第6話 黙示(3)

 貴志がその冊子を開くと、そこには「世界の終わり」という物騒な見出しがあった。本文では主にヨハネの黙示録をとりあげており、この世界の終焉と、その後にやってくる「神国」という楽園について解説していた。

 それによれば、神に敵対する勢力は「ハルマゲドン」なる最終戦争によって滅ぼされ、その後神が世界を直接統治する時代が訪れるのだという。また、この世界にある宗教は皆サタンという悪魔の支配下にあり、「La Apostoloj de la Eternulo(通称:AE)」の信者だけが唯一正しい神の信徒らしい。おまけに、冊子には人工言語であるエスペラントが併記されていた。


 貴志は少々不安を覚えた。これはいわゆる「カルト宗教」ではないだろうか? だが、集会所で会った人たちを見る限り、頭がおかしいという感じではなかった。

 冊子には信者が生活の上で心得るべきことも書かれていたが、比較的穏やかな表現が多く、規律も厳しくないように見える。はっきりと禁止されているのは「殺人」「窃盗」「不倫」など、通常の社会でも犯罪となるようなことばかりだ。


 冊子の最後には教団の沿革が書かれており、一九四〇年代に「ジョン・ヒコサカ」なる日系アメリカ人が立ち上げたとあった。AEは一九五〇年に日本に本部を移し、ヒコサカは現在も東京都内で教団を仕切っているらしい。集会の話に出てきた「ヒコサカ先生」とは、おそらくこの人物のことなのだろう。


 貴志は、このヒコサカという人間に興味が湧いてきた。宗教団体を立ち上げる人物とは、一体どのような人間なのだろうか。集会所に通っていればそのうち会う機会もできるかもしれない。教団の思想には若干不安を覚える部分もあるが、危ないと思えば近寄らないようにすればいいだけの話だ。

 こうして彼は、週に一度「AE神国会館」へと足を運ぶようになった。ただ、家族にばれると厄介なことになりそうだったので、貰った冊子は見えにくい所に隠しておいた。



 翌年の夏、貴志は相変わらず集会所に通っていた。心の底から教団の教えを信じていたわけではないが、周りと話を合わせている内に何人かの友人もでき、大学で孤独だった彼にはありがたかった。おまけに、信者たちは喫茶店などでのんびりと雑談することを好んだため、スポーツや女遊びに興味のない貴志とは気が合うのだった。

 最初に声をかけてきた山田は彼より一つ年上で、良き先輩として色々と教団内の事を教えてくれた。初めて集会所を訪れた時の大歓迎も、ある種の伝統だったらしい。


 そんなある日の事だ。その日は日曜日で、いつものように集会に顔を出してから帰宅し、家族とテレビを見ながら夕食を食べていた。

 すると、先ほど始まったばかりの「NHK特集」が突如中断し、臨時ニュースが始まった。どうやら、日本航空の旅客機が消息不明になっているようだ。

 この知らせが入った途端、いつも冷静な姉の手が止まった。無言でじっとテレビの画面を見つめている。父が「どうした?」と声をかけると、彼女は小さな声で「これ、たぶん友達が乗ってるやつだ……」とつぶやいた。


 その頃、明子は都内のデザイン事務所に勤めており、グラフィックデザインの制作を行っていた。同じ課に大阪出身の友人がおり、今日の夕方に飛行機で帰省する予定になっていたらしい。出発時刻から考えて、行方不明になっている日本航空一二三便に搭乗している可能性は高かった。


 明子は残った食事を貴志に食べるように言うと、そのまま自室に行ってしまった。父も母も、そして貴志も声をかける事ができなかった。長年付き合っている家族から見れば、彼女がかつてないほど動揺しているのは明らかだ。食事を終えた貴志が明子の部屋の前を通ると、ラジオのニュースが延々と流れているのが聞こえてきた。

 

 明子は普段何事にも動じない人間だ。それゆえに、彼女が取り乱している時にどう対応すれば良いのか検討もつかなかった。「その飛行機に乗っているとは限らない」とか「乗っていても助かるかもしれない」とか、そういう慰めを言うのはどうにも無責任に思えた。仮にそんなことを言ってみても、おそらく彼女の気持ちは落ち着かないだろう。そんな言葉を投げかけるくらいなら、なにもしない方がましだ。

 その夜、貴志はあまり眠れなかった。


 翌日になり、乗客名簿から明子の友人が一二三便に乗っていたことは確実になった。明子は部屋に引きこもって一日中ラジオのニュースを聞いている。ふと、貴志の脳裏に講演で聞いたイエスの言葉が浮かんだ。


「医者を必要とするのは健康な人ではなく、病人である」


 貴志は思い切って彼女の部屋の戸をノックしてみた。反応はない。


「姉さん、入るよ?」


 慎重に扉を開けると、机に置かれたラジオの前で頭を抱え込む姉の姿があった。後ろからゆっくり近づくと、彼女は唐突につぶやいた。


「どうしようね。これ」


 貴志は返す言葉がなかった。しばらくの沈黙があり、それから彼女は再び口を開いた。


「会社に入って、最初に話した子だった。とにかく明るい子でさ。誰とでも仲良くしてた」


 そこまで言うと、明子は深い溜息をついた。


「正直、あたしはあの明るさがちょっと苦手だった。でも、あの子のおかげでいろんな人と仲良くなれた。今、会社で上手くやっていられるのは、きっとあの子が声をかけてくれたからなんだろうね。今まで、そんな風に考えたことなかったけど……」


