第4話 黙示(2)

 タカシが子供たちの宿舎に行くと、彼らは自室を片付けていた。ガラスの割れたところもあり、そういう子供には別室を使うように促した。部屋は沢山あるのだ。あたりはすっかり夜だった。


 しばらく様子を見ていると、リーダー格のマサルが貴志に声をかけてきた。彼の名前を見ると、つい子供時代を思い出して憂鬱になる。


「タカシさん、トオルたちの行方はなにか掴めましたか?」

「いや、地震の後始末で手一杯でね……。一応捜索隊は出してあるが」

「そうですか……」

「もう一度聞くが、二人が逃げ出した理由は知らないんだな?」


 マサルは貴志の質問に答えなかった。どうやら子供たちの絆は思いの外強いらしい。二人の脱走をいち早く伝えに来たマサルでさえ、その真相については「何も知らない」の一点張りなのだ。

 貴志はその後、子供たちの一人ひとりに声をかけ、再び自室へ戻った。もう一つやることがあるのだ。彼は部外者を殺害した警備の一人と、警備隊をまとめている幹部を呼び出した。


 神国の警備員はそのほとんどがアメリカで従軍経験のある日系人だった。その男らも日系四世で、イラク戦争の経験者だ。彼らはみなAEの信徒であるが、退役後に入信してきたものがほとんどだった。

 貴志は改めて部外者を殺害した時の様子を聞き出した。事件当日にもある程度の概要は聞いていたが、脱走者が出た今、もう一度状況をきちんと把握しておく必要がある。

 彼らの話によると、防護服を着た侵入者が木陰に隠れていた二人に近寄り、何か声をかけているようだったという。二人に危害を加えるような雰囲気ではなかったが、神国の存在が外部にばれるのを防ぐために射殺したとの事だった。幹部も、同じ理由で発砲許可を出したという。遺体はその後、他の隊員が処分したようだ。彼らは、部外者がサタンに支配された悪しき者だと信じきっていた。


 貴志は溜息をついた。確かに、神国の存在が外部にばれるのはまずい。だが、結果的に脱走者が出てしまっては元も子もないではないか。とはいえ、彼らの判断も幾分妥当性がある。結局、それ以上の追求はやめて仕事に戻らせた。


 それにしても、面倒なことに巻き込まれたものだ。彼は久しぶりにタバコが吸いたくなった。禁止こそされていないが、教団では喫煙をなるべく避けるように言われている。だが、今日はタバコでも吸わないとやっていられない気分だ。

 引き出しから灰皿を取り出し、ハイライトを咥えて火をつけた。天井に立ち上る煙を見上げながら、彼は再び昔のことを思い出した。



 中学に上がる頃、友人が「The Beatles」のレコードを聞かせてくれた。名前こそよく知っていたが、当時ビートルズは既に過去のバンドになっており、ラジオなどでもほとんど耳にしなかった。

 最初に聴かされたのはいわゆる「青盤」というベストアルバムだ。友人のおすすめは一枚目の最後に収録されている「Revolution」で、いきなり激しいエレキギターの音が鳴り響いたので少々驚いた記憶がある。ジョン・レノンのパワフルな歌声が印象的だった。その後「赤盤」も含めて何曲か聴かせてもらい、彼は結果的にそのバンドを気に入った。友人はジョンのファンらしく、彼のソロも勧められた。


 その頃、かつて問題児だった姉は幾分おとなしくなっており、中学、高校では美術部に所属して絵を描いていた。意外にも彼女は絵が上手く、高校時代には都内の絵画コンクールの常連組になっていた。

 ただ、基本的な部分は変わっていないようで、たまに不良グループと揉めては相手をボコボコにしていた。両親はその度に肝を冷やしたが、彼女は相変わらず意に介さずだ。それに、明子自身は別に不良というわけでもなく、服装もきちんとしていて酒や煙草にも手は出さなかった。


 貴志は相変わらず引きこもりがちな少年で、中学に入ると外で遊ぶことはなくなっていた。家でビートルズを聴きながら本を読むか、勉強をするかだ。ラジオはよく聴いていたが、テレビはあまり見なかった。レコードはなかなか買えなかったので、もっぱらカセットテープで音楽を聴いていた。

 そんな生活をしていたため、彼に友人は少なかった。幼い頃から縁のある人間が二、三人といったところだ。


 高校に入ると、貴志は大学の法学部を目指し始めた。法学部出身は公務員になることが多いという話を耳にしたからだ。彼は他の子どもと違い、幼い頃から現実的かつ地味な仕事に就くつもりでいた。

 その頃、明子は現役で東京芸大に合格しており、デザイン科に入っていた。普通なら大学の近くにアパートでも借りて通うところだが、彼女は自宅から電車で通学することを望んだ。


 明子はどこで知ったのか、「はっぴいえんど」という日本のロックバンドを気に入っていた。彼女がレコードプレーヤーを買って自室でそのレコードを聴いていた姿は今でもよく覚えている。時々彼女は自分で編集したテープを貴志にもくれたので、彼も幾つかの曲は知っている。

 

