第5話 福音(3)

 ヒコサカの趣味が風景のスケッチから聖書の研究に移り変わり始めた頃、例の質問票が各人に配られた。「忠誠登録」と呼ばれたその質問票は、日系人たちの頭を悩ませた。

 質問二十七にYesと答えれば、当然徴兵されて日本兵を相手に戦うことになるだろう。また、質問二十八にYesと答えれば日本に帰ることが出来なくなる可能性がある。とりわけ、日本生まれの一世や日本で育った帰米二世にしてみれば、天皇陛下への忠誠を否定するなどもってのほかだ。

 また、アメリカで育った二世にしても、さんざん自分たちの人権を踏みにじってきたアメリカ政府のために命を投げ出すのは、屈辱的な選択だった。


 一方、これらの質問にすすんでYesと答える人々もいた。Noと答えれば今より待遇が悪くなることは明白であるし、あえて従軍して手柄を立て、白人たちを見返してやろうという二世も多かった。

 こうして、収容所内は忠誠組と不忠誠組で意見が真っ二つに割れたのだ。


 この忠誠登録を境に、ツールレイク収容所は一触即発とも言うべき危険な状態に陥った。弁の立つ者が人々を煽動し、連日管理局へ押しかけてくる。当初は穏便に事を済ませようとしていた所長も、とうとう煽動分子を片っ端から逮捕し始めた。こうなると管理局への不信はますます募り、完全な対立状態になる。


 とりわけ厄介だったのは帰米二世の強硬派だ。軍国教育の洗礼を受けてきた彼らは日本の戦勝を信じて疑わず、「ツーバイフォー」と呼ばれた角材を持って親米派の牧師や弁護士を次々と襲った。傷害や暴行はもはや日常茶飯事であり、夜間に一人歩きなど出来ない状態になった。


 ヒコサカも帰米二世ではあったが、もともと軍国主義に嫌気がさして日本を出た人間だ。そうした強硬派とは一切関わらないようにしていた。それはミタニも同じだった。二人は忠誠登録にどう答えるべきか連日頭を悩ませたが、ヤマダはあっさり「Yes」と答え、アメリカ兵士として志願していった。


「やっぱりヤマダはアメリカ人じゃのう」


 ミタニが寂しそうに言った。特に親しくもなかったが、同居人が減るのはヒコサカにとっても寂しかった。


「あいつと違って、わしらはどうにも中途半端じゃ。日本人にもアメリカ人にもなりきれん」


 ヒコサカがそう言うと、ミタニは困ったように笑った。


 悩んだ末、二人はどちらの質問にも「No」と答えることにした。兵役を逃れるために来たアメリカで徴兵されては元も子もない。また、心の故郷である日本を裏切るような真似もしたくなかった。

 このような選択をした人々は、後に「ノー・ノー・ボーイ」と呼ばれるようになる。



 政府の目論見に反して、「ノー・ノー・ボーイ」は思いの外多かった。ツールレイクは特にひどく、ヤマダのような軍隊志願者は六十人にも満たない。そこで政府は、ツールレイクを不忠誠組の隔離施設として、他の収容所の「ノー・ノー・ボーイ」もここにまとめてしまうことにした。

 これにより、一九四三年九月には六千人の忠誠組がツールレイクを離れ、代わりに九千人の不忠誠組がやってきたのだ。


 新たにやってきた住民は、その待遇の悪さに愕然とした。前の住民が作った家具はすべて持ち去られており、仕事も重要なポストは最初からツールレイクにいた者たちに押さえられている。新住民と先住民の間には険悪な空気が流れ、収容所はますます殺伐としていった。迂闊に外に出られないため、仕事が無い日は趣味に打ち込むか部屋で雑談することが多くなった。



 そんなある日のことだ。

 その日は仕事がなかったので、ヒコサカは昼間から二人でこの戦争の行く末について話し合っていた。物量で言えば、どう考えてもアメリカ側の勝ちだ。実際、ミッドウェー海戦以降の日本は劣勢にあると言えた。


「日本が負けた場合、わしらはどうなるんじゃろう」


 ミタニが不安そうにつぶやいた。


「わしらはアメリカ国籍も市民権もあるけえ、アメリカ人として暮らせるじゃろ。勝てるとは思えんが、五分五分くらいのところで講和してくれんかのう」

 

 ヒコサカも不安だったが、ミタニよりは楽観的だった。


「しかし、負けてもおらんうちからこの仕打じゃけえのう。どうなるかわからん」

「確かになあ……」

 

 しばらく沈黙が流れる。台風が来る直前のような重い沈黙だ。結局、ここで話し合っていてもどうにもならないので、この話題は打ち切られた。すると、ミタニがこう言い出した。


「そうじゃ、お前正式に改宗したらどうじゃ。ここじゃ肩身が狭いが、クリスチャンの方が白人には印象が良かろう」

「確かに、勉強しとる割に洗礼はまだ受けとらんな。今度牧師さんに聞いてみるか」

「それがええ。じゃが、わしは改宗するつもりはないけえの?」

「はっはっは。わかっとるわかっとる」


 その後しばらく収容所内の話をしてから、ヒコサカは買い物に出かけることにした。一通り店内を物色し、筆記具や新聞、雑誌などを仕入れる。このところミタニは風邪気味だったので、薬局で薬も買ってきた。

 


