱くようになってきた。世界では東西冷戦が激化の一途をたどり、各国が毎年どこかで核実験を行っている。一九五四年には、太平洋で漁をしていた日本人が被爆する事件まで発生した。いわゆる「第五福竜丸事件」だ。どう見ても世の中は悪い方向へと向かっている。このままでは、最後の審判の前に人類は滅びてしまうのではないか?

 そんな状況にも関わらず、世界各地にいるはずのキリスト教徒はこの現状に対してほとんど無力だった。これだけ世界が混乱しているということは、多くの人々がサタンに心を蝕まれているのは明らかだろう。それならば、聖職者はもっと布教に力を入れるべきではないのか。


 この頃から、ヒコサカは本格的にキリスト教の歴史を調べるようになる。思えば、今まで教義を学ぶのに夢中で、キリスト教そのものがどういう歴史を辿ってきたのかはあまり知らなかった。そして、知れば知るほど彼の不信感は高まっていった。

 蓋を開けてみれば、キリスト教は分裂や対立を繰り返しており、時には戦争の大義名分に利用されていることすらあった。いったいこれはどういうことなのだろう。ひどい迷走ぶりだ。ヒコサカは既存の教会や聖職者をまったく信用できなくなった。自分に聖書の教えをもたらしてくれたことは感謝したいが、彼らがきちんと役目を果たしているとは思えない。


 そしてキューバ危機が発生した頃、彼は幹部を集めて緊急会議を開いた。核戦争の危機が目前に迫った今、悠長に構えている余裕はない。ヒコサカは単刀直入に本題を切り出した。


「皆も感じていると思うが、いま世界は危機に瀕している。おそらくサタンの勢力が本格的に台頭してきているのだろう。だが、既存のキリスト教会はこの現状になんら対抗する力を持っていない。改めて教会の歴史を調べてみれば、彼らの迷走ぶりはひどいものだ。厳しい言い方をするが、もはや既存のクリスチャンは『正しい信徒』とは言いがたい。そこで、私は今後他の教会とは一切関わらないという方針を採りたいと思う。いかがだろうか?」


 ヒコサカの提案に会議は紛糾した。「それは言い過ぎではないか」と言うものがいるかと思えば、「ヒコサカ先生の言うとおりだ」と言うものも現れた。しかし、彼の意思は固く、反対派の意見に耳を貸す気はなかった。

 結局、多数決の末に僅差でヒコサカの提案は承認され、AEは「唯一正しき信徒」を自称するようになった。付き合いのあった教会とも、容赦なく縁を切ることにした。

 その代わり、会則を大きく改定してより布教に力を入れる方向へ舵を切った。会員には週に一度の布教活動を義務付け、教団の紹介冊子のほか、独自に監修した聖書も発行した。また、ヒコサカ自身も聖書の解説本を出版するなど精力的に働きかけ、毎週のように本部で自ら演説をした。


 こうした甲斐もあり、七十年代に入ると教団はそれなりの規模になった。日本国内はもちろんアメリカにも支部が誕生し、資金に困ることもなくなっていた。より国際的な団体になることを目指し、会員にはエスペラントの習得を勧めた。人工言語で意思疎通することにすれば、特定の国の人間が優遇されることもない。エスペラントを併記した冊子を作成したことで、教団はエスペラントの話者からも注目されるようになる。



 そんなある日、五十代後半をむかえたヒコサカは不思議な夢を見た。神秘的な存在が彼の目の前に現れ、次のような内容を告げた。


・核エネルギーは本来神の持っていた力をサタンが人類にもたらしたものである。サタンは核を利用して、最後の審判が行われる前に、地球そのものの破壊を目論んでいる。

・放射能は、本来神が悪しき人々を滅ぼすための「裁き」の力であり、真に忠実な信徒には害がない。

・サタンの地球破壊を阻止するために、神はこの力を使って勢力の逆転を図ろうとしている。

・それを成し遂げられるのは他ならぬAEであり、放射性物質を使うことで悪しき人々を追放し、残された土地に信者を集めて理想郷である「神国エデン」を建国せねばならない。

・そして、「神国エデン」を拠点に新たな布教活動を開始し、最後の時により多くの人間を救わねばならない。


 それが、夢で語られた内容だった。ヒコサカはこの夢の内容を信じていいものか悩んだ。本当に神の啓示なら、神は聖書にもない新たな計画を立てているということになる。そして、その実行者として自らを選んだのだ。しかし、本当にそんなことがありえるだろうか? 単なる自分の夢かもしれない。それに、実行するとなれば社会的なリスクは高い。失敗すれば教団自体が崩壊するだろう。