 ただ、ビートルズにしろはっぴいえんどにしろ、両親はまだ「ロック=不良」のイメージを持っており、あまりいい顔はしなかった。彼らにとって音楽といえば古い歌謡曲なのだ。そのため、基本的に居間にあるレコードプレーヤーは使えなかった。



 その前年、マスコミは「イエスの方舟」なる宗教団体を「カルト教団」として非難していた。この件は国会でも取り上げられるほどの騒ぎとなり、「現代の神隠し」などと大々的に取り上げられていた。

 しかし、蓋を開けてみれば、この団体は特に法や倫理に触れるようなことはしておらず、報道も次第に沈静化していった。代表の千石という男は書類送検こそされたが、結果的に不起訴になった。実際に身柄を拘束されたのは韓国籍の信者だけだ。

 だが、その狂気的な報道ぶりは印象的だった。


 一九八四年、彼は努力の甲斐あって慶應義塾大学の法学部に進学する。姉と同じく自宅からの通学を希望し、親の援助を受けて中古のホンダN三六〇という軽自動車を購入した。

 当時の男子大学生にとって車を持つことはある種の憧れだったが、貴志は「車があれば便利だろう」という程度の認識だった。そのため、それが七十年代の中古車だろうが一向に構わなかった。赤い塗装はところどころ剥げていたが、特に直そうという気も起きない。ただ、音楽だけは聴きたかったので、外付けのカセットプレーヤーを取り付け、自分で編集したテープを流しながら通学した。

 周りの男子学生は合コンを開いたりディスコに行ったりと遊びに熱中していたようだが、貴志はそういったものにまるで興味が湧かなかった。その結果、彼は大学でほとんど友達がいないという状況に陥る。



 そんな彼に転機が訪れたのは大学一年の秋だった。ちょうど「グリコ・森永事件」で青酸入り菓子がばら撒かれて大騒ぎになっていた頃だ。


 その日、授業が終わって帰ろうとしていた貴志に、大学付近の駐車場で一人の男が声をかけてきた。彼は「山田」と名乗り、同じ大学の学生だという。西洋史を専攻しており、近くに面白い団体の集会所があるから一緒に見学に行かないかとの事だった。貴志は一旦断ったが、結局は山田のしつこさに負けて次の日曜にその集会所を訪れることになった。強く勧められると断れないのが、貴志の弱点だった。


 約束の日、指定された場所に赴くと「AE神国会館」なる看板を掲げた二階建ての小さな建物があった。看板の上には十字架が掲げられており、ひと目で宗教団体であることが分かった。彼は少々嫌な予感がしたが、入り口には山田が待機していたので今更帰るわけにもいかない。

 少し世間話をしてから中に入ると、前方のステージに向けて大量の椅子が並んでおり、すでに多くの人が座っていた。彼らは貴志が入ってくると次々と立ち上がり、歓迎の言葉をかけてきた。男性は軽い握手、女性は笑顔でお辞儀と、まるでそういう規則でもあるかのように。

 予想以上の大歓迎ぶりに、貴志はかなり驚いた。同時に、入り口で感じていた不信感は少し和らいだ。初対面の相手にこれほど親身にしてくれるのだから、悪い人たちではないのだろう。

 彼は言われるがまま、一番前の席に座らされて講演を聞くことになった。


 講演が始まるまでの間、横に座っている人たちはしきりに貴志を質問攻めにしてきた。どういう身分なのかとか、どうして来ようと思ったのかとか、キリスト教についてはどの程度知っているのかとか、そういう話をされた。

 後ろでは数人の女性が小声でなにか話し合っているようだった。そんな様子を察したのか、隣に座っていた男性は「すみません。新しい人は珍しいので」と言って苦笑いした。


 いよいよ講演が始まると、壇上にスーツ姿の四十代くらいの男性が現れた。いかにも清潔な身なりで、印象は悪く無い。彼はイエスの言葉を引用しながら、神の教えを守ることの大切さと、人と人との助け合いについての話をした。そして、人類は今危機に瀕しており、その救済のために布教が必要なのだと締めくくった。

 その後、数人の女性が自らの体験を交えながら「神に祈ることの大切さ」を訴えた。表面的な差異こそあれど、彼女たちの言いたいことは大体同じだった。「神様のおかげでこんなに救われました」ということだ。そして、話の中には必ず「ヒコサカ先生」という人物が登場する。

 貴志は少々胡散臭さを感じたが、なんにせよ「救われた」と本人が思えるなら悪いことではないのだろう。話が終わると全員に小冊子が配られ、次の集会までに目を通しておくようにと言われた。


 帰り際、彼は来た時と同じように、握手とお辞儀の嵐に包まれた。山田からは「最後までお付き合い頂きありがとう。気が向いたらまたおいで」と言われ、今度は別の冊子を手渡された。宗教団体ということで多少の抵抗感は残ったが、大学に入ってからまともに人との交流がなかった貴志はいくらか気分が良かった。来週あたりに、また顔を出してみてもいいだろう。


 その日は夕食を食べたあと、自室で山田から貰った冊子を眺めていた。表紙には「神の国は近づいた~La Apostoloj de la Eternulo~」とあった。

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