 貴志は、姉の声が震えているのに気がついた。近寄ると、机には涙のこぼれた跡がある。彼は、無言で明子の肩に手を置いた。他にどうしていいのかわからない。

 彼女はその手を握ると、しばらく静かに泣いていた。


 結局、冬になっても明子の友人の遺体は特定できなかった。彼女は十二月に群馬県で行われた合同慰霊祭に、会社の同僚と出席した。

 事故の一週間後にはいつも通りの態度に戻っていた明子だったが、慰霊祭から帰ってきた時の表情は暗かった。まるで、この世の不幸を一身に背負っているかのような顔だ。家族はなるべく普段通りに接することにしたが、何を話してもなんだか白々しい感じがしていけなかった。

 

 その日の夜、彼女が自室で声を上げて泣いているのが聞こえた。貴志はあえて声をかけないことにした。さすがに、今はそれ以外どうしようもなかった。

 次の日からしばらくの間、明子は悲しみを打ち消そうとするかのように活動的になった。家にいる時は必ず何かしていて、ぼんやりしているということがない。かと思えば、突然倒れるように眠り込んでしまうのだ。おそらくショックの反動で、精神が不安定になっているのだろう。貴志はますます彼女が心配になった。おまけに、彼女は今まで興味のなかったタバコにまで手を出しているようだった。



 翌年の春になると、今度はソ連で原発事故が発生した。チェルノブイリ原発事故だ。日本で事故についての報道が始まった翌日、山田から「本部で緊急集会がある」との連絡が来た。これは初めての事態だった。本部での集会ということは、ヒコサカ氏も出席するのだろうか。貴志は若干の期待を抱いて、その「緊急集会」とやらに出席した。


 指定の時間に本部に到着すると、すでに大量の信者が列をなして入場を待っていた。三十分ほど並んでから中に入り、それから十分ほどしてから集会は始まった。

 壇上に六十代半ばくらいの背の低い男性が現れる。頭は七三分けで、黒縁の四角いメガネをかけている。見た目は完全に日本人だが、その人こそがAEの代表「ジョン・ヒコサカ」だった。彼は流暢な日本語で信者たちに語り始める。


「お集まり頂き、感謝します。ご存じの方も多いでしょうが、私が当団体の代表を務めるジョン・ヒコサカです。日本名は彦坂達郎と申します。今日皆様をお呼びしたのは、ソ連で発生した原発事故の件についてお話するためです」


 彼はそこまで言うと、少し間をおいた。


「私はアメリカのカリフォルニア州で生まれましたが、三歳から十七歳まで広島市で育ちました。私にとっては心の故郷でした。しかし、一九四五年八月六日、私の故郷は原子爆弾により壊滅しました。広島に残っていた両親も亡くなり、慣れ親しんだ風景は跡形もなく消え去りました。初めてその光景を見た時、私はソドムとゴモラの話を思い出しました。はっきりと申し上げます。核は本来、神が持つべき破壊の力です。人間の手に渡ってはいけないものなのです。『核の平和利用』などというのはサタンに侵された愚かな人々の妄言に過ぎません。今回の事故が、それをはっきりと証明しました。私は、人類のあらゆる核利用に反対することを、ここに明言いたします」


 ヒコサカがそこまで話すと、会場から盛大な拍手が巻き起こった。彼は拍手が収まるのを待ち、再び話を続けた。


「イエス様の教えを正しく広め、人類の愚行をいち早く沈静化させることが我々に課せられた使命です。残された時間はわずかです。私は、今後みなさんがより一層、伝道活動に力を入れてくれることを望みます。それこそが、サタンの魔の手から人類を救い出す唯一の手段なのです。すでに読まれた方も多いと思いますが、イエス様とその教えの重要性については私の記した本に詳しく書いてあります。未読の方はぜひこの機会にお読みください。ご理解とご協力、よろしくお願いいたします」


 彼はそう言うと深々と頭を下げ、会場には再び拍手の嵐が巻き起こった。これまでに聞いたこともないほど盛大な拍手だ。貴志はそれまで核について深く考えたことはなかったが、ヒコサカの話にいくらか感銘を受けた。サタンがどうこうというのは多少疑問に思ったが、核の利用に反対するという方針には賛同できる。

 また、ヒコサカが想像以上に礼儀正しく謙虚な人物であることにも心を動かされた。少なくとも、彼が金儲けを企む他の新興宗教の教祖と一線を画しているのは確かだ。彼は、確実に自らの正義と世界の平穏のためにこの組織を運営しているのだろう。それが分かっただけでも、貴志にとっては大きな収穫だった。


 その日から貴志は、他の信者たちと共に布教活動にも参加するようになった。

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