 

 数週間悩んだ末、彼はこの啓示を信じることにした。全世界の人々を救うには、やはり国家規模で働きかけなければならない。そういう意味では、「布教のための国家を作る」という構想には説得力があった。

 しかし、彼は周りにこの話をしばらく黙っていることにした。万が一、内部分裂が起きて計画がサタンの勢力にばれてしまっては元も子もない。ヒコサカは日々の仕事をこなしつつ、こっそりと頭の中で「神国エデン」実現のための計画を練った。


 その頃のAEは表向き平和的な団体を装っていたが、その思想は極めて排他的になっていた。それでも信者は確実に増えており、新興宗教としてはそれなりの勢力だ。

 ヒコサカは規律を最小限に止め、献金も会員の意志に任せるようにして入りやすい環境を整えた。その一方、会員には世界の終りが近づいていることを強調し、「布教は人類の救済のために必須である」と教えこんだ。また、反核・反戦を強く押し出すことで左翼勢力を取り込むことにも成功した。少なくとも宗教団体としては万事上手くいっている。

  そして、チェルノブイリ原発事故の発生を期に、彼は計画実行を決意した。さっそく、信頼のおける幹部を集めて緊急会議を開く。全員が席についたのを確認し、これまでの経緯を説明した。


「今日集まってもらったのは他でもない、今まで秘匿していた、ある計画の実現に向けて君たちに動いてもらいたいと思う。きっかけは数年前に見た夢だった。神のような偉大な存在が現れ、私に次のような啓示を与えた」


 そして、ヒコサカは夢の内容を話した。しばらく沈黙が流れる。彼は話を続けた。


「そこで、私はこの『神国エデン』をいつか現実のものにしなければならないと思っていた。限りなく難しいと思うが、私自身もう年齢的に時間がない。計画の概要はこうだ」


 ヒコサカが立案した計画は次のような内容だった。


・原子力発電所から出る高レベル放射性廃棄物の運搬船を奪取し、東京湾上で汚染物質をばらまく。これによって日本政府の首都機能を奪う。

・汚染によって無人化した都内に自給自足可能な生活圏を作り「神国エデン」の原型とする。

・神国の「国民」育成のために専用の施設を作り、そこで育てられた者を最初の住民とする。

・初めのうちは二十数名の監督者と警備隊を置き、外部の干渉から神国を守ると同時に、住民の自立を支援する。

・住民が自らの手で生活を営めるようになったところで世界に建国を宣言し、以降は生活圏の拡大と布教に努める。

・二〇二〇年代までに以上の内容を実現する。


 ここまで話すと、会議室に騒然とした空気が流れた。無理もないことだ。皆、すぐには賛同できないようだった。だが、ヒコサカも引き下がる訳にはいかない。彼は皆を説得する。


「動揺するのも無理はないと思う。だが、これは神から与えられた使命なのだ。私は一九四〇年代から布教のために力を尽くしてきた。信徒も増え、教団の規模も拡大した。だが、未だに多くの人はサタンに蝕まれたままだ。冷戦は終わったが、核兵器は増加を続け、地球そのものの破壊も可能な数になった。この現状を変えるためには、新たな啓示に従うほかはない。一刻も早く『神国エデン』を建国し、世界を変えるために働きかけていく必要がある。どうか、事の重大性を理解して欲しい」


 会議室に再び沈黙が流れた。誰も何も言おうとしない。業を煮やしたヒコサカは声を荒げる。


「お前ら! やるんか、やらんのか! どっちじゃ!! 答ええや!」


 思わず広島弁になっていた。普段温厚な彼が、教団関係者の前でこれほど感情を露わにするのは初めてのことだ。ヒコサカの剣幕に、皆はようやく彼が本気であることを理解したらしい。どこからともなく「やりましょう」という声が上がり、最後は皆が「やろう! やろう!」と声を揃えた。誰もが無謀だとわかっていたが、尊敬するヒコサカの言うことを無視するわけにはいかないと思ったのだろう。後に引けない、切迫した空気が流れていた。


 参加者の意見が一致したところで、ヒコサカは計画実行に必要な部署の解説や責任者の選定にとりかかった。大抵の部署は表向き別の役割を持たせて隠蔽したが、汚染物質の確保に関わる組織だけは、存在そのものがわからないように巧妙な仕組みを整えた。


 こうして、教団は「神国エデン計画」実現のために動き出した。

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