 ところが、ヒコサカが買い物から帰るとミタニは床に倒れて昏睡状態になっていた。


「おいミタニ!! どしたん!?」


 声をかけても返事がない。急いで病院へ連れて行ったものの、感染症らしいという事以外は分からなかった。医者もお手上げといった様子だ。本来ならこういう時は外部の病院に運ばれるのだが、医師は「月曜まで待ってくれ」と言いだした。ヒコサカは食い下がったが、結局はミタニの容体を見守るしかなくなった。不安はあったが、そう簡単に彼が死ぬとも思えない。

 しかし、ミタニはそのまま意識を取り戻すこと無く、その日の夜には息を引き取った。


 ヒコサカは、すぐには事態を飲み込めなかった。わずか一年程度とはいえ、苦楽を共にしてきた仲間がこうもあっけなくこの世を去ってしまったのだ。今日の昼間までは、いつも通りに話していたというのに。止めどなく彼との思い出が蘇り、ヒコサカは息苦しくなった。何気ない日常会話や、彼のために彫刻のデザインを考えてやったこと。苦労しながら、ここでの生活に馴染もうと努力してきたこと。そういったことが走馬灯のように流れていく。そして、悲しさとも悔しさともつかない感情が強烈に押し寄せ、気が付くと嗚咽していた。彼はもう「帰らぬ人」になってしまったのだ。この戦争の行く末もわからない内に。


 すこし落ち着いてから、ヒコサカはこの状況を考えて複雑な気持ちになった。もし、強制収容がなければミタニとは出会えなかっただろう。しかし、こんな僻地に収容されたがために、彼は命を落とすことになったのかもしれない。

 ミタニとの出会いには感謝すべきだが、彼の命を奪ったこの収容所の事を許すわけにはいかなかった。いっそのこと過激派に協力して暴動でも起こそうかという気分にも駆られたが、そんなことをすればさらに犠牲者が増えるだろう。

 その時、彼の脳裏にイエスの言葉が蘇った。


「剣を取るものは皆、剣で滅びる」


 最終的にヒコサカが選んだのは「平和的なイエスの教えを広める」というものだった。ミタニの言葉もあり、彼はすぐに牧師のもとに洗礼を受けに行った。

 しかし、仏教徒の多い収容所内でキリスト教の布教をするのは現実的ではない。ただでさえ、親日過激派がのさばっているツールレイクでそんなことをすれば、袋叩きにされるだろう。彼は慎重に作戦を練ることにした。


 ヒコサカはまず、収容所内にいるクリスチャンを洗い出した。そして、彼らの家を一軒一軒訪れ、クリスチャン同士で連絡網を作ろうと持ちかけたのだ。最初はみな困惑していたが、何かあった際に助け合えるようにしたいと言うと大抵応じてくれた。

 連絡網と言っても各部屋に電話があるわけでもないので、誰がどこに住んでいるかを地図に書いて渡し、非常時に足で情報を回すというものだった。


 一通り連絡網が出来上がると、次にヒコサカは「聖書の勉強会を開こう」と持ちかけた。公に集会を開くのは危険なので、三、四人の希望者や牧師をヒコサカの部屋に招く形を取った。今や、彼の部屋にはミタニもヤマダもいないため、小さな集会を開くにはちょうど良い。

 主催はヒコサカであったが、最初のうちは他の参加者に教鞭をとってもらうのが基本だった。何しろ、彼は収容所に来てから初めてまともに聖書を読んだのだ。聖句の解釈の仕方など、まだまだ知らないことが多かった。参加者の教派が違うこともあったが、そんな時はヒコサカが双方の意見を尊重しながら上手くまとめていった。



 こうして、彼の作戦は一定の成功を収めたかに見えたが、収容所内ではまたしても新たなトラブルが起きていた。過激派を鎮圧するために、とうとう軍が出動したのだ。管理局や病院への道は柵で遮断され、食料の配給まで停止になった。何をするにもいちいち軍の許可を取らなければならない。

 しかし、食料庫へ行く許可を貰いに行こうとすると、今度は過激派から「軍に屈する気か!」と圧力をかけられる。季節は冬に差し掛かろうとしていたが、ストーブ用の石炭も軍の許可がなければもらえない。こうなると、多くの家庭が過酷な寒さをストーブ無しで耐えるか、危険を犯して石炭を盗み取りに行くしかなかった。当然、ヒコサカたちも勉強会どころではなくなる。ここでも、日本の軍国教育が彼の邪魔をしたのだ。そして、翌年一月には戒厳令が布かれ、夜間の外出や集会はおろかほぼ全ての施設が閉鎖となった。


 こうなると、彼も憤らずにはいられない。白人の態度にも腹が立ったが、それ以上に自分で自分の首を絞める親日派が許せなかった。ああいう連中にこそ、イエスの教えが必要なのだ。戒厳令が解かれたら、本格的に布教活動に移るべきかもしれない。


 職も失い、まともに外出もできなくなったヒコサカは、一人で読書をしているしかなくなった。だが、手持ちの本は大抵読み尽くしている。どうしたものだろう。売店も閉鎖されており、新しい読み物の入手は困難だった。

 そんな時、彼は勉強会で一世の中年男性からもらった珍しい機関誌の事を思い出した。表題は「La Revuo Orienta/エスペラント」。


 日本エスペラント学会が発行していたもので、一八八〇年代に創案された人工言語「エスペラント」を日本で普及させるための出版物だった。中身はエスペラントと日本語で記されており、その気になれば解読できないこともなさそうだ。彼は暇つぶしも兼ねて、この機関誌からエスペラントを学んでみることにした。

 

 軍は当面出て行く気配がなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます