第3話 福音(2)

 ヒコサカと叔父の一家は、最初にワラガー仮収容所へと送られた。車や家具などの財産は全て売り払うことになり、ただ同然で白人たちに叩き売られた。こういう点に関しては、彼らは抜け目ないのだ。

 全員に立ち退き番号が割り振られ、手に持てるだけのわずかな荷物を携えて軍用バスに詰め込まれる。誰もが車窓に顔を押し当て、自分たちの暮らした町が視界から消え去っていくのを眺めていた。


 急ごしらえの仮収容所は、はっきり言ってまともな人間の住む場所ではなかった。板の隙間から隣の部屋が見えたり、床から草が顔を出していたりしていて、プライバシーも何もない。トイレも男女共用だ。部屋の中には椅子すら無く、座って食事ができるような食堂もなかった。施設の周りには有刺鉄線が張り巡らされ、まさに刑務所の様相だ。毎日炊事場の前にできる長蛇の列に並びながら、ヒコサカは非常に惨めな思いをした。

 それでも、中には収容所へ面会に来てくれる白人の友人も居た。「憎むべきは日本の軍部で、あなた方ではない」と、彼らは口々に言った。まさかこの人まで、という人が面会に来てくれることもあり、ヒコサカの心の支えとなった。



 そんな場所で一ヶ月半ほど暮らした後、六月中旬に彼らはツールレイクへ送られた。乗り心地の悪い列車で一晩を過ごし、苦労の末に辿り着いた収容所はとにかく殺風景なところだった。

 広い荒野に千棟を超えるバラックが立ち並び、周囲にはやはり頑丈な有刺鉄線が張られている。五百メートルおきに監視塔が立ち並び、銃を持った兵士が二十四時間体制で見張っている。夜間の寒暖差が激しく、風が吹くと砂埃で前が見えなくなった。

 施設は二万人が暮らせるようになっているだけあり、とにかく広大だ。端から端まで歩けば二時間はかかるだろう。それは収容所というよりちょっとした都市だった。


 所内には、病院、警察、消防、学校、売店などがあり、仮収容所に比べれば幾分ましに見えた。だが、室内にはベッドとストーブがあるくらいで、机や椅子もなければ、棚などもない。そういう点では仮収容所とあまり変わらなかった。入り口にはひさしもなく、強い雨でも降ろうものならまともに戸も開けられない有様だ。



 ヒコサカは叔父の一家とは別のブロックの部屋を与えられた。部屋が足りていないため、同年代の「ミタニ」と「ヤマダ」という男と同室になった。ヒコサカはぎこちない標準語で自己紹介を始める。


「どうも、ヒコサカと申します。サクラメントで一九二〇年に生まれましたが、育ちは広島です。十七でアメリカに戻りました。よろしくお願いします」


 すると、ミタニが嬉しそうに話しかけてきた。


「おお、広島育ちか! わしもまったく似たようなもんで、しばらく広島で育ちました。歳もおんなじです。ミタニといいます。よろしく」

 

 奇遇にも彼はヒコサカと同じく広島で育った「帰米組」で、やはり兵役を逃れて勉強するためにアメリカに戻ったのだという。

 一方、ヤマダはロサンゼルスの「リトルトーキョー」で生まれ育ち、ほぼアメリカ人と言っていい人物だった。日本語も、親との日常会話や日本語学校で習った範囲でしか知らない。そのため、ヒコサカとミタニが広島弁で思い出話を始めると、外にタバコを吸いに行ってしまうのだった。



 三人がはじめに手を付けたのは、余った材木を集めて家具を作ることだった。当初、住民たちは材木を分配してくれるよう所長の元へ陳情に行ったのだが、「予算不足」の一点張りで埒が明かなかった。そこで、建設中のバラックの近くに落ちている板の切れ端や釘などを勝手に取っていくことにしたのだ。


 板切れ拾いは早い者勝ちであり、少しでも遅れると小さい欠片しか残っていなかった。そのため、ヒコサカたちも協力して朝早くから板切れを拾いに行った。

 ミタニは工作に長けており、彼のおかげで家具作りは順調に進んだ。どうやら、一時期大工に憧れてちょっとした家具を作っていたらしい。彼は机や椅子はもちろん、物置棚や入り口のひさしまで作ってくれた。あとの二人は、彼の作業に必要な板切れを探すのに奔走した。


 しかし、こうした板切れ拾いは次第にエスカレートし、とうとう材木置場から直接板を盗み出すものが現れた。それを防止するために有刺鉄線が張られるようになったが、その程度で皆が諦めるはずもない。結果的に、土木建築部の方が折れて材木の切れ端を各ブロックに配ることになった。だが、その頃にはヒコサカたちの部屋には大抵の家具がそろっていた。


 一件落着に見えた材木争いだが、材木を配るトラックには毎日のように人々が群がり、壮絶な光景が繰り広げられていた。ヒコサカたちはある程度この争いから距離を置くことができたが、見ていて心地の良いものではない。日本人は行儀が良いとよく言われるが、この時ばかりは別だった。


 その後には、職業争いがやってきた。働き口は色々とあったのだが、いざ職を探すとなるとワラガーからやってきた後発組は困惑することになる。

 収容所には彼らより先にオレゴン州とワシントン州からやってきた先発組がおり、待遇の良い仕事は大抵彼らが押さえていた。その結果、先発組と後発組の間でちょっとした軋轢が生じ、互いを罵り合うことになった。しかし、元をたどれば悪いのはアメリカ政府だ。ヒコサカは安易に先発組を憎む気にはなれなかった。また、仕事を得られてもその賃金はどのみちわずかなものだ。



 こうした不遇に見まわれ、さらには日系人社会の中でもさまざまな問題が起きていたが、数ヶ月もすればそれなりに生活も落ち着いてきた。

 ヒコサカは、暇があると紙と鉛筆を持って風景のスケッチに出かけた。収容所からは「キャッスル・ロック」と呼ばれる切り立った岩山が見え、絵の題材としては悪くない。だが、夏場はガラガラヘビが出るため、足元に注意しなければならなかった。

 ミタニは相変わらず工作が好きで、建築部に転がっている木片から木彫の動物を彫っていた。こうした彫刻は管理局の公務員に好評で、良い小遣い稼ぎになるのだ。また、ヒコサカがミタニのために彫刻のデザインを考えることもあった。

 一方、ヤマダは娯楽場で将棋に熱中しており、二人とは少々距離を置いていた。三人で雑談することもあったが、どうにも共通する話題が少ない。彼を見ていると、ヒコサカは自分が日本育ちであることを痛感せざるを得なかった。


 秋になると外の農園で様々な野菜が収穫でき、人々の食欲をそそった。農園の労働者は時々現れる雁や鴨に目をつけ、罠を仕掛けてすき焼きにして食べていた。ヒコサカも叔父の一家に招かれてごちそうになったことがある。荒野のツールレイクにおいて、季節を感じられるのは秋くらいのものであり、住民はこの季節の恵みに大いに感謝した。窮屈ではあるが、生活は一応の落ち着きを見せている。



 この頃から、ヒコサカはキリスト教に興味を持つようになった。アメリカでは多くの人がキリスト教を信仰している。収容所内の日系人にも、わずかではあるがキリスト教徒が存在していた。一方、日本で育ったヒコサカはキリスト教にほとんど縁がなく、宗教画の授業で幾つかのエピソードを聞いたくらいだ。

 だが、キリスト教はアメリカ社会に深く浸透している。彼らの思想に大きな影響を与えているのは間違いない。キリスト教が分かれば、アメリカ人の思想の一端に触れることができるかもしれない。そうすれば、自分たちがこのような処遇を受けている背景も解明できるのではないだろうか? ヒコサカはそう考えた。


 彼はさっそく数少ないクリスチャンの元を訪れ、数日でいいので聖書を貸してくれないかと交渉した。そのような人物は大変稀であったため、相手は快く貸出を了承してくれた。

 いきなり部屋で聖書を読み始めたヒコサカを、同居人の二人は不審に思ったらしい。特にミタニは驚いており、何かあったのではないかと心配された。しかし、ヒコサカの意図を聞くとひとまず納得したようだ。


 最初の内、ヒコサカはそこに何が書いてあるのか理解するのに手間取った。特に旧約聖書は中盤からイスラエルの歴史に関する記述が増えて、縁のない彼には少々退屈だった。登場人物も多く、彼は人間関係を整理するためにわざわざメモを取る必要に迫られた。聖書を長々と借りっぱなしにするわけにもいかないので、最終的に彼は重要と思われる記述を全て書き写すことにした。


 旧約聖書に比べて、新約聖書は彼にとってそれなりに面白い読み物だった。基本的に主人公はイエスであり、彼の語る言葉はどれも人をはっとさせる力がある。とりわけ、イエスが敵対するユダヤ人たちを次々と論破していく様は痛快で、そうした場面を彼は次々と自分の手帳に写していった。



 こうして聖書を読み終えたヒコサカだが、彼の頭には疑問が残った。イエスの教えは基本的に平和的なものである。「汝の敵を愛せよ」などはその最もたるものだ。イエスは、身分や出自に惑わされず、その人の行いで愛すべき人を見極めよと説いている。それなのに、自分たち日系人は出身国が戦争を仕掛けてきたからという理由でこんな所に押し込められているのだ。二世に至っては日本生まれですらない。もし、アメリカ人が皆イエスの教えに忠実なら、このような事は容認されないはずだ。


 そこで、彼は一つの結論を導き出す。大抵のアメリカ人は、まともにキリスト教を信じているわけではないのだ。逆に言えば、この教えを徹底すれば日系人の強制収容などという馬鹿げたことは起きなかったのではないだろうか? 実家は仏教徒だったが、ヒコサカは特別熱心な信徒でもない。それまで、神や世界について深く考えることのなかった彼にとって、キリスト教の教えを受け入れることはそれほど難しくなかった。


 こうして、彼は「イエスの教えを正しく広める」という事が世の役に立つのではないかと考えるようになる。

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